親です。

読んだ本とかについて書いてます

2020年5月に読んだ本

おつです。読書の記録。

2020.5に読んだ本

『「私」をつくる 近代小説の試み』安藤宏

小説の語り手が誰なのか? ということが気になってTwitterでうだうだ喋ってたらフォローしてる人が教えてくれた。
言文一致体の成り立ちや『浮雲』での二葉亭四迷の苦悩、「視点」にまつわる問題に対して歴史上の作家たちがどう取り組んできたのかというのが分かった。 なんだろな、まあなんとなくは理解していた、主人公と視点の距離感(心象をどこまで描くかの問題)について、文学者たちがあれこれ考えてるのはまあ面白かった。『三四郎』ではヒロインである美禰子の心情をあえて描かないことで主人公の追った物語以外のもうひとつの物語を立ち登らせる、という説明がされる。この捉え方が若干理解できない。脚本術の考え方でももちろんこの「視点を選びあえて描かないものを作ることによって」面白さを付与する(ここでは美禰子の心情が描かれず、三四郎のことをどう思っているのか? という謎を立てて読者の気を引く)というのは常套的な手段だが、この手法では美禰子はかなり客体化された存在であり、美禰子の物語が立ち昇るとまで言わせる根拠がどこにあるのだろうと思う。
何が言いたいのかというと、この「もうひとつの物語を立ち昇らせる」効果というのはこの「目隠し」という表現技法自体が保証するものではないのではないか? ということだ。例えば同様の目隠し技法を使ったものでは『こころ』におけるKの心情というのがあると(俺は)思うが、こちらははっきりとKの物語があったと言えるだろう。実家から勘当された男が下宿先の女と恋に落ちるが親友に裏切られて自殺する、これは明らかにKの物語でもある。
それに対して『三四郎』とか『それから』とかのヒロインの扱いである。ここに物語があるのか? というのはわりと疑問で、まあだから俺はブロマンスが好きなんだろうなと思った、夏目漱石はもっとたくさんブロマンスを書いてくれればよかったのにな、そう強く思う。いやまじで書いてほしかったな…。

まあこんな感じで小説の技法について文学的な視点からどう語るのかみたいなのはかなり面白くて、こういうことを俺は大学でやればよかったのにな〜と思った。くしくも卒論のときに教授から勧められた『日本小説技術史』が手元にあるのでそれを読もうと思った。

『最後の御将軍 平重衡 義経が最も恐れた男』中津文彦

面白かった。優秀な武官の少なかった平氏において飛び抜けた武功をあげた重衡を主人公に半世紀にわたる源平の争いを描いてる。重衡といろんな英雄たちの間にできる関係性を追うのが楽しかった。

『晴れ、時々くらげを呼ぶ』鯨井あめ

小説現代長編新人賞受賞作。これは読んでいて本当にぼこぼこにされた本だった。一気に読んで読み終わった後二時間くらいいかに自分がぼこぼこにされたかをツイッターに書いていた。

『君の話』三秋縋

吉川英治賞の候補作になってたとかで読んだ。村上春樹の影響がある文章とSFテイストで恋愛小説をやっていて面白かった。

『尾崎放哉選句集』尾崎放哉

短編を書こうとした時に尾崎放哉を調べて、その流れで読んだ。生活感のある俳句が良い。いぬころについての句とか、草の中から子供が出てきてなんか捕まえている、みたいな俳句がよかった。うつわがない手でうける、とかも好き。

『たとえる技術』せきしろ

比喩について色々と書いてあった。そういう視点で比喩を書いてるんだなと参考になった。具体的な例を見ているとほんまにそんな例えするか? と思うものも少なくなかったが、エッセンスとして面白かった。

平家物語 ビギナーズ・クラシック』

平家物語にハマった一ヶ月でもあった。KIYOMORI OF THE DEADをやりたいという下心から読み出したが、割とハマっていてモントリオール現地での平家物語の会みたいなのにも参加した。英語が全然分からなかったが。。

『くまちゃん』角田光代

角田光代が読みたくなったので。Twitterに色々書いたのでそれを引用しとくと、

角田光代『くまちゃん』読んだ。失恋の短編集なんだけど、テーマとしては二十代後半から三十代の、仕事といやがおうにも関わってしまう恋愛の様子を書いてた。初版が10年くらいまえらしくて、時代のことを少し考えた。 俺は社会人になってすぐ結婚しちゃったしあんまりこの職業的な自信のなさを恋愛で補填するとか恋愛の相手を仕事への態度で選ぶとかそういうことはしてこなくて、むしろ三十代とかになって夢!とか恋愛!とかセックス!とか言ってんのを見ると心がキュッとしてしまう感じがあった。
それはそういう生き方であり俺も妻と大学で知り合って結婚しなければ絶対にそういう道に行ってると思うから決して馬鹿にする意図ではないが、しかし自分がその立場にいたらこんな朗らかに自分のことを嘆けるだろうかと思ったんだよな。 俺にとって職業は完全に食いっぱぐれないかという不安との戦いみたいなところも最近は強くて自己を規定するものですみたいなのはそうなんですねと思いつつ三十代にもなってよく悠長にそんなことを言ってられるな年金のこととか心配じゃないんか?となる。これが2010年代頭の感覚なのかと思う。
それとも単に角田光代がそういう世代なのか、または子持ちじゃない人の恋愛を考えたときに年金のことは出てこないのか、恋愛みたいにキャピキャピしたものになると、年金のことはみな考えられないものなのか。 あとは角田光代の仕事観というか、芸術への気持ちみたいなのが書かれていて興味深かった。角田光代は毎回クッソ重たい140キロストレートを投げ込んできてそれを俺は腹で受けるわけだが、今回もすごく面白かった。角田光代を面白いと思う人と酒を飲みたいと思った。
それとこれは「恋愛」に限らず親密な関係性一般にいえることだけど、関係性を保とうとする中でちょっと自分を削りながら接してしまうとか、その相手用の自分を作ってしまうみたいなのとか、そういうの角田光代にはよあるやつだけど今回も良かった。 好きだったバンドのヴォーカルと付き合うことになる短編も良かった。付き合って以降完全に自分が相手仕様になってしまうのとか、別れてから元の状態を取り戻すのとか、よくわかる。

そんな感じ。あと今月はストレンジャーシングスとかを見ました。来月はこのサイテーな世界の終わりを見たい。