短い小説を書きました
お疲れ様です。短い小説を書いたのでその感想と、今後について。
短い小説
書いたのはこれ。
前回から一ヶ月と少し空いたんですが、まあわりとちゃんとしたやつを書けたかなという気持ち。間に一本かけそうだったけど週末仕事で忙しくて書けずに流れたり、あと昔話みたいなやつ( 創作童話「シャケ鍋太郎」 - subwaypkpk短編集(subwaypkpk) - カクヨム
)を挟んだりもしていた。
今回の話は、怒りを手放して楽になりたいけど許せない、みたいなのを書いた。自分自身が持っている感情について小説のネタにしていこうということを前から思ってて、そのうちのひとつ。とはいえ自分自身が持っている感情からはだいぶ離れてて、着想を得て書いた程度になっている。
前に書いた「蟻と飴玉」よりはちゃんとしてるかなあというふうに思うけど、どこが面白いのって言われたらまあ難しい。外的な問題がはっきりしていないので序盤とか特に読者はどう読んでいいのか分からずに困惑するだろうなとは思う。
まあでも中盤以降は感情をかけていて良かった。
最近の書き方
以前、五万文字くらいの中編を書こうと考えていたころと比べて、自分の執筆への態度みたいなのはちょっと変わってきている。というか、例の中編は途中でもう書き続けるの厳しいなとなって投げてしまっていて、書き方を変える必要があった。
どう変わったかというと、もう長いものはいったん目指さずに、いちにちふつかで最後まで書ききれる分量の小説を書くことにしている。何日もかけて、構成をいじりながら書くというのは、正直いまの人生の状況としてきつくて諦めてしまった。
長編を書く力は長編を書かないと育たないから、本来は長編を書きたい。それと、公募に出してどうなったかな〜と待つというのもやりたい。しかしいまはモントリオールに住んでいるし、フランス語も仕事のスキルも身につけなくてはならなくて、その中で自尊心をめためたにしながら長編を書くというのが苦しいなーと感じた。
しかし長編(厳密には中編だけど面倒なので長編と書く)を書いていたころの考え方もやっぱ良かったなと思っていて、前回書いていた2、3ヶ月の間に、小説についての気づきみたいなのは50個くらいあって、そういうふうに小説の仕組みを考える脳のモードにはいまはなっていない。やはり長編を書いているときというのは24時間が小説の時間で、常に小説の脳がスタンバイしてて、ふとした瞬間にアイデアが出たりする。
いまはそういう状態にはない。書いて、休んでを繰り返している。あと構成について悩むことことがないから、かなり精神的に楽ではある。
ということを書いていたら、深緑野分さんのnoteに良いことが書いてあった。
これの、失敗例を読んでて、あ〜これ前回しくじった中編もこんなんだったな〜となった。書いている途中で矛盾に気がついてこねくり回しているうちにややこしくなり、そして似たようなネタで有名な作品が出る、みたいな展開が、似てた。
で、ここでは、もう諦めて次行くのもいいよ、と書かれてる。
おれは前回の中編を書けなかった時点で、あーおれは長いのやっぱどんづまりになるのかなあと思ってたんだけど、まあ単に矛盾したプロット立てちゃってただけかもなとも思えた。
加えて、今回の短いやつを書いている中での気づきで、舞台を具体的に定めるとよいなというのがあって(今回は京成津田沼に定めた途端書けた)、前回の曖昧さは舞台を定めなかったことにもあるかもなあと。
つまり何が言いたいかって、もう長編はしばらく(今後5年くらいは)無理かなと思っていたけど、そんなことない気もしていて、苦しいけどときどきは挑戦したいなっめ思った、という話。
また書きたいな。頑張ります。
以上。