親です。

読んだ本とかについて書いてます

仕事と勉強のモチベーション/世界で一番ゴッホを描いた男/ストーリーを語ることの危うさ

モチベーション

舐めたことを言って申し訳ないが、最近勉強のモチベーションが上がらない。ちょっと前まではごりごりと勉強したるでな! という感じだったんだが、なんでだろうなと考えてみると、まあ、勉強と報酬のサイクルがこう、途切れたんだよなと思う。

どういうことかというと、今月の頭くらいになんか地味目の業務の仕事が来ていて、それで手一杯になる時期があった。加えて、これまた地味な入出力関連の調査をしてて、めちゃくちゃ一週間くらい詰まったのにも関わらず原因がクッソ基礎的な知識が足りてなかったから、みたいなことがあった。どちらも、ブログの記事にはできないし、けど時間はかかったなみたいな感じで、これで二週間くらいブログの記事も書けない時期があった。

なんか、俺はブログの記事単位で「俺は勉強できたぞ!」という実感を得ている感じがあって、記事にできない程度の調べごとだとモチベーションが保てなかったりする。いや仕事なんだからやれよって感じだけど、俺が俺なりに編み出したモチベーションの保ち方がブログだったということで、まあそれが今回うまく作用しなかった。

問題は今からどうやってモチベーションを高めていくかってことで、例えば今持っている調査の仕事はアーキテクチャ? っていうの? よくわからんけどAWSとかの外部のサービスをどう構成してシステム構築するか、みたいなところで、これがまた難しいんだな。理解してブログの記事にするには若干この手に余る感じあるし、そうなるとまたブログの記事書けなくって時間だけがすぎていく、作業しててもひたすら眠い、あーオネンネ.......みたいな展開が目に見えている。だから、うーん、調査の仕事の別の項目を洗ってみて、手に余らないところの勉強をするとか、もしくはこないだまで詰まっていたところをつまんないオチなりに記事にまとめてみたい。それ考えたらなんかモチベーション上がってきたな。そうしよ。

世界で一番ゴッホを描いた男

っていう映画を観た。Amazonで。

chinas-van-goghs-movie.jp

ドキュメンタリーなんだけど、すごく面白かった。公式のストーリーを引用すると、

複製画制作で世界の半分以上のシェアを誇る油絵の街、中国大芬(ダーフェン)。出稼ぎでこの街にやって来た趙小勇(チャオ・シャオヨン)は独学で油絵を学び、20年もの間ゴッホの複製画を描き続けている。絵を描くのも食事も寝るのも全て工房の中。いつしか趙小勇はゴッホ美術館へ行くという夢ができた。本物の絵画からゴッホの心に触れて何か気づきを得たい、今後の人生の目標を明確にしたいという思いと共に。 どうしても本物のゴッホの絵画を見たいという想いは日増しに募り、ついに夢を叶えるためにアムステルダムを訪れる。 本物のゴッホの絵画を見て衝撃を受けた趙小勇はいつしか、自分の人生をゴッホの生き様に写し合わせ、何をすべきか自分を見つめ直すようになる。果たして自分は職人か芸術家か。思い悩んだ趙小勇はある決断をする―。

まず、深センに絵の工房が集まる村? みたいなのがあるってのが驚きだったし、工房の中の景色が独特ですごくよかった。その独特な空間の中で、主人公はその道一筋で職人的に絵を描き続けている。作品のコピーが『職人か芸術家か』なんだけど、本当これみるとそこに境目なんてあんのかって感じで、確かに主人公は複製画を作り続けているんだけど、けどゴッホの作品に対する姿勢は誠実そのもので、アムステルダムゴッホの原画を見たときの目の真剣さは凄みがあった。 なんか、芸術家っていうとすげえ発想でとんでもない作品を作るぞいみたいな感じあるけど、本質的なところではどれだけある対象に固執できるかみたいなのがあると思う。少なくとも俺はそうであってほしいって思ってる。天才的な発想で、他人とは全く違う気質を持っているからできてしまうのではなくて、単にある対象にどれだけ向き合ったか、それが芸術を作るんだってのが、希望が持てる。そうじゃないと天才じゃない俺はもうだめぽってなるし。 話がずれたんだけど、えっと、あとね、主人公がゴッホの原画を見にアムステルダムにいくところもよかったです。そこで挫折をしたり、大酒しながら叶わない夢を語ったり、ゴッホの原画に触れた喜びと、ゴッホへの憧れと、ゴッホと自分の間にあるとんでもない隔たりへの悲しみと、いろんな感情がないまぜになってて、めっちゃよかった。こういうシーンが描きたいな〜〜〜って思った。何かに一生懸命になるのっていいなって思いました。一生懸命になるっていうか、他人から評価されたいとか天才になりたいとかそういうんじゃなくて、すごく素朴に描くことが大事なんだなって思わせてくれて、よかったです。

以上!!!

ストーリーを語ることの危うさ

…というのを今朝書いたんだけど、追記。 この映画について妻と話して、指摘されて、ウワーとなったんだけど、この映画は、主人公の自己実現的なストーリーが描かれる一方で、序盤から中盤にかけて中国の厳しい社会情勢とか、欧米からの経済的な搾取についても描かれている。たとえば主人公の描いた油絵はオランダの商人に売られるんだけど、その売った額の8倍とかの値段でオランダで売られている。主人公はめっちゃぎりぎりの生活をしてて、その中でマジで身銭をけずってゴッホの美術館を見に来てる。そういう、社会的なものもテーマとしてある。

ただ、こういう背景はストーリーの中で「乗り越えられた苦境」として描かれる。序盤にこういう苦境を描いて、ゴッホ見に行って、主人公は感動して芸術家として生きていこうと思う。

そういう主人公に感情移入して、俺もまるでこの主人公と肩を並べた気持ちになって、あーがんばろ! とか思ったけど、これはドキュメンタリーであって、主人公の状況は決して「乗り越えられた苦境」なんかではない。主人公はいまだ低賃金で油絵を書きながら暮らしているかもしれないし、俺はこうやってはてぶ書いてへらへら生きてる。

ストーリーは感情移入の手段だ。俺は物語について考えて、どうやって感情移入させるのかについて考えるのが好きでやってるけど、それがどんだけ危険なのかってことに全然自覚的じゃなかった。感情移入して気楽に明日を過ごさせることが全てではない、気楽に過ごさせてはいけないものもある、そういうの、心に刻み込みたい。

以上。

白鯨/キーボード

おつです。

白鯨

白鯨、クリヘムが主役やってたやつを冒頭20分くらいみただけで読んですらいないんだが、最近なんか白鯨面白いらしいじゃんみたいに聞いて読んでみたくなっている。ほんでKindleの白鯨を買おうかと思ってるんだけど、その過程で白鯨がモームの世界の十大小説に選ばれていると知った。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%8D%81%E5%A4%A7%E5%B0%8F%E8%AA%AC

まあ世界の、っていっても当時だから白人世界の十大小説なわけだけど、まあそんなことはとりあえず今はよくて、とにかく俺サマセットモームについてはなんかいいやつじゃんみたいに思ってるし、白鯨も面白そうだなと改めて思った。ついでにモームの人間の絆も読みたいなと思った。

なんか、俺まあいちおう文学部出身なんだけど、けど小説を切実に読んだみたいな経験ってあんまりないなと思う。白石一文を読んでたときはそこそこ切実だったけど、あれは寄る辺を探していたようなもんで、なんか違う。小説を読んで、ああこの人はこう考えるのかとか、描かれるものについてどんな態度でいるのか、また何を描かなかったのか、みたいなことを考えるような、なんだろ、まあやったことないから分からんけど、そういう読み方っていいなって思う。

こうやって思ったきっかけは、まあ妻なんですけど、妻は小説とかを読んだあとだいたい感想を聞かせてくれる。ここが良かったとか、こういう書き方は誠実ではないとか、色々。ほんでまた、彼女はどんな小説を書きたいのか、かなりはっきりしている。妻は彼女にとってかっこいい小説みたいなのがしっかりしてる。

ほんで、あーおれにとって、どういう小説がかっこいいんだろ、と思った。

どんな小説がおれにとってかっこいいのか。正直今まで俺は小説とか物語っていう概念が面白くて、そこの上に立ってる個々の小説には興味がなかった。いや昔はそういうの考えてて、なんか微妙なことを扱いたいとか思ってた。あと、ほっとくと、なんか雰囲気みたいな文章も書いてしまう。なんだかんだでキャラクターに依存して書いてるのかもしれない。

なんかそんなわけで、小説、ちゃんと読もうかなみたいなのがあり、白鯨面白そうだなみたいなのもあり、最近ちょっと小説がよみたい。しかし、Kindleに入ってないやつは読めない。困ったもんだね。

キーボード

あとね、Apple純正のキーボード買いました。良い。それと最近はデータベース周りの勉強してて、Djangoのデータベース周りとかも徐々に理解してきてるっていうか、単語の意味がわかってきてる。ここらへん記事にできそうなのいくつかあるので、勉強のモチベーション高くやってけそうで嬉しいです。こんなもんかな今回は。

以上!

この人生で70回目です。

おつです。

この人生で70回目です。

英語の勉強しよ…って思ったのが、です。

なんでかっつーとふたつエピソードがあるんですけど、今日息子連れて交差点で信号待ちしてたんすよ。そしたらなんか右の方から知らんおっちゃんが歩いてきて、路肩のネコジャラシを2, 30本むしり取って、それでワシャワシャーッと手を拭きながら「this cross is dangerous here!!」って言ったんすよ。交差点のギリギリのところに立ってたからもうちょい下がれってことだと思うんですけど、言われたときはおっちゃんの挙動と言葉が全然結びつかなくて、オ、アゥ…としか言えなかったんすよね。言葉返せないでいるうちにおっちゃんは信号無視してどっか行きました。

あとね、その後公園で息子遊ばせてたんですが、滑り台すべって降りたところで息子にしゅるしゅるっていったね〜とか話しかけてたら、後ろから「Hei!!」(※)って声かかって、5, 6歳くらいの女の子がすごい近くまで来て、息子の真正面で「He looks so cute!!」的なことを言ってくれたんですよ。息子は人見知りするので俺が変わりにサンキューとだけ言って、そしたら女の子にひげの剃り残しすごいぞって指摘されて、またなんも言い返せなかったんですよね。

両方とも、なんとなく相手の言った言葉は理解できたんですけど、マジでそういったのか確信が持てずアワアワしてるうちに会話が終わってしまったんすよね。

すげえ面白いアクシデント? ではあったんですが、できたらもうちょいコミュニケーションをしたいんですよ、サンキューとソーリー以外でなんか言いたい。確信持てないなら今ひげのこと言った? くらい聞き返したい。

まあでもいままで70回くらい英語勉強しようとして挫折してきて、なんでなんでしょうね。俺いちおうITエンジニアなので英語わかるメリット大きいんですけど、それでもできんかった。基本的に英語分からんくてもまあ日本語わかるし苦労せんわみたいなのあるし、なんだろ単語覚える過程は苦しみの連続だし、できるようになってもそれでやっとスタートラインみたいなところある。

英語、すらすら喋れたり読めたりするといいことずくめなの分かるんだけど、勉強を続けるための快楽が半年後とかにならないとやってこないのがキツいんだよな。他にも勉強したいことあるし、そっちはすぐに快楽が来る。そうなると別の勉強を優先してしまって、英語はおざなりになりがち。どうやったら続くんだろ。

関係ないけど最近思ったこと

カナダ人ってめちゃくちゃ親切で、もう単なる親切っていうより親切にする機会を伺っている節すらあるんだけど、こないだ信号待ちしてたら背後の右折車がクラクション鳴らして、待っててやるから早く渡れ! みたいにしてたんすよね。信号無視させてまで渡らせる、親切にする、ってのがすごい面白かった。(けどその後交通ルールめっちゃ調べた)

あと関係ないんだけど、俺軽く学歴コンプレックスあるなって最近思います。学歴ってか、俺はマジで頭いい人ではねえんだなって思う。

あとはねー、ちゃんとごはん食べなきゃなとか、保育園の見学に行ったら先生がすごくいい人だったとか、上遠野浩平の「恥知らずのパープルヘイズ」を読んだとか、そんなもんかな。

以上です。

※ hei!! のただしい綴りはhey!!

恥/愛国心

おつです。

恥ずかしい記憶

まあ誰しも思い出したくもない恥ずかしい記憶があるもんだと思う。ほんで、なんかこう甘酸っぱい系の、中高生のときに自意識過剰な行動をとってしまったとかそういうのは別にいいんだが、大人になってから自分の浅ましさが露呈してしまったみたいなやつはとてもキツい。俺にもそういうのがあって、まあ具体的には書かないけど、時々思い出してはお前はマジで浅ましい人間なんだぞ、と自分に言い聞かせている。

それと関連してなのかなんなのか、俺一家言あるぞ〜みたいな発言をするのがここんところキツくて、たとえば育児とか夫婦のこととかも含めてだが、気づきみたいなものを書けなくなってきた。

以前はそういうことをよく書いていたし、なんならブログにも書いていた。まあ今読んでもある程度面白いと思う。

コミュニケーションと権力関係について - 親です。

これとか(今まで死ぬほど紹介してきた自分の記事)。

なんか、俺はこういう自己啓発本みたいな記事を書いていた時期があって、それは24歳くらいの時期だけど、書きはじめた当初の何本かは今読んでも面白いなと思うところがある。けど、そのうち色気が出て、素朴な気付きではなくてこういう記事を書きたいと思って書き始めた頃からくっせえくっせえ文章のつまらん記事になり、恥ずかしくなる。

これ、前も書いた気がするけど、素朴に思ったこと書いてるときと、ちんちん勃起させながら書いてるときってやっぱちがくて、後者だと恥しい。単なるマスターベーションである記事を、なんだか高尚なものとして書くのはだめ。

今回も、俺の恥ずかしく思っていることを具体的に書こうと思ったんだけど、それは書くことでネタにしてしまおうみたいな気持ちがあるなと思って、書くのをやめた。そういうメタ的な視点を持てるんだ、みたいなのでごまかすのは良くない。嘘はだめ。

愛国心

カナダきて思うんだけど、こっちの人は愛国心? がすごい。地元のスーパーでCANADAって描かれたシャツとかが売ってる。それを見るたび、これ日本でやったらキモい右翼の店じゃんと思ってしまうよな、としみじみする。

まあでも、そういうノリがこっちでは一般的。アメリカとかもバカ売れしてる音楽でアメリカ最高〜みたいに言ってるし。

ほんで、まあこういう感覚って本当に分からないよなあ。少なくとも俺は分からんのですよ、日本スゲーと日本クソじゃん、どっちの方が口に馴染むかって言ったら後者だった。

ほんで、俺がそう思う理由はたくさんあるんだけど、それとは別に空気として日本はそこまで日本最高! とは言えない空気があると思う。なんか日本スゴイ番組はあるけど、あれは単に日本を介してオッサンが自分を褒めてるだけで、聞いてて加齢臭キッツと思うし、カナダのTシャツ作る的なそら国のことは好きやろみたいな感覚が日本にはない。

カナダ来てみて思ったけど、そりゃ日本一応GDP3位だし、市民文化の力も強いし、けっこうやるじゃんって。そりゃ誇りに思っていいところあるんだけど、けど無理だよな。アメリカなんてネイティブアメリカン虐殺しまくっとるし、中東でもアホみたいに人殺してるのにアメリカ最高〜!! って言えるわけで、それが許されるなら日本も日本最高〜!! って言えるやろ、とはなる。

けどそんな音楽はジョイサウンドでおすすめされたりしない。

これはそれとも俺の周囲がナチュラルに日本を好きだと言えないからってだけなんだろうか。すんなりオリンピックを楽しめる人が、実は多数派なんだろうか。実は日本最高みたいな歌をあいみょんとかが歌ってて、高校生はそれをカラオケに入れるんだろうか。

これってどういう違いなんだろうなあ。敗戦国だからこうなるのか、それとも平成の三十年間衰退し続けたからこうなるのか、はたまた単にアジア的な謙虚さがそれを阻むのか。

分からん。

(じゃあ日本愛しましょう、みたいな意図ではなくて、まあその愛しましょうみたいな他人と一緒に全体主義的にやらないと気がすまないのが違うんだよな。もっとナチュラルにこちらの人はカナダTシャツを着るから。なんなんすかねえ。)

慣れと不慣れの合間

おつです。日記だよ。

カナダ生活、慣れと不慣れ

カナダでの生活ももう二週間とかになり、だいぶ慣れてきたところがある。正直カナダ来たばかりの頃は街を歩いてても「外人さんばっかやんけ…!」と思っていたが、最近はアパートの前でブラックの17, 18くらいの子がサッカーボール蹴ってたりしても「オッ、サッカー少年やな!」と思う。

他にも、レジの会計とかはさすがにもうだいたい慣れて、普段通うスーパーのセルフレジならだいたい問題なくやれるようになった。売り場も分かるし、すらすらすら〜と買える。

逆に不慣れなのは、いやまあコミュニケーションだよな。大きな声でHi! みたいなの言えないし、なんか普通に話しかけられると曖昧な笑顔を返してしまう。先日銀行行って担当の人に世間話を振られたときもアハハ…みたいに返してしまって大変反省した。こちらの人はそれでも果敢に話しかけ続けてくれるから分かるところは適宜返したが、申し訳ないものだった。元々人と軽妙な会話をするのが苦手だが、できたらこのカナダ人のにこやかさに感化されたいものだ。

新居

そういや新居が決まった。教会の二階っていうと語弊があるが、新居の下の階が教会です。大家は神父さん? みたいなやつらしい。妻曰く、連絡を取るときのメールの末尾に、布教用のゲームのリンクが貼られているとのこと。ゲームで布教するってなんかやっぱこう宗教との距離感ぜんぜん分かんねえな! ってなった。身近なんだなあ。

新居自体は若干我々の手には余る感じもあるが、半分仕事場だしまあこんなもんかなとも思う。また、近所のコンビニの店主が東アジアの人間で良い。なんとなく、近所にアジア系が多いのかもしれない。前に住んでた人もアジア系で、大家さんはマイノリティに対してかなり理解がありそうだった。

カナダでの家探しは日本でのSUUMO的なのがなく、基本的に住みたいエリアを歩いて貸家になってるところを探すみたいな感じになる。だから、夏も盛りで厳しい今、幼い息子を連れて探すのが厳しくて、入居いいよ! と言ってくれたこの部屋にした。水光熱費が家賃に含まれてるかとか、家具付きかどうかとか、色々とほしい条件もあったが、なんだかんだ家主がどれほどこちらに優しいかみたいなところが決め手になった。あと教会の二階ってのがめっちゃ面白いなと思ってここがいいねとなった。

ニイハオマ!

アジア系といえばなんだが、まあ中国人と間違われる。そらまあコーカソイドからしたら東アジアのCJKの違いなんて分からんとは思うが、とりあえず中国人として扱われる。先日はついに道で息子がニイハオマ! と話しかけられていた。可愛がってくれてるのが分かるからツッコミはしないが、やはり心の中ではアイムジャパニーズ…と思ってしまう。あとニイハオにマつけたら疑問型になるんだろうか。

息子

息子、この2, 3日でめっちゃ歩くようになった。って動画を実家に送ったら息吐くように次はオムツだね! と言われてうるせえと思った。実家は大変面倒で、ちょいちょいLINEをブロックしている。

あと、息子氏最近食が細くて心配だったんだが、炊飯器を導入して日本米を与えたらガツガツ食べた。そゆこと〜? と笑顔になりました。

今回はこんなもんかな! おわり!

カナダ結構いいかもしれん

おつです。まあ連日書いてるんですけどカナダについて。

カナダ、良い

今日でモントリオールにきて一週間くらい経つんだけど、まあ総じてモントリオールはいいところだなと思った。ほんで、この感覚というか感想を忘れないうちに書いておきたいなと思う。

人と人との距離が近い

まあ思うのは街ゆく人々の雰囲気が良い。優しい。誰彼構わず話し込んでたりして楽しそう。頼り頼られということに慣れていて、俺なんて日本いたとき基本的に話しかけられたりなんてしなかったけど、モントリオールだと全然話しかけられる。

お店の人とかもすごく気さくだし、息子を連れていると可愛がってくれる。そういうこともあってか息子は最近めちゃくちゃ機嫌が良くて、店員さんにバイバーイと言ったりする。アジア系の外見してる我らの赤子がいきなり流暢にバイバーイというのでだいたいウケる。

あと妻も、カナダでは街で人に話しかけたり、頼り頼られということに抵抗がなくていいねというようなことを言っており、あーそうねえと思った。今日も道で困ってるっぽいおじちゃんとお兄さんの二人組に出くわして立ち話を(妻が)していた。妻は元々日本でも電車でおばちゃんと話しだしたり、近所の小学生と仲良くなったりということがあり、そういう一期一会的な? コミュニケーションや、他人に親切にするとかってのがすごく好きな人なんだと思う。俺も彼女のそういうところが良いなと常日頃から思うが、なんか、モントリオールの人たちもそういう一面があって、こういう場所で地域に受け入れられているって感覚を持ちながらやっていけたら彼女はとてもいきいきとしていられるんだろうなと思った。だからカナダでこのままやっていけたらいいなと強く思う。一方俺はというとコミュニケーションの落伍者なので全然喋れずにいるんだが、なんか、会話できないなりに人と別れるときとかにhave a nice day! って言えるようにしたいなと思うなどしている。

生活のレベルが変わらん

日本で売ってるものはだいたいあります。つーか、百均とかも普通にあって驚いた。飯も普通に美味しい石外食の値段も日本と変わらん。アジア系のごはん屋さんが多くてそれが結構楽しい。

リスがいる、蚊がいない

リスやら知らん鳥やらがいます。あと、モントリオールに来て以来、蚊に出くわさないので最高です。 ただしなんかでかくてキモい虫がいる。『ミスト』でスーパーマーケットのガラスにくっついていた怪物の元ネタだと思う。感慨深い。

東京のここが良かったな! と思ったこと

反対に東京のこういうところが良かったなと思うことも、もちろんある。地方のことは知らん。 ・バリアフリーがかなり進んでる ・服がたくさん売られている ・アパート借りるときにだいたい空調が完備されている ・自販機がそこかしこにある

とりあえず以上。更新するかも。

カナダ、めっちゃ暑い

おつです。カナダ生活もそろそろ一週間とかです。感想。

カナダ正直クソ暑い

カナダ、暑い暑いとは聞いてたんだけど、いうても涼しいんだろな〜って思ってて、ほんで来てみたらめっちゃ暑い。渡航直後に泊まっていたホテルを出て今AirBnBに泊まっていて、一般的な家には夏場の空調設備はないみたいでもうヤバい暑い。初日はがぶがぶ水飲んで、空いたペットボトルに水入れ直して凍らせて、各人ひとつずつ手元に置いてた。息子寝かせるときも氷ペットボトルを抱かせて寝かせた。2日目近所のウォルマートで扇風機を2台買ってきて家に設置しそんで暑さをしのいでいる。外は風がそこそこあるから影なら涼しいんだが、家の中は風が通らないのでどんよりと暑い。そういうわけで、暑い。

こんだけ暑いと息子の昼寝とかもできんだろなと思ってたんだけど、なんだかんだ息子はよく寝ている。というか、息子氏、カナダに移住してからすこぶる調子がよく、周囲の人々にも愛想がいいし、常にゲラゲラ笑ってるし、カナダがあってるんだなーって思う。時差ボケもあんまり感じさせず、まあ夕方4時くらいから寝てしまうみたいなことはあるんだけど、概ね元気にやっててとてもよい。

時差ボケ、体験するまでは夜間全然寝られないみたいなやつかと思ってたんだけど、というよりは朝早く起きてしまうとか、夕方にクソ眠くなるとからしい。実際妻は4時くらいから活動してて、夕方は眠くなってるみたい。俺は夕方の眠気がきつくて、15分だけ眠ろうみたいなのがとても困難になった。絶対3時間寝てしまう。

あとはなんだろな、新しい家の近くにはリスが出ます。なんなら街路樹にリスの家が何個も作ってある。あとカモメみたいなのが普通にいて、早朝に奇っ怪な声を上げている。奇声といえばときどきアッヒャッハーッみたいな感じで笑う人がいてめっちゃ面白い。それと歩いて十分くらいのところにはセントルイス湖があって、めっちゃおおきくてびっくりしてしまった。そういうところでは多少海外に来たんだなと思う。

けどほんと、前回のブログ記事でも書いた気がするけど、全然肩身の狭い感じがなくて、まあたぶん元々俺の生活が家庭内で完結してたってこともあるんだけど、日本人が周囲にいなくても寂しいとかはない。あーいろんな人種の人がいるって面白いなとは思う。別におもしろイベントがあったりしたわけではないけど、なんか、なんだろな、なんでだろ、なんか、なんでだろな???

これなんでだろな。なんで人種が多様だとおもしれえなと思ったんだろな、あと人種が多様だからってか、街が全然しらんところだとかも面白いなとは思うよな。まあこれ単に新しい場所とか環境であるということ自体が自分にとって心地よいのかもしれんな。

あーでも仕事とか勉強とかにはなかなか力が割けなくて困ってる面はある。疲れがあるし、眠いし、腰を据えてなにかやるみたいな環境を作れてない。そこはどうにかしたいです。

はい今回は以上。