親です。

読んだ本とかについて書いてます

【毎日三題噺】オヨンチメグの一生

と言うわけです。

 

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おおきな扉は開け放たれたままになっていた。そこからは春の陽光が差し込んでいる。時々風がふき、この国らしい、乾燥した空気が砂埃を屋内に運ぶ。だれかが気が付いて、時々扉は閉じられるものの、すぐ別の誰かがその扉を開けて家の中に入ってくる。だから扉は開けっぱなしだった。

こんなに人の出入りが多いのはいつぶりだろうか。オヨンチメグは平たいベッドで、多くの人にーーどれも懐かしい顔ばかりだーー取り囲まれながら思った。そのことは、彼女にとっては喜ばしいことだった。

かつてはこの家にも多くの人が出入りしていた。男性中心的なこの国において、勝気な性分の彼女は他の男に負けず劣らず、多くの人を従える人生だった。若くに結婚した彼女は自らの子どもを育てながら、その傍らで地域の子どもたちを預かり、幼稚園を経営していた。数年間の経営ののち、大きな戦争が始まり、幼稚園は国の接収にあった。彼女の人生の盛りは、人類史に残るような政治的動乱、戦争の真っ只中にあった。幼稚園の代わりにあてがわれたのは郊外の小さな家屋だった。幼稚園の様々な道具や家財を売り払い、それでも売り切れなかったたくさんの荷物とともに、彼女は小さな郊外の家に押し込められた。彼女の手元にもっともあったのは写真たてだ。かつてともに働いた人や、教え子たちの写真だった。たくさんの写真たてに囲まれて、彼女は今後のことを考えた。

新しい家は食堂にした。はじめは屋台同然だったが、三年が過ぎる頃には、オヨンチメグは隣の区画の家を自らのものとし、半分を自宅、もう半分を食堂にした。食堂には、たくさんの写真たてをおいても十分場所が余った。

やがて子どもがひとり、またひとりと独立した。全ての子どもが独立したとき、彼女は食堂を畳もうと考えた。すると、一番上の息子が食堂を継ぐと言い出した。彼女は息子の言うに任せ、彼女の城の一部と従業員を彼に明け渡した。すぐに食堂の経営は傾いて、乞い願われて彼女がまた働き出すことになった。

2年前の冬、彼女は食堂の脇で転び、寝たきりになった。

オヨンチメグは今、人生を終えようとしている。知らせを聞いて、多くの人が彼女の食堂に訪れた。最後に、皆が立ち会おうとしている。後ろではテレビが流れている。オヨンチメグの若かった頃、テレビにはリモコンがあって、いまはない。ただ電源のスイッチがあるだけだ。

皆の声に混じって、テレビの音が聞こえてくる。

「爆心地への調査員の派遣は、今回が初めてであり…」

乾いた空気は食堂の扉から吹き込んでやまないようだ。写真たてを並べる必要はもうなかった。

 

(人類・はじめて・幼稚園/1h)