親です。

読んだ本とかについて書いてます

最近ちょっと一人暮らししてた

どうもmaximonelson49です。

 

一人暮らし

8月の頭くらいから妻が2週間くらい家をあけることになり、その間2年ぶりくらいに一人で暮らしてました。面白い変化があったのでメモ。

 

変化

●生活習慣乱れる

深夜まで起きちゃってたり、休日は朝9時くらいまで寝ちゃってたりしました。今まで自分は早起き好きなんだと思ってたけどそれは違くて、妻が起きたら一緒に遊ぶし、それまでにちょっとした家事や自分のことは終わらせたいな〜〜という気持ちがあったんだろうなと。他人がいるとスケジュールが組まれる、あるなと思いました。

●深夜に自分がいずれ死ぬことを考えて「ウワ〜」となる

これがマジで困ってて、ひとりになると深夜に自分がいずれ死ぬこと考えて怖くて叫んだりしてた。妻にもラインした。怖くて。分かる人は分かるし分かんない人はこういうのめちゃくちゃバカにしてくるから俺はそういう奴が大嫌いなんですけど、マジで怖い。人の怖いものバカにしてくる人、なんなんですかね。ゴキブリでも食ってろ。

発達心理的なところから言うと、「宇宙や死のことを考えて怖くなる」というのは(確か)5〜6才の子どもに見られる傾向で、そのうちなくなっていく。自分の子どもが死ぬの怖いと泣き始めたらたぶん一緒に泣いちゃうだろうな…と思う。できればわが子は死の恐怖を忘れてほしい。

 

関係的自己

 洗濯物とか通信制限とかはまあ実際的な問題としてあるとして、生活習慣の話。これが結構意外で、自分は生活習慣を正しくするのが好きな人間だと思ってた。スケジュールとかちゃんと組んだりね。

ただよく考えてみればこういう勤勉だったり予定を入れたがる姿勢というのは、思い返せば妻と会ってから形成されたものだと思う。

で、こういうのを考える時に思い浮かぶのが関係的自己理論ってやつだ。これは一般的な自己概念が「普遍的なものとして私がどのような人間であるか」を語るのに対し、「他者との関係において私がどのような人間であるか」について語る。自己概念はこのように、普遍的な面と、他者との関係からなるものが合わさってできている。

今回の例だと、俺は今まで自分自身のことを勤勉であると思ってきた。が、これは妻というかなり密度の濃い関係性の中で作られたものだった、ということ。

これを俺は面白えなと思うんだが、なんでかっていうと、俺自身こういう社会的な自己像より、個人の中で統一性を持たせるような自己像の形成の仕方を意識的にやってきた人間だから。

どういうことか。今まで俺は自分のやりたいこととか、今後どうなりたいとか、自分は何が好きで何が嫌いで、今までやってきたこれこれはこのように今に繋がっていてとか、そういう風に個人の中で自己の統一を図ってきた。行為から自己の内面を推測して、そこに固有性を仮定してたわけだ。

だが、こういう風に関係的自己像をまざまざと見せつけられると、自己概念のまだ捉えきれていない部分が分かり、面白かった。これ逆輸入して小説にも活かせないかなとも思う。

 

あと関係的自己理論自体のことを喋ると、この理論はつまり、相手がいなくなるのは自己の一部が消えるのと同じってことだ。そら辛いわな。かつ俺のように、他者(妻)との関係性の中で得た特性を、狭義の自己概念の一部だと勘違いしてるとなおさら辛い。ちなみに「社会再適応評定スケール(Hojmes & Rahe 1967)」というストレス要因についてランク付けした指標があるんだが、1〜3位を「伴侶の死」「離婚」「別居」が占めている。こういうのも、関係的自己を支持するものではあると思う。

また、自己概念をハックすることもこれで可能かもしれない。変えたい自分がいるなら、その自分を形作る他者と絶縁すりゃいい。自分を変えたいなら人間関係か住む場所を変えろ、とは上手いこと言ったもんだと思った。

 

 以上。