親です。

読んだ本とかについて書いてます

独立系SIを退職した

おつです。
タイトルの通り、新卒から約3年半勤めた会社を辞めました。退職する前は退職エントリを書くのが楽しみで楽しみで仕方がなかったんだが、いざ退職してみるとそんなに面白いか? と正直思ってしまう。そういところ含めて、俺の所属していた会社がどんな会社だったかとか、退職のきっかけとかを書いておこうと思う。
まあ、だらだらと、前職こんなことあったな〜〜って書いていきます。

前職について - 独立系SIとは

俺が前職でどんな会社にいたかというと、まあSI(システムインテグレーター)だ。

システムインテグレーター(英: Systems Integrator)は、個別のサブシステムを集めて1つにまとめ上げ、それぞれの機能が正しく働くように完成させるシステムインテグレーション事業を行なう企業のことである。

システムインテグレーター - Wikipedia
平たくいうと、他社のシステム作ってるIT企業で、かつサラリーマンっぽい人たちの会社です。(昼休みにしょげ返ったアラサーが首からIDカード下げながらファミマで『喫茶店ナポリタン』片手にレジに並んでたら大体そいつはSI勤めてます。)
俺はそのSIの中でも独立系と言われるどころに勤めていた。独立系以外のSIはだいたい親会社を持っていて、その親会社のシステム部門がひとつの会社となってSIをやっているケースが多い。それに対して独立系SIは最初から他人のシステムを作ることで会社を始めている。
察しのいい人は分かると思うけど、他社のサービスを作るために応援に行くのがお仕事であり、俺はデッケエデッケエ派遣会社だなって思ってた。ゆえにブラックも多いと噂されるが、幸い俺の会社(現場)はソコソコホワイトでした。理由は後述。

前職での思い出

前職での思い出 - 典型的なヤベエIT像

やっぱり、思い出として残っているものはほとんどがキツかったな〜〜というものだ。前にもブログに書いたけど、会社の近所のコンビニより長時間働いたり、あまりに仕事が辛すぎて常に涙が滲んだり、疲れのあまり会社の周りに大根のツマを撒き散らしながら練り歩いたりした。これは全て一年目のときの記憶で、一年目が一番ヤバくて、辞めようと思って、思い返して面白かったなと思う。
他にも印象深いことはあって、中でも銀行のプロジェクトがやばすぎて色んな人が応援にぶち込まれた、みたいな話は面白かった。
前職は昔は年間5人くらいが謎の心臓病で急死したりしてたらしいんだが、その反省か月とか年間の残業時間に上限があった。それを超えると以降残業が一切できなくなる上、本人と上司でこの先どのように残業をなくすか話し合って人事部に書類を提出するみたいな制度だった。 この制度自体はよいと思うんだが、ひとたびプロジェクトが炎上すれば残業上限を超えてしまうことはまああって、そのいちばんヤバかったのが某銀行のプロジェクト。俺の所属部署からも応援で引き抜かれる人が何人かいて、その人たちは全員、応援先で残業上限を突破しもうこれ以上残業のできない身となり帰ってきました。最も残業の多かった人で、残業時間が320時間にのぼったらしい。ちなみに1日は24時間。
ここらへんが、まあ典型的なSIやってるIT企業像のところ。ブラック話は(話題性が先走りすぎるからかエンジニアの間で嫌われる傾向にあるけど)、俺は大好きです。他人の話であるうちは気楽。もちろん、こういうのは一面でしかない。

前職での思い出 - 良かったところ

ここからは良かったなあと思ってるところ。
ブラック企業じゃない
ひとつめは、典型的なブラック企業ではなかったということ。
たとえば残業代はきっちり全て請求して払ってもらった。有給や定時退社は全社的に推進してて、むしろ取得すると評価の上がるシステムだった。資料の持ち出し禁止とかカードキー制度とかもあって、隠れて残業すんのも無理だった。あと男性の育休取得がスムーズにできて、周りからも温かく送り出されたためほんと安心した。(ただしそのあと俺が辞めてしまったので、なんとも申し訳なさがある)
なんか、人づてに聞いた話だが、IT系は新しい業界なので、残業代とかは比較的ちゃんと出るところが多いんだとか。大企業で残業代を出さないのは別の業界に多いっぽい。
・(ウチは)現場の雰囲気がよかった
ふたつめは、上ともかぶるが、現場の雰囲気がかなり良かったということ。
独立系SI、ブラックになりがちと言われるが、これは正直客によると思う。特に金融系のシステムを作る場合は客先常駐が多いが、その場合お客さんの文化にかなり影響を受ける。俺の働いていたところはお客さんがホワイトでそこそこ有名だったためか現場もゆるかった。教育もまあ人並みにはちゃんとしてて、聞けばちゃんと教えてくれるから俺みたいな文系卒のSEにはありがたかった。
・業務レベルが成熟している
この作業はこうやる、みたいなのが成熟していた。とくに資料作成系はしっかりしてる。パワポwwエクセルwwって馬鹿にされがちだけど、綺麗な資料をぱっと作れるのは大切なことだ。特にエンジニア以外と喋るとき、資料がちゃんとしてると一目置かれる感じがある。
プログラミング言語とかは独学できるけど、仕事の進め方とかのソフトスキルはマジで独学しにくい。どういう文化で仕事をやってきたかが反映されるので、SIみたいなところで仕事の進め方を学びつつ、個人開発で腕を磨くのは普通にアリだと思ってる。
あとテストの厳しさとか、プロジェクトの進め方とか、コーディング規約とか、そういう本当に成熟した現場を見れたというのは大きかったなと思う。個人開発してから、自分のいた現場の当たり前品質の高さってのを知った。
・クソコードへの耐性が高まる
50年前のコードとかいじることもあるので、クソ長いコードとか、テストが真っ赤なコードとか、本当に何やってんだかわからんやつに当たることもある。一年目は心折れていたけど、もう今は地道にやるしかないと諦めて検証する自信がある。このタフさは得られて良かったなと思う。おかげでDjango自体のコードも頑張って読もうと思える。

前職での思い出 - 伝統的企業

前職、ソコソコの歴史はあるので伝統的な企業みたいな一面もあった。
たとえば社員旅行で役員が新人に張り手するパフォーマンスがあったり、部長職の人間が女性社員に対して「女性は伸び悩む」などの言動をしたり。役職持ちは現代的な良識と言動をしなよ、と思う。 もちろん、ここらへんは「温かみ」ある現場と背中合わせなもので、なんだかなあと思ってしまう。

やめた理由

こっからは転職の理由。

子育てとやりがい

育児休暇はいって思ったんだが、子育てしてるととにかく忙しい。時間がねえ。んで、そういうとき、今後の人生でやらないであろうCOBOLの仕事に時間をとられるのはドチャクソストレスになるのは目に見えていた。
んで、配置転換をお願いしたんだがまあ通らず、そうこうしてるうちに他から声もかかったのでサッサと転職決めてしまった。転職先は小規模な会社のIT担当者。Python使えるしフルリモートだし来年カナダに行くのも認めてくれたので、あ〜〜よかったと思った。あと、とにかく褒めてくれるから、まあ正直嬉しいんだよな。妻とも息子とも毎日顔を合わせられて、最近ほんと肌が潤ってます。

最後、なんで退職エントリ楽しくねえなって思ったのか、たぶんこれ、昔はもっともっと自分語り欲が強くて、俺のクソ賢い判断を書いたるデナ〜〜って感じだったんだが、最近多少そういう欲が減ってきたんだよな。なんか、そういう公開オナニーできるくらいの間抜けな自尊心がないとダメなんだよなきっと。
いや、ほんとうに役に立つ退職エントリ書ける人は書くべきとは思うけどね。

とりあえず以上。