【心理学】データ分析的な記事まとめ
おつです。データ分析的な記事をこれから書くぞ! と決めたので、とりあえず分析記事のまとめ記事だけ先に書いちゃう。本当にかけるのかな〜〜〜???
データ分析の記事一覧
以上!
ふわっとした悩み整理
プログラミングの勉強の仕方とか、その後のキャリアの問題とか、悩むよな。Pythonやってても何となく文法分かるだけでスゲエ表層攫ってる気持ちになる。そりゃ調べりゃ分かんだろ、みたいな。インフラのこととかwebのこととか分かってないとダメなんじゃ? とかいう謎の不安感みたいなのがある。
最終的にはPython使ってデータ分析的なこととか自然言語処理のこととかやりたくて、できたらもうちょい裁量大きい方がいいなとも思うなんとなく、けど裁量デケェとなんかギラギラしたの求められそうでそれは家庭あるから嬉しくない。
あとPythonだけやっててもダメでしょって感じもある。DB使えなずもちろんSQL分かってないしスキルセットとして貧弱そう。
まあつまりこれか。現状能力足りず、何必要なのかもよく分かんねえし、力ついてる感じもしねえし、あと将来の図がしんぱいだよねってこと。
能力足りないのはしゃーない、必要なのは調べよう、力のあるついてるかはつまりこれ理解した! キモ掴んだ! いつでもコード組める! って感じを作ろう、将来図は妻と話そう。
将来図、つーか復職後の話、仕事は時短でやるけど家帰っても家事育児で自分のための勉強なんてできない。けど俺は自分のための勉強してないとたぶんメンタルが死ぬ。そういうときに、特にやりたくない時間を切り売りするような仕事は絶対にやりたくないよな。じゃあどうすんのかって考えて、例えば復職時にPythonの案件に突っ込んでもらうとか、もう転職しちゃうとか。けど、息子氏も小さいこの時期に都心の現場は無理だし、転職でデータ分析的なところになると自分のポジション得るために少し無理しなきゃとなりそうだし、転職するなら6時間勤務とかのちゃんとゆるゆるできる現場に限ってでやるしか…みたいな。
あと妻と喋ったこととして、この休業中にクラウドワークスとかで3つくらいPythonの仕事をやってみること。んでどんな仕事あんのかなって思ったら侍エンジニア塾の講師バイトがあってかなり高給だった。いいじゃん在宅だし俺教えんの好きだしPythonだし教えることで俺自身の勉強にもなるし昔研修の講師やったときはめちゃくちゃに調べあげて楽しかったし、となってこれが目標となった。最終的には侍エンジニア塾の講師やりつつフリーで飯食っていきたい。
んで目標決まったところでじゃあどうやったらそれできるのか。とりあえずみんながPythonに求めているのがDjangoだからやろうか、と。あとサーバ建てられるようにしたり、DB扱えるようにしたり。そこまでできるとたぶん個人で受注すんのがかなり楽。なのでそうなりたい。
人間関係についてつらつら思うこと。
雑記。オチなし、論点の整理も適切な説明もなし。
週末の試験に向けて妻が勉強時間くれたありがてぇ〜〜、なんか、今まで(?)は割と俺が融通きかせるケースが多かった(?)と主観的には思ってたんだけど、なんか、うーん、それでやってやってる!俺はいい奴!みたいなのって関係性として貧しいんだよな、俺は人間関係のこと分かってねえんだよな
なんつーかそれは、俺の行為に対して点数がついてて、点数を積み上げて自分で満足してるっつーか、けど人間関係は点数の積み上げで見える化して安心できるものなのか? って言われると全然そんなことなくて、前日めちゃくちゃ仲良くしてても翌日風邪気味で寝坊すれば朝はめちゃくちゃ仲悪くもなる。
うーん、なんだろな?
やってあげたやってあげた、許してあげたから俺はいい奴、それは違うんだよな。相手のために何ができるかとかそういうことでもない、人として当然のレベルで日常を共有できて、日々の楽しみとか悲しみがあればそれを一緒に味わえて、俺は一人じゃないって思えるってことなのかな
俺は一人じゃないって思えること、っていうのは、多分俺にとって人間関係に求める、大きな意味な気がする。喜びも悲しみも一人で感じるのではなくて、誰かと一緒に味わいたくて、関係性を求めてるんだと思う。たぶん。
まあでも、いうて、俺は妻と一緒になるまで、あんまり他者と交わってこなかった、それは一般より多少有意に劣るってレベルで著しいものではなかっただろうけど。大学の頭二年間講義以外は下宿先に引きこもって小説書いてたのとか、それくらいのレベルで。あんまり必要に思わなかった。
なんで俺はあのとき関係性を必要に思わなかったのか、ってのはある。小説書いてたからかな? 成人式出たとき、ひとりでいすぎてマジでコミュニケーション取れなくなってるって気がついて、なんか怖くなったんだよな。死ぬ怖さみたいなのを感じたんだよな。
ひとりではないって感覚、みたいなのは、うーん、思いつきだから、それが、関係性の主目的? 目的っつーか、関係性 is ...みたいなものなのか? と言われると根拠はない。俺は何に悩んでるのかな? って言われても、ジャストでは答えられない。
人間関係ってなんなのか。俺は他者と交わる中で何をしたいのか、っていうか。なんで他者と交わるのか、他者と交わる上でのルールとか、なんだろ、
まあでも問いが曖昧な問題こそ重要な問いだから、こういうことをかんがえられるってことは俺の精神力はかなり回復してるってことだな。半年育児休業とってると、流石にメンタル回復するな。
ってことは仕事の人間関係はきつかったのかな?なんでだろ? どう接していいのか分かんなかったのかな。分かれば適切にやれるかな。
責任の概念が分かった時は、仕事やりやすくなったよな。
当たり前っちゃ当たり前なんだけど、人間関係、一緒にいてgoodって言われれば嬉しいし、badって言われれば悲しいんだよな。ん? そうなのか?俺は人からgoodって言われたくて人間関係やってんのか? goodなときは関係性強くなるし、badなら消える。人間関係はそれ自体のために行われるのか?
けど、人間関係ってそんな受動的なものだけではないよな。俺がgoodって思うこともbadって思うこともあるよな。嫌な奴に好かれても困る、それはありそう。
あとさあ、人間関係で嫌な気持ちになることあんじゃん。なんかこじれた感じの。ああいうとき、たぶん人間関係に関するスキーマが崩れてるんだよな。別のスキーマが働いてる気がする、経験として。なんか別の、たとえば権力関係的な捉え方とかがインターセプトしてんだよな。スイッチはいるんだよな。
あーそうか、昔妻からイベントとか誘われて、乗りはするけど主体的にはならないみたいなケース多くて、これって、わざわざ隣まで来て「俺はそれほど」っていう行為なんだよな、お前とは一緒にいられないわ、みたいな。お前はひとりだよ、みたいな。
無理やり今風にいえば、シェアすることなんだな。どちらも主体ではない? っていうか、場をつくる、あー妻もよく場、って概念出して来てたな、同じかは分からんがそういうことなのかな。
まあそら個人主義的にひとりで楽しみだしたら、一緒にいる必要ある? ってなるよな。俺はこれ、自分の楽しいことはして、けど一緒にいる、何が問題なのかな? って全然わかってなかったけど、うーんというか、なんだろ? 人間関係の時と、自分の時が分かれてたっていうか、けど実際は人間関係と個人は別に相容れない二律背反ではなくて、同時に起こり得る、自分のことしながら人間関係もできる、楽しく自分のことしながら共有もできる? いや単なる思いつきだけど。
これうーん、いや例えば個人でしかできない活動ってあんじゃん、小説書くとかは最たるものじゃん。あとシェア、いわゆるSNS疲れみたいに、なんでも共有する、みたいなのは、変な気も。適切な距離感?あらゆる適切さ論はクソ。何故なら馬鹿が持ち出す論法だから。
あとこれ、もちろん怒りの問題とも接続する。怒りを訴えることは、うーん、かなり、対立して共有が難しいこと、について共有しようとする試み。あーだから怒りは幸福と似てるのか。けどここには諦めもあんのか?いや諦めのある怒りもあれば諦めのない怒りもあるよ。それは別の軸だ。
個人の時間をお互いに持つことと、時間を共有すること。象限の両極ではなく、異なる軸。どゆこと?つーか個人の時間を持つってどういうこと?共有するって?
うん、人間関係が、私はひとりではない、ってことのためにあるなら、共有する内容は色々あるよな。物質とか空間とか時間とか、もしくは感情とか。ひとりでない、一緒にいる、って思う、それはあー、感情移入か? 動機と行為を共有すること。けどこのレベルでなくてもいいよな。個人の活動について共有しようとするとき、別に一緒に行為する必要はないだろうし。俺のこのつらつら考えるやつも、うーん正直、まとまるまではひとりでやりたいし。まとまって、納得して、整理ついた上で聞いてみて、リアクション貰えると、嬉しいよな。中途半端なところでリアクションもらっても、自分の立ち位置がわからない状態だから、相手の言葉も浮いちゃって、座りが悪くなる。
この時点では、へーよかったねとか、その程度で十分嬉しい。俺に何か楽しみがある、それを言えて、共有できて嬉しい。
けどこれ、共有って単に俺の気づきだから、それを第一義にするとコミュニケーションの際に全然共有得られず勝手に悲しくなるよな。そら人の気持ちなんて他人からは分かるわけないわけで、常に同期させられるわけないじゃん?
あ〜〜分かんねえな、責任とかのときは、あれは俺の態度の問題だったわけじゃん? けどコミュニケーションとか人間関係は、そこに求めるのは他人態度じゃん? うーん、自分の基準を持って相手が合致しなきゃ結べませんねの契約スタイル? そこ詰めていくこと自体?
たぶん人間関係の難しさは、俺にとっての難しさはここが大きいのかな? んなもん腹決めるだけやろが。
幸福追求権の話の中に責任範囲と同じく、今回の関係性の論も含まれる。
どう位置づけるか?
幸福の構成要素に関係性もあるし、関係性を語るとき、あたかも利他的な?態度をとることもある。(利他的は適当)
関係性になにを求めるか? って目的論は、関係性を求める、って前提に成り立ってる。
対象と方法の整理
●人間関係
・問い
分かんねえ、人間関係
・適当見立て
俺はひとりじゃないと思えること。のために感情を共有すること?
・論点
①今まで考えてたのは、点数かせいでどれだけ自分に非がないかを示せるか。
②問いが曖昧、チャンクダウンしてもいいかも。
③職場の人間関係できつかったのは何? 飲み会とか雑談とかが苦手
④人間関係、当たり前だけど一緒にいてgoodなら嬉しいしbadなら悲しい、goodなら人間関係強くなる。
⑤けどそんなに受動的でなくてもよいのでは。
⑥人間関係のスキーマ。こじれると別のスキーマが働いてるのでは?
⑦自分の中での位置付け。幸福追求権の話と人間関係は同じものさしの両極ではないのでは? 幸福の構成要素に関係性はあるだろうし、別に自分の好きなことさえやってりゃいいとはいえ、公正の問題とか、暴力の問題とかを避けて通れるわけもない。
⑧
⑨
⑩
議論の進め方
・スコープの設定
似てるけど違うものを上げていって、なにを話したいか浮き彫りにさせる。
例えば責任範囲も人間関係に含まれる議題。けど今回は違う。責任範囲の話は、自他の境界の話で、他人を傷つけずにどう接するかって話。今回は傷つけないとかではなく、もっとこう、よりよい関係性みたいなもん。他人との接し方ではなくて、親しい人との、なんだろ、まあ妻とどんな関係性を築いていくか、なんだよ結局は。んでそこから波及して一般の対人関係とか。
昔は妻との関係もシンプルで、そりゃ子無し時代は一対一で、背負い合うものもなかった。今は子どもを二人で育ててるし、子への責任を分担する。そうでありながら、ビジネスライクになりきる関係性ってわけでもない。単に利害関係で語れるわけではない。
これは単なる幻想で、子どもを持った時点で関係性はビジネスになる、ってのもあるかもしれんが、それは、放棄くさいので今は考えない。
なんつーか、うーん、利害関係もあるけど、単にそれだけじゃ一緒に暮らしていくのは難しいわけよ。割り切ってやってくのは難しい。コミュニティの維持のためにも相手に愛着持ってないと難しい。?
妻とどのように接するのか。他人じゃないんですよ。ビジネスライクにはいかないし求めてもない。日々のことだし、楽しくいたいしいてほしい。一緒にいたいなとお互い思える。損切りを考えるような関係ではない。
他人ではない親しい間柄の付き合い方。
・あらゆる程度問題はクソだから極論で考える
量的問題より質的問題
大切にされている実感。それがないと関係性は難しい。
場について
なんつーか、場の問題、ってのがある。これは関係性みたいなのと同じ。ふわっとした定義。
俺の基本的なスタンスは、人間は自分のしたいことだけをして、それが他人とぶつかるなら都度都度契約してこなせばいい。っていうアルゴリズム。
自分の幸福を追求して、そこを他人と共有・契約して、みたいなの、自分で自分を生かすための方法論なんだよな。そりゃこの論は、人の最小単位は個人であり、その個人の幸福に妨げになる集団なら個人は集団を抜け出せばよい、んで個人の幸福を追求せよ、みたいな話だから、そりゃ場には適さないんだよな。人間の最小単位は個人であり、その個人の幸福の追求は何者にも妨げられるものではない、問いはその本人にしか重要性がわからないんだから、個人が他人の意思に関わらず幸福を追求すべき。みたいな。場が場であるためには、そこに含まれる個人たちを連合させるだけのコストは必要で、幸福の追求を地でやろうとすると、あくまで検討されるのは自分にとっての幸福感であり割に合うかで、そこがダメなら場を解散に向かわせる。それに場に参加する他人がどうとかそういうの考えない。契約を前提にしてるから。
契約とか、他人の離脱リスクを計算に入れて幸福感を、みたいなのは、実際俺には無理で、幸福感は自分のものしか測れない。
場を運営するときは、積極的にその場に対してコミットしていくべきで、なぜかというとそうしないと場の問題は掴めないから。
あと、契約の世界だと、うーん、自分がそこにいるメリットデメリットでやってると、ひとりではないとかそういうことが見落とされる。自分の問いに答えているとき、他人の問いは見落とされる。そもそも他人の行為を計算して、みたいなのは無理な話だし、成り立たない。
だから、場に対しては常にコストを払い続けなければならない。関係性に対して努力し続けること。うーん。
Twitterで中学生に説教したらブロックされたので供養する
どもです。Twitterで中学生に9ツイートくらい使って説教したらブロックされました。せっかくなのでここで供養する。
経緯
ブロックされてるから中学生のツイートは見れないんだけど、内閣府が差別を助長する文書をだしてた件について、その中学生がアホなことをいう、みたいなのがあった。
[超重要] [拡散] 差別デマを拡散する内閣府のプロパガンダ装置 - ロジ・レポート https://t.co/1gs6QzzKGL これ、超燃やし案件ですね。内閣府は『WiLL』とか『HANADA』とかと同じ。いいかげんこういうのを許すのやめよう。
— C.R.A.C. (@cracjp) 2018年4月30日
元ツイート消されたけど、ここで中学生が政府への差別みたいなことを言う。
#パワーワード 「政府差別」 https://t.co/1wXOwT7fub
— C.R.A.C. (@cracjp) 2018年5月1日
そして俺が脊髄反射でリプ飛ばす。この時点では内閣府が差別扇動してるって記事に対して「政府差別」と言ってるとは思ってなかった。
差別は社会的な抑圧なので政府には起こり得ませんよ
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
これに対して中学生からネタにマジレス乙的なリプ。再現すると、
その点については理解しております。
∴政府への差別は起こりえない
∴ゆえにこのツイートは冗談である
とまで伝わればよかったのですが、伝わらなかったのは私の技量不足によるものです。
なんか小難しい表現を使ってて虚勢張ってんのが見え見えだったのでどんなやつなんだろと思ってホームを見に行ったら農作業してる中学生だった。
オッ田植え頑張れよッ
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
世間話が始まってしまう。
(元ツイの人関係ないから会話から外した)
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
堆肥の運搬かあ、重そうやね。最近暑いしおつかれさま。むかし父親が肥溜めに落ちてたわ。中高生生活とツイッタランド楽しんでな。
中高生を見ると(赤ちゃんじゃん…!)ってなっちゃうヨ
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
かわいく思えてきたのでフォローする。相手もフォローしてくれて相互フォロー状態になる。
モヤモヤしだす
別件でモヤモヤしだす。中学生のホームをスクショで晒して日本教育の失敗とか言ってる人がいて、お前が教育する側だろうがとイライラする。
なんかモヤモヤすんな
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
政府への差別〜とか言ってた中学生にわざわざリプ飛ばして「教育の失敗!」とか言ってるヤツがいて若干モヤるわ。相手はまさに教育の過程にいてさ、だったら社会の構成員である俺らも教育を施す側なわけでしょ。なのに教育の失敗!とか言いながらその中学生のホームスクショして晒してんだよ。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
お前はどの立ち位置から発言してるわけ? って若干思うよな。ある程度裕福な中学生なんて親の庇護下で暮らしててさ、去年残業しすぎたから所得税が高えとか、住んでる自治体の社会保障がショボいとか、そういうなんかせせこましいけど切実な生活の悩みなんて全く知らないわけじゃん。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
なんか、政府の擁護に向かったりマスコミ批判とかあるでしょ、俺が中高生だったころだって、政権交代前のアベ政権はそんなに非難しなくてよくない? とか思ってたよ。今は早く総辞職しろとしか思わないけど。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
んでさあ、そういう生活の悩みを知らずに典型的に権力を擁護しちゃうある種バカ正直な中学生に対してさ、自らの教育への立ち位置とか全く顧みずにホームスクショして晒して対岸の火事とばかりに嘆いてんの、なんかスゲエもやもやすんだよな。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
別にその中学生が酷い罵倒うけてるわけでもないし勉強代だとは思うけど、でもなんか中学生叩いて偉そうな顔で「ハァ〜〜これだから日本の教育は」みたいなの、何中学生使って精神的なオナニーかましてんだって思うよね。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
いやまあその中学生は中学生でそのあとクソみたいなリプ他人に投げてるからクソなんだけど、安全圏から日本の教育を憂いてるやつがムカつくんだよな
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
これは男子学生だからこうやって丁寧に指摘してもらえてるって話だったりする? 女子学生だったらもっと激しく晒されてたりする? そういう観点はあるかもしれん
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
しかし中学生でオナニーするやつムカつく、こういう精神的なオナニー行動、世間で全く正当な行為みたいな感じで苛立たされるから余計にイライラしてんのかもしれん
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
とか言ってる間に中学生の言動にオタク差別がなんだとか俺もあなたたちから差別されてるとか、差別を茶化す目に余るものがあった。あと当初の政府差別発言も、中学生の虚勢を信じるなら差別を茶化したものだし超えちゃいけない一線。これは説教やろな、と思い始める。
ミニマムなことで怒ってる間に差別自体を茶化し始めたからもうダメだわ
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
ここから説教
んで説教する。
差別茶化すのやめろ。恐らく賽の河原に終わることをクッソ丁寧に説明するけどな、差別の問題はさっき言ったように社会的な抑圧で、社会全体からお前たちは殺されても当然だって宣言されることなんだよ、そういう扱い受ける気持ちは差別受ける当事者になんないと分かんねえんだよ。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
そういう分かんない苦しみがある中で相手の切実な問題を茶化すのはやめろ。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
オタク差別だって言ってるけど、オタクが各所で叩かれるのは差別的な表現をネタだっていって軽々に扱うからなんだよ。相手の生死のかかった問題を茶化すのは、お前の生死は笑い飛ばすほどの問題だってメッセージなんだよ。
さっき差別問題の記事に冗談飛ばした態度がそれそのものだろ?
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
たとえば正直俺も艦これサービス開始した時はのめり込んでやってたけど、あれ余裕で差別表現かますだろ、特に二次創作とか動画サービスのコメントとかだとそうだろ、
そういう差別をかますジャンルになっちゃってる以上だれかの切実な問題を笑い飛ばす奴らだって思われてんだよ。だからみんなからキレられるんだよ。本当に艦これとか好きなら作品から差別的表現消せるくらいまで愛せよ。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
たぶん艦これのどこが差別なのかって思ってると思うけどああいうのは女性差別なんだよ、まだたぶんピンときてねえと思うけど、たぶん君が幸運に恵まれない限り30歳過ぎてもピンとはこないと思う、かくいう俺も分かってねえ。さっきも言ったけど差別の苦しみは当事者じゃねえと分かんない苦しみなんだよ
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
それは日本で「日本人」の男に生まれた時点でたぶんずっと理解できないんだよ。図書館で本借りてきてとか言ってる人もいたけど、本読んでどんな差別が具体的にあるのか調べたって、それを自分が受けたらって想像したって、結局ほんとうのところでは理解できねえんだよ俺らは差別うけてこなかったから。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
夜道でいきなり殴られる恐怖は夜道で殴られた人間にしか分かんねえよ。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
だから何が言いたいかっていうと、差別については俺もきみも絶対理解できないし、けど理解できない苦しみに対してどうにかこうにか誠実に対応してかなきゃなんねえの。
んでそれは少なくとも相手の生死が関わる差別問題について茶化したりすることではないだろ。今こんだけ俺が文字数費やして説明すんのはたぶんスゲエ幸運なことだからここで多少理解していってくれ、ふつうに生きてたら気づきにくいことかもしれんから。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
あとたぶん俺の言ってることも何かしら間違ってるからとにかく誠実に人と接してくれ。開成うけるくらい頭いいんだろうから分かんなくても分かってくれ。
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
中学生にクッソ長文のマジレスを送った、もう、なんだか
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
このあとブロックされて終わり。
なんつーか思うのは、差別の加害側に対して懇切丁寧になぜ差別がいけないのか説明するみたいなのは、トーンポリシング(丁寧に教えなきゃ聴く気にならない、って言って相手の主張をその内容に関わらず却下すること)に乗っかってるからダメな問題ではあると思う。ただ、うーん、俺は社会の構成員として、こういう中学生にそれは違うぞってちゃんとそこそこ丁寧に教えていく必要もあると思う。それは俺が日本で暮らしていく限り圧倒的に抑圧する側の人間で、受益者だから。差別される側が怒りを抑えながら懇切丁寧に説明するコストを支払う必要はないけど、俺みたいに差別的な状況の中でほんとうの意味で嫌な思いをしない人間が、ちゃんと説教するのは必要なんじゃないかって。けど差別する側が言った途端差別が止む、みたいなのもモヤっとするだろうし、表面的に収まっただけ、みたいな問題もあるんだろうけど、うーん。
最後にオタク差別についてのまとめ記事があったので載せとく。
あとで読むかなんかしよ https://t.co/f95QBhRs5t
— 右肩ゲロまみれ@ホットクックを買え (@subwaypkpk) 2018年5月1日
復職したとき発表できそうなこと
どもです。今育休中なんだけど、復職したらどうせ部の人の前で何か得たものはないかと発表させられると思うのでそれのメモ。随時更新する。
発表案一覧
①人間関係について
産後クライシスで喧嘩しまくったこととそこで考えたこと。レジデンスとか。
②体力作り
筋トレ。
③育休制度自体
④こどもかわいさ
これはかわいいけど微妙かな。
⑤Python自習方法
teratailで質問しまくったけどそのとき気をつけたこと。
Python使って発表。息子への感情を分析
⑥生き方広く
考えていくこと。Python勉強したらテキストマイニングが出てきて心理学で勉強した統計学と卒業論文の小説の分析が繋がった。好きなことやってるとどっかで繋がる。自分の感性を信じるみたいなの、大切だなあと。
あと育児は続くと。
考える視点
①職場の人が勉強になること。仕事に活かせるもの。普遍的なもの?
流れ
育休中の生活。育児、筋トレ、Python、心理学、小説。
息子への感情を、楽しかったことをPythonで。
最後に好きなことをすること。
心理学的に見た、子供が生まれるということ。
備忘録180328ーーフェミのこと。
備忘。
フェミ的取り組みは男がやんないと意味がない問題。
①積極的関与と幸福の追求
積極的にフェミ的言動をとっていけよって姿勢と消極的にフェミ的言動に反することはしないって姿勢。人は人の問いに答えればよい、という基本的な原則に積極的関与せよは反するのではないか? って駄々こねてたけど。
いや人が人の問いに答えられないのが差別なんでしょ。相手からしたらんなもんはあ???って気分になるに決まってるよな。社会的なレベルの話をしたいなら間違ってるよな。
②個人的な話
んで、駄々こねてた理由だけど。だってフェミ的言動とるとけむたがれるじゃん。男が言うとモテたいみたいなことも言われるし、余計な口出しになるし、結局本当に俺の問題ではないから本人たちからは見当違いだって怒られるし。めっちゃ孤独じゃん。
けどまあみんなから好かれるためにやってるわけでもないからな。つーかみんなに好かれるより数人のソウルメイトいる方が俺向きだし。つーか人に褒められるためにやるわけではないし。自分のためだし。なら誠実に向き合っていけばよくね? 職場の人とかには、うーん、セクハラパワハラに立ち向かえよ論みたいになるけど、うーん、頑張る。
これ妻に話したら、②のところでだらだら言い訳してるのは不愉快、基本的に男は女と比べて立ち向かうリスクも少ないはず、という指摘があった。粛々とやっていきたい。