今から父になるから俺の悩みを聞いてくれ。

子ども産まれるんで育児とか生き方について書きます。映画とか心理学とかITとかの趣味についても書きます。

なぜなぜ期の記事読んだ

どもmaximonelson49です。

 

なぜなぜ期の記事読んだ

ついに「なぜなぜ期」がやってきた!「なんで?」に答える3つの方法とは 【うちのこざんまい 第3話】|ウーマンエキサイト(1/3)

 

面白かったのは「なんで?」と子どもが描くときの子どもの気持ちについて。単にわかんないときもあれば、実は自分の答えがあるときもあるってのが、なるほどと思った。

「なんで?」と聞かれたとき、それに答えるのが親のすべきことじゃあないんだな〜〜と。答えたり、一緒に調べたり、逆に子どもの予想を聞いてあげたり。最後の聞くというのはわりと盲点で、けどこれができないとコミュニケーションとして一方向になっちゃってるし、子どもから教えてもらうことがあってもいいと思う。

 

(以下、家族関係を基にしたコミュニケーションスタイルと、個人主義的なコミュニケーションスタイルについてのわけわからん文章)

子どもに対してミエ張っちゃったり、親として!と意気込んでしまうこともたぶん子育てする中ではあると思う。ただ、親が教え、子が聞くみたいな固定的な関係では権力的なコミュニケーションしかとれないし、かつ子どもは親子関係を基に人間関係を形成する。何が言いたいかっていうと、親子関係とかいうクッソ特殊な例を基にその後の人間関係・コミュニケーションスタイルを構築すると考えるとき、古典的・権力的な親子関係はどうなんだろうね? と思うってこと。産んだ以上親は子どもの責任をとるもんだとは思うが、庇護下に置いたとしても支配していいわけではないし、そんな特殊なコミュニケーションスタイルを人間関係の土台にすんのはベン図書けない人かな? みたいな感じで頭が悪い。(権力的なコミュニケーションスタイルと対等なコミュニケーションスタイルなら後者の方が基礎というか、後者が前者を包含するかな? と思うので学ぶ順序としては後者⇨前者ってのが望ましいと思う。)

全然話題逸れるけど、親子や家族関係では、そのコミュニティでの全体最適を目指すために「お互い様」的な、お互いに責任を負わせたり負ってもらったりということが、ままある。つーか、親が子どもの責任を負う、というのが家族関係の根幹には存在していて(してるよな?)、その延長だと、兄が弟の世話をするとか、他人のために動く、みたいなのをナチュラルにする。で、これってどういうことかっつーと、言い方は悪いが他人の責任をとることとか他人に迷惑かけることこそがその関係性の良さを証明するわけだ。自由と責任の話で説明すると、責任を負いあう関係性では、相手の自由をある程度侵害しても許されるべきであり、となると相手を傷つけることが一種その関係性の強さを証明することになる。

で、そーいうところから出てきてんのが誰かを傷つけて(けなす、ばかにする)笑うスタイルなんだろうなと思う。他人を傷つけて笑いを取ろうとする人は、まだ家族的なコミュニケーションスタイルを獲得しておらず、個人として生きることを知らない。これは学びの問題なので、知らない人は延々そうするだろうなと思う。

んでまあ、もちろん家族の外に出たら責任と自由を共有するって手法は全然役に立たないし、イライラさせられることこの上ないので、まあ個人主義的なコミュニケーションを土台にしつつ、今後継続的な関係性を持つと契約した相手とは全体最適的な戦略を、個人主義的なコミュニケーションを用いて築いていくのが安定かなと思う。

まあそんなことを思った。備忘。

 

以上!