親です。

読んだ本とかについて書いてます

仕事と勉強のモチベーション/世界で一番ゴッホを描いた男/ストーリーを語ることの危うさ

モチベーション

舐めたことを言って申し訳ないが、最近勉強のモチベーションが上がらない。ちょっと前まではごりごりと勉強したるでな! という感じだったんだが、なんでだろうなと考えてみると、まあ、勉強と報酬のサイクルがこう、途切れたんだよなと思う。

どういうことかというと、今月の頭くらいになんか地味目の業務の仕事が来ていて、それで手一杯になる時期があった。加えて、これまた地味な入出力関連の調査をしてて、めちゃくちゃ一週間くらい詰まったのにも関わらず原因がクッソ基礎的な知識が足りてなかったから、みたいなことがあった。どちらも、ブログの記事にはできないし、けど時間はかかったなみたいな感じで、これで二週間くらいブログの記事も書けない時期があった。

なんか、俺はブログの記事単位で「俺は勉強できたぞ!」という実感を得ている感じがあって、記事にできない程度の調べごとだとモチベーションが保てなかったりする。いや仕事なんだからやれよって感じだけど、俺が俺なりに編み出したモチベーションの保ち方がブログだったということで、まあそれが今回うまく作用しなかった。

問題は今からどうやってモチベーションを高めていくかってことで、例えば今持っている調査の仕事はアーキテクチャ? っていうの? よくわからんけどAWSとかの外部のサービスをどう構成してシステム構築するか、みたいなところで、これがまた難しいんだな。理解してブログの記事にするには若干この手に余る感じあるし、そうなるとまたブログの記事書けなくって時間だけがすぎていく、作業しててもひたすら眠い、あーオネンネ.......みたいな展開が目に見えている。だから、うーん、調査の仕事の別の項目を洗ってみて、手に余らないところの勉強をするとか、もしくはこないだまで詰まっていたところをつまんないオチなりに記事にまとめてみたい。それ考えたらなんかモチベーション上がってきたな。そうしよ。

世界で一番ゴッホを描いた男

っていう映画を観た。Amazonで。

chinas-van-goghs-movie.jp

ドキュメンタリーなんだけど、すごく面白かった。公式のストーリーを引用すると、

複製画制作で世界の半分以上のシェアを誇る油絵の街、中国大芬(ダーフェン)。出稼ぎでこの街にやって来た趙小勇(チャオ・シャオヨン)は独学で油絵を学び、20年もの間ゴッホの複製画を描き続けている。絵を描くのも食事も寝るのも全て工房の中。いつしか趙小勇はゴッホ美術館へ行くという夢ができた。本物の絵画からゴッホの心に触れて何か気づきを得たい、今後の人生の目標を明確にしたいという思いと共に。 どうしても本物のゴッホの絵画を見たいという想いは日増しに募り、ついに夢を叶えるためにアムステルダムを訪れる。 本物のゴッホの絵画を見て衝撃を受けた趙小勇はいつしか、自分の人生をゴッホの生き様に写し合わせ、何をすべきか自分を見つめ直すようになる。果たして自分は職人か芸術家か。思い悩んだ趙小勇はある決断をする―。

まず、深センに絵の工房が集まる村? みたいなのがあるってのが驚きだったし、工房の中の景色が独特ですごくよかった。その独特な空間の中で、主人公はその道一筋で職人的に絵を描き続けている。作品のコピーが『職人か芸術家か』なんだけど、本当これみるとそこに境目なんてあんのかって感じで、確かに主人公は複製画を作り続けているんだけど、けどゴッホの作品に対する姿勢は誠実そのもので、アムステルダムゴッホの原画を見たときの目の真剣さは凄みがあった。 なんか、芸術家っていうとすげえ発想でとんでもない作品を作るぞいみたいな感じあるけど、本質的なところではどれだけある対象に固執できるかみたいなのがあると思う。少なくとも俺はそうであってほしいって思ってる。天才的な発想で、他人とは全く違う気質を持っているからできてしまうのではなくて、単にある対象にどれだけ向き合ったか、それが芸術を作るんだってのが、希望が持てる。そうじゃないと天才じゃない俺はもうだめぽってなるし。 話がずれたんだけど、えっと、あとね、主人公がゴッホの原画を見にアムステルダムにいくところもよかったです。そこで挫折をしたり、大酒しながら叶わない夢を語ったり、ゴッホの原画に触れた喜びと、ゴッホへの憧れと、ゴッホと自分の間にあるとんでもない隔たりへの悲しみと、いろんな感情がないまぜになってて、めっちゃよかった。こういうシーンが描きたいな〜〜〜って思った。何かに一生懸命になるのっていいなって思いました。一生懸命になるっていうか、他人から評価されたいとか天才になりたいとかそういうんじゃなくて、すごく素朴に描くことが大事なんだなって思わせてくれて、よかったです。

以上!!!

ストーリーを語ることの危うさ

…というのを今朝書いたんだけど、追記。 この映画について妻と話して、指摘されて、ウワーとなったんだけど、この映画は、主人公の自己実現的なストーリーが描かれる一方で、序盤から中盤にかけて中国の厳しい社会情勢とか、欧米からの経済的な搾取についても描かれている。たとえば主人公の描いた油絵はオランダの商人に売られるんだけど、その売った額の8倍とかの値段でオランダで売られている。主人公はめっちゃぎりぎりの生活をしてて、その中でマジで身銭をけずってゴッホの美術館を見に来てる。そういう、社会的なものもテーマとしてある。

ただ、こういう背景はストーリーの中で「乗り越えられた苦境」として描かれる。序盤にこういう苦境を描いて、ゴッホ見に行って、主人公は感動して芸術家として生きていこうと思う。

そういう主人公に感情移入して、俺もまるでこの主人公と肩を並べた気持ちになって、あーがんばろ! とか思ったけど、これはドキュメンタリーであって、主人公の状況は決して「乗り越えられた苦境」なんかではない。主人公はいまだ低賃金で油絵を書きながら暮らしているかもしれないし、俺はこうやってはてぶ書いてへらへら生きてる。

ストーリーは感情移入の手段だ。俺は物語について考えて、どうやって感情移入させるのかについて考えるのが好きでやってるけど、それがどんだけ危険なのかってことに全然自覚的じゃなかった。感情移入して気楽に明日を過ごさせることが全てではない、気楽に過ごさせてはいけないものもある、そういうの、心に刻み込みたい。

以上。