親です。

読んだ本とかについて書いてます

小説について最近思うこと

どうもmaximonelson49です。

 

小説を昔書いてて

どうでもいいんだが、昔小説を書いていた。受験の二次試験が終わった日から、たしか大学四年の夏まで書いていた。先日Excelショートカットのクソ記事を書いて、もう就職して2年半だと思い出し、つまりは小説を書かなくなってから3年経ったんだなと思った。3年半書き続けて結局箸にも棒にもかからなかったが、けど3年半毎日2時間なりを使って小説を書き続けたというのは、今でも自尊心の根底を作っている。

あと半年で小説を書かなくなって3年半で、書き続けた期間より書かない期間の方が長くなる。もう少ししたら育児休業に俺は入って、育児休業中にまた小説を書けるんじゃないかと淡い期待を抱いているが、まあ育児っていう24365の仕事を思えば普通に無理かなと思う自分もいる。育児なめんな、と一年後の自分が過去の自分を思ってブログを書く、ということもありそうだ。

 

 とここまできて、なんかスゲーおセンチ(死語くせえ)な文章を書いてるな、もう消そうかなと思ったけど晒す。なんでこんな文章書いてるのかというと、知り合いの妹さんがなんか音楽でメジャーデビューしてて、しかも聞いてみたら普通にいい感じでヘビロテしてしまっている。別に自分は音楽やってた身ではないのでそれほど劣等感抱かないんだが、俺にも昔取った杵柄ってやつがあったよなああ?! という感じで小説のことを、なんかちょっといい感じの雰囲気するよね? みたいな文体で書き出したわけだ。

(しかし小説を語る時に「文章力」みたいなのが頭にくる時点でなんも考えてねえしマジでクソだ。あとどうでもいいが最近ミュージシャンと間違えられることが多い。サラリーマンです。仕事はできません。)

少し前置きが長くなったし自分に酔ったが、まあ大学3年半とその後妻と過ごしたりサラリーマンやってた3年で、小説について少し考えたことがある。以前から書こうと思ってたし、いい機会だからそれを書く。何かっていうと、小説を書こうとした時点で小説は書けないって話だ。あと最近小説読む気になんねえな、って話。

 

「小説」を書こうとした時点で小説を書くことはできない

なーに言ってんの、って題目だがこれは以前妻とはま寿司でメシ食ってたときにふたりで納得した金言だ。「小説」を書こうとした時、わたしの書こうと思った小説は死ぬ。ここで括弧で括られているのは、それがいわゆる「小説」を指すものだからだ。

いわゆる「小説」というのは、世の中に流通する小説であり、たとえば基本的なところかはいえば文頭を一文字下げるとか会話文には括弧をつけるとかに始まり、そこには物語性がなければならないとか、面白さがなければならないとか、そういう一般的な概念性(?)を持ったもののことだ。そこらへんの人を捕まえて、これは何ですか? と聞いたら小説じゃないですか? と答えるような。

んで、これを書こうとした瞬間、小説は書けなくなる。勘違いのないよう言っておくが、いまだかつて誰も書いたことのないようなものだけが真に小説たりうるのだ、という話ではない。これはたんに対称性の問題だ。わたしが小説を書こうとしたとき、はたしてわたしは何をしたいのか?という話だ。

それは本当に、人それぞれの目的があると思う。そして小説はその目的に対して適合的であるべきだ。わたしが小説を書くとき、わたしは小説を通じて成し遂げたい目的や問いを解決する手段として小説を扱う。つまり、小説というのはその目的や問いかけへの対称性が重要なのだと俺は思う。わたしとあなたが小説を書こうとしたとき、その思い浮かべるものはお互い異なる。なぜならわたしとあなたの思い浮かべる小説は、本来異なるもののはずだからだ。そしてあなたの小説の観点からわたしの小説が貶されたとしても、それをわたしは一向に気に留めない。なぜならわたしとあなたの書こうとするものは異なるからだ。

んで、冒頭に戻るが、いわゆる「小説」を書こうとしたとき、あなたの本来書きたかった小説は死ぬ。わたしたちは自覚的であらねばならない。自覚的であり、小説を書こうとしなければならない、と思う。

 

小説の価値

んで、それと思うことなんだが、小説の価値ってなんなのか。最近俺は正直小説が読めなくなった。なぜなら、知恵をつけたいなら専門書を読むし、エンタメしたいならNetflixを見るからだ。

小説は、何かを伝えるメディアだと思ってきた。しかし、そうだとすると、なぜ小説が物語の形式をとるのか、ということには疑問が残る。物語の形式をとる以上、何かを伝えたその結果がたんなる印象に止まらざるを得ない感がある。本当に伝えたいなら、論文でも書けばいいだろ、と思う。まどろっこしいことを言わずに構成を明らかにして結論を論旨の中に含めて書け、と思う(そういや新人賞のあらすじは結末まで含めて書かされる)。だから、最近は小説を読もうと思わない。小説が単なるエンタメである限りは、俺は小説なんて存在する意義はないと思う。映画の方が100倍面白いからだ。それに2時間そこらでまとまった内容を扱える。小説のいいところは遅読の俺にとって安いってだけ、そんなふうに最近は思う。

 そんなふうに小説に対して苛立っていたら、故ウンベルト・エーコが面白そうな本を出していた。冒頭に俺と同じようなことが書いてあり、だよな〜〜と思った。読んだら感想を書く。

 

ウンベルト・エーコの小説講座: 若き小説家の告白 (単行本)

ウンベルト・エーコの小説講座: 若き小説家の告白 (単行本)

 

 

以上。