親です。

アラサー既婚子持ち、今はカナダのモントリオールで生活してます。という日記です。

角田光代『愛がなんだ』を読んだ

おつです。最近映画化した角田光代の『愛がなんだ』を読んだので感想。

愛がなんだ、てめえ、コラ

なんかまあすげえ面白かったんだよな。 とりあえずネタバレありで頭から終わりまでの概略を先に書いておくと、

主人公の山田テルコは都内でアンケートの収集・打ち込みをやってる会社員で、同じく都内で編集をやってるマモちゃん(田中守)のことが好き。マモちゃんとは友人に連れて行かれたパーティで知り合って、セックスもするし三、四日に一度は一緒に飲むんだが、二人は付き合っているわけではない。あくまでテルコはマモちゃんの飲み仲間ということになっていて、「都合のいい女」として扱われている。 一方のテルコはそれに不満を持つでもなくガンガン生活を崩し正社員の職も首になる。挙句そのうちマモちゃんにはすみれさんという好きな人ができる。マモちゃん、すみれさん、テルコの3人で海に行った次の日、テルコはマモちゃんからこの関係を終わりにしようと言われるが、テルコはマモちゃんには興味がないと嘘をつき、彼とテルコの仲を取り持つ役としてマモちゃんの近くに居続ける。

まあこんな感じだと思う。

こう、小説ってのは一応、何かの変化を描くものということが出来て、この物語ではストーカーじみてまで「都合のいい女」だった主人公が、相手からもうやめようと言われてもなおマモちゃんの側に居続ける、もしくはマモちゃんと自分のどう形容していいか分からない関係性を「ただの友人」「マモちゃんの友人の彼女」「好きな女との仲を取りもたれる男ー取り持つ女」という形で確定させる、というお話になる。

このお話のメインテーマの一つは男女関係における不均衡性というか、まあ柔らかく言えばどっちがどっちを支配するか、というものだ。ほんで「都合のいい女」が描かれるのと同時に、「都合のいい男」というのも描かれている。ナカハラくんって人だ。彼は物語冒頭、テルコが風邪をひいたマモちゃんの看病に行ったかと思えば家から深夜に追い出され終電を逃し、急に泊まらせてもらえないかとテルコの友人・葉子に頼んだ際、玉突き事故のように葉子の家から追い出されている。

ここではマモちゃんとテルコ、葉子とナカハラくんのペアが性別を反転させて対照的に示され、支配する側・される側という関係性がまるで「こういうのありますよね〜」とおさらいするみたいに示されている。

「あのねえ、そんな風に言いなりになってると、関係性きまっちゃうよ? 向こう、どんどんつけあがるよ?」
 葉子は私を真正面から見据え、強い口調で言った。
 言いなりになる、とか、相手がつけあがる、とか、関係性、とか、葉子はよく口にするが、それらは彼女の独特な人間関係観、もしくは恋愛観である、と、私は思っているので、えへへ、と曖昧に笑う。私の中に言いなりだのつけあがるだのという言葉は、存在しない。存在するのはただ、好きである、と、好きでない、ということのみだ。

まあ正直冒頭からこのクソ男を見せられて、もうなんつーかなんで主人公は別れないんだろうっていうか、別れりゃいいのに、とばっかり思いながら読んでいた。

ただ、主人公の行動とか気持ちとかに全然納得いかないなと確かに思いつつ、しかし心のどこかで俺は、めっちゃテルコさんの気持ちが分かるなこれ、とも思ってた。邪険に扱われたり、連絡を絶たれたり、もう諦めて手を引いたほうがいいって思いながらも相手から深夜に連絡が来ると喜んで出向いてしまう、そういうの、程度の差はあれど恋愛したことあれば経験するもんなんじゃないか。自己肯定感低めの人とかなら、特に。

その年の大晦日、テルコとナカハラくんは葉子の家に招かれる。しかし肝心の葉子が別のパーティに呼び出されて消えてしまいふたりは取り残される。

「なんか葉子むかつかない?」ナカハラくんを追いかけて台所へ行き、私は言う。
「失礼だっつーの。友達だから何してもいいわけないよ。ナカハラくんにだっていい気になりすぎっていうか。つきあうつもりはないけど、嫌われたくないってことでしょ? 何かしてあげるつもりはないけど、何かしてもらいたいわけだよ。図々しいよ、そんなの。なにさまだっつーの」

このセリフは今までマモちゃんとテルコさんに対して読者も思ってたことだ。

なんつーか、この小説では常に不均衡で、どっちが上とか下とかの関係性を書いていて、んで、そんな関係性は間違ってるとか、恋人や夫婦は上とか下とか勝ったとか負けたとかそういうのではなくパートナーで互い敬い合って平等にするのがいいんだとか、そういうのはもちろん思うけど、けどだれがそんな偉そうなことを言えるんだろうとも思う。だれがそんなかんたんに断罪できてしまうんだろうって思う。

俺はもうなんか、そういうの、うるせえって思う。

関係性ってのは多かれ少なかれ不均衡で権力関係を持ってて、それが片方に傾いて不健康な形を取ることは別に珍しい話ではない。それで、人は自分が割を食っているなと思いながらもそれを受容したり、自分が相手に虐げられていると心の奥底で思いながらも認められずに自己欺瞞に陥ったりしているんだと思うし、惨めな思い抱えながらもなんとかやってるみたいなの、全然あると思う。

お互いがお互いを敬う、それは結構なことだと思う。けどそれができたから何なんだ? パートナーと良い関係性を作れているからといって、よその不均衡な関係性にケチをつけたり、断罪するって、なんか俺はすげえ偉そうなやつだなって思ってしまう。うるせえばか、黙ってろって思う。破れかぶれでも胸を張って何が悪いんだろう。

作中これは愛でも恋でもなく執着だと書かれていて、まあ正直依存症じみたものを感じさえするが、けど、これがテルコさんのやり方なんだ。同じように葉子からいいように扱われていたナカハラくんが手を引いても、テルコさんは絶対にマモちゃんの近くをうろついてやめないし、それは逃避には違いないだろうけど、俺はそれでいいと思った。

なんかほんと、全然論理的ではないし、社会的な視点からいえば間違っているのも重々承知だ(特に子持ちのケースとかストーカー化した場合とかね)が、ほんと、うるせえばかって思った。そういうのは自治体が制度を作るとか警察が逮捕するとかして対応しろ、うるせえばか、愛があったらなんなんだ、偉そうにものさし当てやがって、な〜にが愛じゃ、愛がなんなんじゃ偉いんか?ドアホ、タコ。

そんなことを思いました。俺の論理的でないところにリーチしてきたので、あー読んでよかったと思いました。今回は以上です。