親です。

読んだ本とかについて書いてます

コミュニケーションと権力関係について

どうもMaximoNelson49です。ずっと考えていたことについて、ぼちぼちまとめる。

 

コミュニケーションについて

 
コミュニケーションってつまりなんなのか、みたいなことをよく考える。何故かというと、僕自身がそれなりのコミュ障で、なのに割りとコミュニケーションを必要とする状況にあるからだ。具体的にいうと、去年僕は結婚した。それまで親しい友人も少く、異性との付き合いもなかったので、コミュニケーションについてまあ苦労した。
 
たぶん、一般にいうコミュニケーションの苦労というのは「他愛もない話を続けるのが苦痛。」みたいなのだと思う。そんで相手からつまんねーなと思われたりして、つらい。
僕の場合は、上記に加えてもっと明確な問題点があった。なんというか、自分がつらいとかではなく、コミュニケーションに起因して実害がでて、相手に迷惑をかける、みたいなことが起きていた。
 
具体的にいうと、
・一緒に遊びに行くとき、自分の意見を言わず相手に一任してしまう。
・誘われて相手の言うことに乗るくせに、後になって「実はやりたくなかった」と言い出す。
 
ここの「実はやりたくなかった」と言ってしまうパターンは深刻で、妻との結婚後においても「やると言ったのに何故協力しないのか」「俺はあなたに従っただけ(だから責任はお前にある)」という衝突が多く、明らかに僕のコミュニケーションにおける問題点だった。
僕の「俺はあなたに従っただけ」というのはかれこれ2年くらい続いて、そのたび妻には迷惑をかけていたのだが、最近、ようやくこれがなくなってきた。で、今になってみると、したくもないことをしたいと言ってしまった理由が分かる。
 
理由はだいたい以下のとおり。
・相手の興味があることに「俺はそんなに興味ないわ」とは言えなかった。
・相手の興味があることに対して「興味がない」のは、物事を楽しめない自分が悪いと思っていた。
・相手と気が合わないと、一緒にやっていけないと思っていた。
・相手の方が人間的に優れており、自分は合わせる側であると思っていた。
 
など。
雑に言えば、僕は妻と同じ考えをし、同じことに興味を持ち、同じ意見を持たねばならないと思っていた。
 
たぶん、こういう考え方って、空気を読むことを推奨される村社会な日本では割りと主流だ。以心伝心とか、人と人とは分かり合えるとか、まあ色んな形でそれが正しいとされている。僕は岐阜県出身で、日本の田舎的共同体で育ってきた人間であり、両親も特段進歩的な考えをしていなかったので、はだ感覚で「人と人は同じものだ」と思っていたし、そうあらねばならないとさえ思っていた。
 
ただ、僕がコミュニケーションに難を抱えたことで分かるように、この考え方をこじらせるとやっかいだ。
だって人と人は同じものではなく、異なる存在だ。同じ考えを持つことなんてほとんどないし、ものの考え方や感じ方、興味のあるものは異なっているのが当たり前だ。
 
だからこそ、人と人とが同じだと強く思っていたかつての僕のコミュニケーションは苦しかった。僕がコミュニケーションを通じて行ってきたのは、人の考えを読み、そこに自分をアジャストさせることだ。でも当然無理だから、言葉面だけ合わせるようになった。
で、結局言葉面だけなのがばれて、妻からめちゃくちゃ怒られるというのを繰り返していた。
 
たぶん以前までの僕が、どうしても「人と人とは同じ存在である」と思い込んでいたのは、たぶん自信のなさとか、承認欲求とか、そういうアレなんだと思う。つまりは、自信のない自分の考えについて疑問を持たれたり、対立したりすることが怖かった。
 
ただ今になって思えば、「人と人とは異なる存在である」とか、意見の相違とかって恐れる必要がない。今までは、異なれば批判されるとびくびくしていたが、よく考えてみれば、どう思うかなんてのは個人の好みであり、相違がでることを非難されるいわれなんてない。僕らは「お互いが異なる人間である」という当たり前のところからスタートしてコミュニケーションを取らなければならない。つまり、多少大袈裟に言えば、人間はみな対立関係からその関係を始め、そしてコミュニケーションを通して合意に至る。
 
僕みたいな「人と人とは同じ存在だ」と考えている人間にとって、コミュニケーションとは相手の考えをどうにか読みとり、頑張ってトレースするものだった。けれど「人と人とは異なる存在だ」という前提に成り立つコミュニケーションは、いかに自分の考えを表明し、意見の異なる相手と合意するか、というものになる。
 
僕はカウンセラーでもエスパーでもないし、相手の考えることなんて分からない。それに比べて自分の気持ちを正しく理解し、自分と相手にとってよりよい答えを探していくことは、相手の気持ちをひたすら察するよりかはいくらか生産的で、ポジティブだ。だから僕は、後者のコミュニケーションをとることにした。
 
そんなわけで、僕は、コミュニケーションの基本は、合意にあるのだなあと、思っている。
 
 
で、だ。
コミュニケーションを「合意」と言ったばかりなのだが、その「合意」が成り立たないケースというのが、世の中にはわりとある。
 
 

合意と権力関係

 
以前、こういう本を読んだ。
 
 
スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか

スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか

 
 
タイトルの通り、スクールセクハラについて書かれている。スクールセクハラとは、簡単に言えば教育現場で起きる、教師から生徒へのセクシャルハラスメントのことだ。セクハラ教師のインタビューが何本か載っているのだが、ここで強烈に印象に残っている言葉がある。
 
それは、生徒にセックスを強要した教師の口にした言葉で、「お互い楽しんだよな」というものだ。
 
おお、気持ち悪い、と思ってしまうのだが、この「お互い楽しんだよな」という言葉の意味するのは「このセックスはお互いが望んだものだ」ということである。つまり教師はここに「合意」があった、としているわけだ。しかし実際のところそこに「合意」はなく、セックスは教師が「強要」したものだった。
 
そしてこの「強要」について、本書は「特別権力関係」を教師が悪用したものである、としている。
 
「特別権力関係」とはなにか。
てきとうなネット辞書で調べると、
 
ドイツ行政法のbesonderes Gewaltverhältnisに由来する概念であって,明治憲法下の日本行政法学によっても用いられた。特別の法律上の原因(法律の規定または当事者の同意)に基づいて,一定の範囲で一方当事者が他方を包括的に支配し,相手方がこれに服従しなければならないことを内容とする関係。このような関係は一般の民事関係でも,例えば親子関係などにみられるが,特別権力関係というのは通常は公法関係のそれを指す。
と出る。
 
簡単にいうと、教師は生徒に指示をだし、生徒はそれに従う、そんな関係にあるというわけだ。つまり、強要の意図あるなしに関わらず「教師」と「生徒」という構図が、意見を否応なく押し付け可能にする、というわけである。
 
だから、いくら教師が「合意」の上と言おうと、教師の言葉に抗えない生徒にとって、教師の言葉は「強要」となる。
 
つまり、このような権力関係のあるところで「合意」を結ぶのは難しい。
 
 

コミュニケーションの限界

 
このような特別権力関係は、教師と生徒の関係に関わらず、色んなところで散見される。たとえば、親子関係や職場の上司部下がそうだ。そしてこういう関係、つまり権力関係のあるところでは、基本的にコミュニケーションが難しいんじゃないかと、僕は思う。
 
 
このことから、誰かに権力を握る側の人間は、以下の点に気を付けるべきかと思う。
 
  1. 他者に対して権力を握る側は、健全なコミュニケーションを望む限りにおいて、その不可能性を自覚すべきである。すなわち、自分の言葉は基本的に強要となることを自覚すべきであるし、私たちは対等だからと安易に考えるのは無責任である。
  2. 不適切な権力の行使を防ぐために、権力を握る側は、その権力の範囲を自覚し、権力を握られる側と共有すべきである。分かりやすくいえば、教師が権力を行使できるのは教育の範囲内であり、性的な関係に代表されるような、教育以外のものごとを強要する権利はない。そのことを生徒と共有し、適切な範囲を超えるところにまで権力が及ばないよう気を付けるべきである。
また、以下のことを、つらつら思う。
 
  1. 健全なコミュニケーションのためには、権力関係そのものを崩しにかかる方が本質的かもしれない。
  2. 権力を握る側は、握られる側に奉仕すべきではないか。
  3. 権力を握る側は、握られる側に様々な強制が可能であり、動機付けも可能である(教育は多かれ少なかれその形式をとっている)。しかし、それによって握られる側が自発的な動機を抱く機会は失われてしまうのではないか。
  4. DVは暴力によって相手を意のままに操るものであり、根拠のない権力関係を形作るものである。そのため、健全なコミュニケーションの観点から、DVはすべきではない。
 
 
最近は新人教育でそんなことばっかかんがえてます。外的動機付けと権力関係のこととかも。まあそんなかんじで元気です。
 
今回は以上です。
 
(以下、17/05/22追記)
自由意志に基づいた合意、と言いながら意志の前提にある権力関係を見過ごしてしまうのは、新自由主義が自分で決められる範囲を広げる一方、社会的な差別や格差問題に対応できていない姿と似ていて、面白いなと思った。

解について

どうも、MaximoNelson49です。
今回はオチについて考える。

オチ。

唐突に一般論の話をするが、小説や物語全般において、オチというのはまあ重視されるものだと思う。というのは、物語が最もインパクトを持つのがオチの部分だから。これは直感的にいってもあんまり反論のないところだと思う。
で、一方で僕はあまりオチを重視して来なかったというか、話題にしてない。むしろ話題にしてきたのは「問い」の部分だ。何故かというと、それは、オチが「問い」に対する「解」であるからだ。つまり、オチを規定するのは「問い」であり、良い「問い」からしか良い「解(オチ)」は出てこないと考えているからだ。正直、「解」について考えるより、「問い」について考える方が魅力的だった。
ただ、最近なんだか「解」についても考えた方がいいんじゃないかな? という気持ちになってきており、そのためこのエントリーを立てて考えることにした。
これが、オチについて考える経緯だ。

オチとは。

では、オチとはなにか。この問題だが、まあわりと答えられると思う。ストーリーに決着をつけるエピソードであり、それによって問題は解決し、不安定状況は解消される。
主人公は、身に覚えのない罪によって投獄される。獄中から身の解放を訴え続けた彼は、投獄の裏に隠された真実を見抜き、ついに無罪放免となる。

これだと、無罪放免がオチ。「身に覚えのない罪によって投獄」がこのストーリーの不安定状況であり、それを解消するのがオチだ。

またこのとき「投獄の裏に隠された真実を見抜き」をオチに含めるという意見もあるかと思う。それは「身に覚えのない罪によって投獄」のうち、「身に覚えのない」という部分に問いをフォーカスさせたときのオチと言える。そういう場合、例えば以下のようなストーリーだと、オチが弱いとされる。

主人公は身に覚えのない罪によって投獄される。獄中から身の解放を訴え続けた彼は、折よく恩赦によって解放される。

ここでは投獄の理由が分からないままに、恩赦によって解放されている。理不尽な投獄という謎は解かれず、不満が残る。これではいけない。

以上のケースで、ふたつのことが言える。

  • オチは、問いに対して適切なものでなければならない。
  • (翻って)問いの範囲設定を明示的にしておかないと、オチへの不満が出る。
そしてここに、わりと肌感覚な話だが、ひとつ付け加えたい。 
  • オチには驚きが欲しい。

または、なにかを悟らせるようなものでなくてはならない。たとえば、新しいなにかを理解するとか。認識を更新されるようなものだとか。

人間がなにかを理解する、ということ。

ちょうど手元に「理解する」ということについて面白い文章があったのでそれを引用する。安宅和人さんの『イシューから始めよ』には、以下のようなことが書いてある。

深い仮説を持つための2つめの定石は「新しい構造」で世の中を説明できないかと考えることだ。どういうことか? 人は見慣れたものに対して、これまでにない理解を得ると真に大きな衝撃を感じるものだ。そのひとつのやり方が先ほどの「常識の否定」だが、もうひとつのやり方が検討の対象を「新しい構造」で説明することだ。
「人が何かを理解する」というのは、「2つ以上の既知の情報に新しいつながりを発見する」ことだと言い換えられる。この構造的な理解には4つのパターンが存在する。簡単に説明しておこう。
⚫共通性の発見[…]⚫関係性の発見[…]⚫グルーピングの発見[…]⚫ルールの発見
これら4つの視点から、物事を理解させ、オチとする方法がありそうだ。
例えば「共通性の発見」はよくあるパターンだろう。伏線を張って、過去の事例が今回でも起きる、というふうに解を出すなど。
ただ、他の点に関してはあんまりピンとこない。この考え方を小説に転用するのなら、まず仕事などの場面で扱えるようになった上で、小説へ持ってくるのが望ましいように思える。または、小説内で行っていたオチの付け方が、イシューからはじめよのこれだ、というふうに「共通性」を「発見」することができればよい。

また、理解はあくまでもオチの一要素である。オチは解であり、そこに理解や驚きが付随するとよりよいものになる、という話である。



思い付いたアイデア

・見慣れた常識を小説内でつくり、それを壊す。時計塔があり、それの意味が更新されるなど。
・貰い物で気まずいの気持ち

Mommy

どうもMaximoNelson49です。「Mommy 」を見たよ。以下ネタバレガンガンしながら感想書きます。

 

 

mmomy」(2014 加)監督:グザヴィエ・ドラン

あらすじ

放火のかどで施設から追い出されたスティーヴは、その母・ダイアンと新しい生活を開始する。彼は発達障害を持ち、社会的なつながりを作ることが難しい。あるときスティーヴは母を元気づけようとネックレスをプレゼントするが、万引きを諫められてしまい、パニックに陥りケガをする。その治療をしてくれたのは向かいに住んでいたカインであった。カインは失語症を患うが、以前は教師をしていた。以降、スティーヴはカインの元で勉強することになる。生活は上手く回っていきそうな兆しを見せていたが、そんな折、スティーヴが過去に起こした放火事件で慰謝料を請求される。弁護士を雇うこともできず、生活も回らなくなったダイアンは、スティーヴを精神病院へ入れる。

 

 

 発達障害を持つ少年と母親の話。2015年にカナダでS-14法が可決され、障害児のために経済的困窮を持つ親はその養育の義務を放棄することが認められた。これは架空の法律で、つまり、この物語世界では、「親に加害する子ども」というのが前提として描かれている。

 まあ実際のところ「親に加害する子ども」というのはその通りで、スティーヴは万引きをしてダイアンに怒られればパニックになってダイアンの首を絞めるし、お隣さんのカインに対しては失語症をからかい大切なロケットを取り上げてめちゃキレられる(その上カインがあまりの権幕だから失禁する)。物語が決定的に動く「慰謝料の請求」にしても、それはかつてスティーヴが放火をしたためであり、その解決のために母親が近所の弁護士と懇ろになろうとしたところ、スティーヴがすべて台無しにしてしまう。物語が行き詰まればスーパーで自分の手首を切るし、まあ手に負えない子どもではある。

 ただ僕は、スティーヴはくそ野郎だけど、別に悪くないよな、と思う。

 この映画を見てものすごく泣いてしまったのは、精神病院に入れられたスティーヴがダイアンに電話し「最高の母親だったよ、今まで迷惑ばかりかけてごめん」と謝るシーンだ。泣いたのは、別に母親が報われてよかったとかではない。すごく不条理なものを感じて泣いてしまった。

 この映画では、「スティーヴのためを想って」というセリフが何度か登場する。序盤にネックレスを万引きしたとしてスティーヴをしかるシーンや、弁護士とねんごろになるシーンで使われる。ちなみに、万引きについては、本当にネックレスが万引きされたのかは明らかにされず、ダイアンが決めつけただけだ。スティーヴはダイアンの首を絞めるが、それはダイアンが彼を本棚の下敷きにしたからだし、その後もスティーヴの頭を額縁で殴る。また弁護士とのシーンでは、酔った男たちに罵倒されるスティーヴを無視し、ダイアンは弁護士と酒を飲んでいる。そうしておきながら「あなたのためだった」と言う。最終的にスティーヴは精神病院に入れられるが、嫌がる彼を抑え込みながら精神病院の男性職員3人が「お前のためにやっている」と言う。言いながら、馬乗りになって何度も何度もスティーヴの顔を殴りつけ、スタンガンを浴びせる。これは今まで母親が行ってきた行為と同じだ。

 そんなストーリーの最後に出てくるセリフが「最高の母親だったよ、今まで迷惑ばかりかけてごめん」なのだ。そんなわけないだろ、と思って僕はすごく泣いてしまった。僕はこの映画を、スティーヴに感情移入して見ていた。スティーヴをずっと応援していて、誰かに彼の話を聞いてほしいとずっと思っていた。そんで救われてほしいと思っていた。それなのに、最終的にスティーヴの方から、母親が被害者で自分が加害者だと言われ、すごく梯子を落とされた気分だし、そんなわけないだろ、お前悪くないよ、自分がダメだったなんて思わないでくれ、となって、泣いた。

 なんというか、まず第一に、こんなことはもう誰でも知っていると思うけれど、子どもは親のためになんて産まれてこない。子どもを持つと得する、なんて思っているなら、それはまだ人からものをもらう側の人間だ。分け与える側にはなれない。だからスティーヴが迷惑をかけることなんて当たり前だし、全然謝ることじゃない。

 そして第二に、ダイアンは、まあ、別にこの母親は頑張ってるし、なんとか分け与えようとしていると思う。けれど、同時にすごく違和感を覚えるのは「お前のために」というセリフだ。この家庭にはコミュニケーションがなく、半ば母子が境界のない一体のものとして描かれている。スティーヴの気持ちは無視され、母親の想像する「スティーヴの気持ち」が優先される。自他を混同し、区別がついていない。母親は常に鏡と会話をし、スティーヴ本人は忘れ去られている。

 まあ実際この映画を見ると、母親も一方的に責められる感じでは描かれておらず、むしろ母親の心情に沿ってストーリーは進んでいる。頭の悪い親が周囲と同じようにしたらとんでもない目にあってしまう、無力感でうわーんと泣いてしまうような映画でした。ただスティーヴが責められるのは少なくともおかしいし、これを深い母の愛などと解説するのもおかしい。子どもは愛されて当たり前だし、それに対して親が称賛されるような社会は未熟だ。オムツ変えるたびに赤ちゃんに賃金要求するみたいな話じゃないですかね。

制作01_成長型03

どうもMaximoNelson49です。続きを書く。

小説を書くにあたってのテンプレート

1:主人公は誰なのか
2:テーマ(統一概念)はなんなのか
3:切実な問題はなんなのか
4:どんな外的問題があり、どう変化するか
5:どんな内的問題があり、どう変化するか

たぶんこれらさえうまれば、だいたい書ける。


思い付いたストーリー
・まばたきする度世界が変わる。母親の作った弁当を導入で捨てる。母親は兄と謹慎創刊してる。
・昼に起きて、何かをするには遅い気がして投げやりになった一日って誰にでもあると思うけど、それがまるごと人生単位で起こることもあるだろうな

思い付いたストーリー

・ゾンビもの。ウイルスと死ぬことでゾンビ化する。噛まれて感染。噛まれたら大体死ぬから噛まれた時点でゾンビかと思われてるけど、死ななければオッケー。

色々書いてて

なんか、基本の5点だけでは書けぬ。パワポで活動報告する、みたいに、すでに題材がありそれをストーリーに編集するときはまとめに役立つが、なんもねえとこからは厳しい。
なので

要素をプラスする。

1:主人公は誰なのか
2:テーマ(統一概念)はなんなのか
3:切実な問題はなんなのか
3.1:なぜ内・外的問題が問題と言えるのか
3.2:なぜ内・外的問題が解決されるのか
4:どんな外的問題があり、どう変化するか
5:どんな内的問題があり、どう変化するか

こんなかんじ。
ストーリーへの編集が簡単にできるのは、詳細をすでに知っており、切実である理由も分かるから。けど、ゼロから作るお話では、自分のなかでもそれが切実であると言い切れない部分がある。なら、詰めていきましょうねということ。(3.1)
また、解決のされかたについても、4や5の前にある程度考えておいた方が発想は自由になるし、オチありきの解決法はご都合主義を招いたりする。(3.2)
まあ、解決の方法は、また別のエントリで考えよう。

では

書いていた、壁の話を上の7点で考える。

1:主人公は誰なのか
主人公は、主人公(決まってない)。
2:テーマ(統一概念)はなんなのか
テーマは、壁?(決まってない)。
3:切実な問題はなんなのか
切実な問題は、なんだろ?(決まってない)
3.1:なぜ内・外的問題が問題と言えるのか
…決まってない。
3.2:なぜ内・外的問題が解決されるのか
決まってない。
4:どんな外的問題があり、どう変化するか
決まってない!
5:どんな内的問題があり、どう変化するか
なんも決まってねえな!

そら書けんわ

上でも書いたが、既存のストーリーを編集するには「ストーリー基本の5点」は役立つ。しかし、ストーリーを生成するまではいかない。

ストーリーを生成するには

生成するには。
1:思い付くシーンを延々書いてみて、ストーリーの芽を探す。
逃げる主人公と追う警官。警官は全く追い付かない。逃げ切る。得たものをにやにや掲げる。食べ物か飲み物。主人公は子供。切実にそれを必要としている。後ろから、それを取り上げる腕。スーツのパツキン男。アクセサリーじゃらじゃら(なんで?かつての反動?昔は🈳😢👛)。食べちゃう。いくらだ!と子供は男に詰め寄る。利子でチャラだと返される。男は金貸し。親の借金。苦労する気持ちもわかんねえ癖にと罵倒。わかんねえな、俺は金持ちだからナチュラルボーン。鼻水をスーツに擦り付ける。後に成り上がったと分かる。
壁が崩れてくる。家がつぶれる。家には機械細工の大切なものがある。それを救出に戻る。無事、かと思うと目の前で壊れる。直してもらいに、ついでに居候で友人宅にいく。
壁の近くのスラムは、スパイがいる。
壁の近くに住むスラムの子をいじめる。出てくると石を投げる。

こんなもんか。これはまあすごくシンプルなやり方だ。今持っている情報を列挙する。その上で、「ストーリー基本の五点」になりそうな箇所を編集する。けど、問題点がいくつか。

問題点①:ストーリーを生成する、という問題にたいしては、直接の対策になってない。

今持っている情報を列挙しているだけなので、芽を探したり整理をするのに一役買っても、生成まではいかない。

問題点②:成果物のレベル感がモノによってばらばらになる。

情報を列挙するとき、どれだけアイデアを持っているかというのはその時々によってばらばらだ。この作業を経てこのレベルの成果物が出来る、ということにはならない。

ということで。

ここから取れる策は、以下のよう。
①「情報列挙」は小説タスクリストから外し、以上の点をカバーしうる他の方法を見つける。
②「情報列挙」を小説タスクリストからは外さず、以上の点を解決するための作業フェーズを追加する。

まあ、②だよね。

どんな策

「情報列挙」はストーリーの芽になっても、ストーリーの生成レベルまではいかない。言い換えれば、「ストーリー基本の五点」に当てはめて編集できるレベルまではいかない。
その差を埋められる作業フェーズが必要。具体的にはどうなるかというと、簡単。芽に特定の質問をぶつけ、育てる。

ストーリーを育てる質問集

とりま列挙。
  1. 主人公の好きなものは?
  2. 主人公の嫌いなものは?


  3. 以上の理由は?
などなど。
たぶん、芽の段階にあるストーリーは「ストーリー基本の五点」の一点だけがうまってる、とかがある。なので、どこがうまってるかによってぶつける質問を切り替えると良い。

分類項目
  1. 主人公
  2. テーマ
  3. 問い
  4. はじまり
  5. おわり
  6. シーン
  7. オチ
  8. オープニング
  9. ことば
こんなもんかな。

また、「ミステリーの書き方(幻冬舎)」には、アイデアの出しかたに関する記事がある。
東野圭吾はオリジナリティのあるアイデアをどうだすか、ということを書いている。ひとつは、自分という特異性、もうひとつは、ジャンルのお約束をメタ的にとらえることだ。
・自身の素朴な驚きから始まり、なぜ驚いたのか考える。➡自分のフィルターでひっかけて、普遍化する。
・今までおざなりにされていた部分を膨らませる。
阿刀田高はストーリーの元となるアイデアを四つに分類し、物事をその観点から見ることでアイデアに近づけようとしている。
・トリック型
トリックから。
・パーソナリティ型
この人でなければおきなかったなど、人物の特異性を深める。
金言諫言は人生の切り取り。それを小説に起こす。僕もこのパターンで「究極の愛は」みたいなので作ったことがある。成功はしてないけど、書けた。
・不可思議型
まじで不思議なことに出会ったら。
これ、トリック型と不可思議型の違いがよくわからない(両方とも東野圭吾の考えと同じようなものかと思うが…)。
ストーリーの起点となるものを分類しており、上で書いた「ぶつける質問をかえる」ってのにもつながる考え方だ。


思い付いたストーリー

金貸しの男と男の子の話。平行して家のつぶれた男のはなし。男はつぶれても成り上がる。かつての金貸しか。男の子の今後か。

イデア

「龍使いになれる本」ってタイトルの小説、らのべにありそう。メタ的なタイトルなのか、小説本体でそういう本が出てきて、なのか。
らのべ的世界観で進めて、それを否定し、さらに示す物語。女の子の描きかた。人とのコミュニケーション、男友達が書けないこととか。

一旦、小説の書き方についてのエントリを別に作るので、このエントリはおわり。


製作01_成長型2(アイデア出し)

どうもMaximoNelson49です。前回の方針決定から、ムネアツな話を王道として書くぞとなったので、書く。

雑に、まとめる
ムネアツな話。男性的にならないように対話させる。問題をばこばこ生みながら、破れかぶれで最後に大逆転させる、それはなになにだっ、みたいな話。
すげーつえー敵が現れて、それを倒す話。
主人公はどこかにいきたいけど、壁がある。最初は象徴そのままの話にしよう。

書くよ

あの壁を超える話。
でかい壁のある世界。雲がそこから溢れてくるくらいの壁。でかいから、太陽の光りも遮られる。壁際にはおおきなスラム街があって、そこに主人公はいる。借金まみれ。地震がおきれば、壁から何か降ってきて家が潰れる。だから友達の家に居候する。友人たちで何か起こす。敵がいる。
若くて良いな。ディストピア。警官がいるけど、スラムは庭だから捕まらない。けど、俺からは逃げられねえぞ、とかいって25くらいの金髪真ん中分けグラサン男に捕まる。グラサンは都市部にも出入りしている。
でっけー爆弾を盗み出して、壁際で爆発させる。そこは度々地震で壁が崩れて誰もすんでないし、皆が忌み嫌う場所。
自分が殺される日、朝5時半から起きる。


カヌネハはなんでも自分でやってしまう。壁の向こうから信託地まで引かれているという下水を掘り当て、行政府にばれないように水の組み上げを行ったのも彼だ。おかげで彼のからは朝から水道管の軋む音がするし、彼が水を捨てる玄関先には雑草の緑が広がっている。壁が雲をせきとめて以来、この国には梅が降らない。

あ、だめだこれ
  • 設定を語っている。
  • キャラクターが出てない。
  • 問題がない。
  • 何について語るのか、分かってない。
  • テーマもないなあ。
  • ムネアツのものを作るのはいいが、テーマもかんがえないと。
  • テーマ:
  • お前の話を聞かせてくれ
  • ブエノスアイレス

影のなかで耕している。麦わら帽子でかげができてる。つばを持ち上げて見る。耕しているおしりが見える。足首が見えている。ふくらはぎも見えている。膨らみが、見えかけていて見えない。おじいちゃん。きゅうりをとっている。腰。
最近恋人とは連絡を取っていない。あまり近しくなるのは、苦手というより、そこに利点を見いだしていない。必要性が見いだせない。なにかいいことがあるのか?
苦手、というのはどんな感覚だろう。ゴキブリが苦手というのは、生理的に無理。悪口を言う人が苦手というのは、対応が分からない、もしくは不愉快、理解不可能。

どさ、と隣の椅子に座り、砂ぼこりがたつ。鍵谷。

いやいや
壁の話は、家が潰れるところからお話を始めればいい。そんで、どうやって壁を壊すまでに至るか。まあ、連想ゲームするか。

1#家が潰れる

  1. 人の家に行く
  2. 家のなかに大切なものがあるからそれ探す
  3. 人を助ける
  4. 落ちてきたものを確かめる
  5. 落ちてきた上を見上げる
1.人の家に行く
  1. 居候
  2. 家人と会う
2.家のなかに大切なもの/人
  1. 探す/助ける
  2. 壊れている
  3. 無事であるが、一部壊れている
3.落ちてきた物/元を確認
  1. さらに落ちてくる
  2. なにかが見える
  3. なにも見えない

2#家の中の大切なものを探す。無事であり、ひと安心すると同時に、壁を見上げる。何かもやがかっている(別の文脈、例えば恨めしいためにぶれて見えるなどで伏線を埋める)。足元に何か落ちていて、それを拾い上げる。大切なものが、ふと壊れる。宿を求め、大切なものの修理のために友人宅に移動する。

ここでの課題
  1. 大切なものを直す。
  2. 落ちてきたものの分析
友人は仕事仲間。スラムの使えないものを持ってきて、友人に売ってもらっている。機械の修理ができる。そこで、落ちてきたものを見せ、直してもらう。

まあ、ありそうなオープニングにはなったが、魂ないな。適当だしな。キャラも世界観も決まってないしな。

テーマだなあ。
何か、こう、文章上手くならないかな。けど同期は自分で考えたものだし、それを文章に転用するのは、とりあえずだな。

開始当初からの不均衡状態は、ロンググッドバイ系の強みであり、弱み。目的は分かりやすいが、目の前で起きない。
この話だと、家つぶれてるけど、うまく伝わらないな。同期できていない。読者が家を取り戻す理由がないもんな。復活してほしいと応援させるものもないし、同期の仕方としては、なんだろな。ロンググッドバイは、男を好きにさせるから成り立つ。
それと、目の前で起こす、というのもひとつ。目の前だと、自分の問題となる。

アメージンググレイスが流れてくる。

横浜駅SFはかなりよかったな…。あれは、ストーリーとしてはそう難しくなくて、動機は冒険、ついでにリーダーと42番出口があって、そんで世界が崩壊する。ディストピアと言いつつそれを積極的に止める理由は主人公にはない。ラストで戸惑うのはそれだし、最後の一粒になってくれ、というのとか全部周りに言われてきただけだ、と言うのはそのとおり。最初の理由から途中で真の目的が分かって主人公が変化を求められるとかでもない。けど、面白い。設定をとにかく知りたい。あの世界がなぜそうなってしまったのか、知りたい。なんでそう思わせることが可能なのか。自己複写する迷宮というアイデアは面白い。それで日本が覆い尽くされてるのも。冬戦争という、過去にあったらしいものも。世界が広くて、語るべきでないときに語られない? なんであの世界を知りたがるんだろう。これは俺の知らない面白さだな、なぜ面白いのか分からないな、不完全状態が完全に近づく、緊張状態にあるというのは分かる、けどそれなら、どんな話だって設定の面で緊張状態にある。要するに、どうすればその緊張状態を生み出すような、情報開示が可能なのか。他にもある、と思わせるのは何なのか。これは世界の一部に過ぎないと思わせてしまうのはなんなのか。議題に挙げておこう。

中盤からうおおとなるためには、構成は必要だ。
壁のある世界。壁から石が落ちてくる。何故かというと、壊したいから? 壊れてきているから? 壊れていると思わせたいから? 全く別の要因? 世界観を作り込もう。そんで誠実な落ちをつけよう。壁があるのはなんのため? 雲を寄り付かせないため。いや、違うな。それなら円形にかなるはず。島国で、あちらがわ。汚染?けどだいぶ高い壁だよな、実は崖?捨てられた土地だとか。陥没?うーん。汚染、冷戦ってのはありすぎ、交通を妨げるのが目的ってのが、前提だよな。壁の解釈を変える。交通を妨げるのではなく、気流の流れを変える。動きを止めるでなく変える。
  • 壁が地面
  • 壁は立ち上がってる
  • 壁なんてない
  • 壁は投影
王道的な話を無理矢理書くのが目的。
ファンタジーである必要はない。ないが、何らかの事実が明るみに出てうおおとしたい。うおおとしたい。うおおとするのはどんなときか。
  • 敵が味方になったとき
  • センスオブワールド(?)
  • 過去話で、設定明るみ
わかんね~~
ロマン、普段からそんなに感じないしな…

主人公は反権力的で、歯向かってばかり。けどそいつが王に選ばれる。
俺の書く主人公は飄々としていておっちょこちょいで情に篤いタイプのやつ。仕事が多いと嫌になって風邪を引くようなやつ。お金もないし、ダメ人間。あと怖がり。自分かな?

死刑になることが決まって一睡もできなかった主人公。死刑は丘を上がる。古風なスタイルで行われる。そこにでかい鳥がきて、主人公をかっさらう。
いいやつとして出てきた神父が実は悪いやつ。黒幕。
主人公は女の子を助けて、そんでそんで死刑になりかけた。助けてもらった鳥は、女の子がわ?もしくは、もうひとつ噛ませて。

はあ~~自分語りする妄想ばっかで小説のことまったく考えてねえ~~

議論の停滞
停滞してる。今は、王道的なムネアツな話を書こうとしていて、けどムネアツってなんだよとなり、書けてない。ストーリーとしてわかってない。
当初の目的は、ストーリーの基本型となるものを押さえたい、というもの。最低限を押さえたい。
とりあえず書こう、というのは意味がないが(目的ないならそこら辺の漫画でも読めばいいし)、作品意図をさえ決めていれば、書いてもいいと思う。
意図
  • リハビリ
  • 最低限をさぐる
私生活の視点から
たとえば、一年間の成果をパワポで発表してください、と言われたら、わりとすぐにストーリーが立つ。それは、どんな課題と気付きがあったか、把握しているから。

(指摘台帳、分類しやすくて5つくらいに分けられる要素あれば、そんだけで過去の指摘検索しやすくなるな…。)
対策たてて一覧にして上から順に一括実行する。

つまり
問題と気付きがあれば、書ける。
けど、人殺しがあってそれを解決する、では書けない。これは何故か。
  • 問題に具体性がない。
  • 気付きがない?(いやどうだろう)
小説作成自体の理論化もしたい。

思い付いたストーリー
父親の初恋の相手を探しにいく話。
相手が男。その息子がいる。大きな問題を抱えている。表面的には何かの理由で会いに来たことにしているが。実は、父親の死に際か何かの願いできてる。きたら相手の息子だけいて、死んでる。息子に泣きつかれるかなにかする。逃げてるんだと。けど自分が見つけられたほどだし、無理だろ。てかここ知らない土地だし。日本まで逃がすか?


マクガフィンについて
マクガフィンっていうけれど、大切じゃね?最初の動機になるわけだから。

もとに戻って
話をもとに戻すが、小説を書くには問題と気付きがあればよい、ということ。


問いの立てかたが

ほえあだにっと
どんな環境が。なぜ、だなこれは…

思い付いたストーリー
今の生活の嘘をどんどん解かれる。兄が母親とセックスしてる。

思い付いたストーリー
連続恋愛事件。恋愛禁止の女子校でなんか恋に落ちる人が出てくる。原因を突き止める。

思い付いたストーリー
デートDV受けてて別れようとしたら殺しに来る

制作01_成長型1(方針決定まで)

どうも、MaximoNelson49です。典型的な物語類型として、成長型のお話を書くよ。んでもってその製作過程に考えたことを全て書き留めるよ。

制作意図

  • 成長型の典型的な構成を実践する。
  • 基本型、叩き台の制作。

実制作

プロット作業

1.プロットver1.1
主人公は大学を出て以来フリーターだが、親しいひととの別れを経て成長する。

2.プロットver1.2
新卒で入った会社を一年足らずで辞め、それ以降は実家のある川崎でバイトをしながら暮らしている。会社員時代に付き合っていた彼女がいる。

反省

あんまり成長ぽくない。動きの幅が狭い。問題ばこばこ生みながら成長する破天荒なののが、まあオーソドックスか? たとえばどんな話なんだろ、ダイヤのエースなどのスポーツもの、レインマンってどんな話だ
最初だから王道で一番よくある話型を書きたいが、それがなんなのか分からない。
⚫王道の定義
・構成
内的問題と外的問題があり、外的問題を解決する過程で内的問題も解決される。両面から作るお話。
・要素
王道感には、こっちの比重が高い?
内的問題:主人公は性格に難があるが、根はいいやつ。困ってるおじいちゃんとか助ける。おじいちゃん子。
外的問題:何かを得る。なんだろ、勝負、成長。最近見た映画だと、火星からの帰還、アカペラで勝つ、オペラ歌手として成功する、お店を守る、パバラッチとして成功する、幻の商船を追う。
何かスポーツでなくてもいい。外的問題なんだから、どこかから来た問題でもいいでしょ。金を奪われて、返すとか。金を借りてて、どうにか逃げるとか。友達が借金取りに追われてて、助けを求めてくるとか。最初は断ろうとするけど借金取りのテクニックで家にはいられて、そんで。
そのとき、主人公はなにものなんだろう。団地にすんでるとして、なんの仕事してるんだろ。自動車修理工? ふたりはどういう関係? 古着屋の店長、頭から膝裏くらいまでのでかいリュックをしょっている。仕入れをする。行商人みたい。
助ける理由はあるか? 読者に納得できる。

・制約
成長するのはひとりだけ。相棒とかはなし。
現実世界の話がいいな、なんとなく。

⚫なんとなく書けない
何故か、と考えると、それはなんについて書けばよいか分からないから。外的問題、何について語るか、テーマが分からない。
なんについて語るか:昨今の作品だと
修道院の聖歌隊に指導をいれる。
「キングスマン」
悪いITをやっつける。
外的問題を、主人公を危機的状況にするものと解釈するなら、
  • 災害もの
  • 企業もの
  • ロードもの
  • 探偵小説
それぞれに、危機的状況に違いあり。

テーマ:最近の自分のテーマ
  • 感情移入
  • 話を聞かないこと
  • 教育
  • 伝えること
  • 悲しみ
  • 怒ること
  • 実家との付き合い
  • 職場 仕事の早さで図られること
  • 自分の底の浅さを見抜かれたような感じ
  • かわいそう
らへん。
テーマは割とあるんだな。まあ生活に悩み多いしな。鼻の奥が腫れてるな。
たぶん、テーマはあるので、そっちでまとめられるストーリーの方がいいのかな。ロードものとか? 話を聞かないこと、仲の良い友人から旅行に誘われて。
前にあったプロットを使っても良いな。お前の話を聞かせてくれ、的なもので。やっばロンググッドバイは名作だな。

タイトル:お前の話を聞かせてくれ
テーマ:話を聞くこと
大学の友人がいなくなって、それを追う話。発達障害は遺伝するから、途中で出てくる姉は血縁ないほうがいいかな。ほんとに姉必要かな、メンターいるといいけどな。

テーマはある。外的問題がない。外的問題のなさは、まあ本を読む量が少なかったりするからかな。そのストーリーに一番良い外的問題を出すべきだよね。悲しみなら、なんだろ。ひとじに? 悲しめない主人公。
これで、成長型をやるのか。成長型ってなんだろな…。広すぎるか? まあ何が最大公約数的なのかは、作ってから考えていいかもね。とりあえず、悲しみで書くか。短編ひとつ。

タイトル:未定
テーマ:悲しみ
どんな悲しみについて書くか。
  • 悲しめないこと
  • 自分のために悲しむこと
  • それそのものについては悲しめない
  • 自分の悲しむ姿を思い描いて悲しむ
  • ひとの悲しむ姿を思い描いて悲しむ
  • 共感して悲しむ
  • 自分が可哀想だ
  • 可哀想だねえ
  • 大切なものと悲しさ
  • 悲しむ、とは?
  • 涙を流すことが悲しみの表現ではない
ウ~ム。
成長型って言ったけど、まあ不安定状況が安定する、ってだけで成長型なのかな?成長型って自分で言っときながらまじ意味不明だな。

⚫どうする
今回は全く新しいプロットでやりたい。なんのアイデアもないところから機械的にストーリーを生む練習。
ならば悲しみについて、かな?一旦悲しみについてのブログをまとめた方がいいかな?
お話を作るまでにやっとかなきゃならないタスクってなんだ?
  • テーマ
  • 外的問題
  • 内的問題
  • プロット
こんだけ?
各々について実行できるレベルにまで細分化すると

テーマ

  • 生活の中で思ったことを書き留めておく。
  • 考えるべきことを書き留めておく。
  • まとめてしまう?
  • 小説に使える形にできればOK 、それが成果物?
外的問題
  • 何について扱うか。目に見えるもの。
  • これはテーマがたってからの方がいいな。演出だし。
内的問題
  • 主人公の変化。
  • これもテーマがたってから。密接。
プロット
  • 外的問題を立ててから
  • 内的問題を立ててから
  • プロットポイント最低みっつ?
  • 導入
  • オチ
まあ流れはこんなもんだよな。あとは、
その他作業
  • 参考文献の読み込み
  • 今回の狙い
これら、いつかWBSにまとめて機械的にストーリーたてられるようにしたいな。

今回

上のタスクを埋めよう。
テーマは、悲しみについて
内的問題は、悲しむこと。自分の悲しみについて分かること。 
外的問題は、身に振りかかる危機か、親い人の死。
オチは、切り抜けてほっとして泣くか。
内省的であるべき話をどうストーリーを立てるか。感情移入させるか。

問題点
なんというか、想像力が湧くのが、ロンググッドバイ的なお話なんだよな。一番最初に書いた小説の頃から変わってない。これは、何が問題なのか。
  • 話が単調になる
  • 同じ展開
なんでそうなるのかというと、
  • その展開以外にロマン感じない
  • それ以外の類型の書き方が分からない?
  • どこがポイントなのか
  • 演出レベルでの変更で済むのか、構成レベルで何か必要な要素があるのか。前半にこういうシーンをいれなきゃだめとか。
  • ロンググッドバイ系は、少なくとも書ける。書き方が分かるし、書けなくても書ける。自分で泣くことができる。それ以外は、なぜ面白いのかいまいち不明。
  • 現代のいなぎやが独自進化をとげ帝国化した世界、みたいなのは書けない。
  • たぶん「天使にラブソングを」も、書いてたらどこが楽しいのか分からず書ききれないと思う。
  • マイルドな、面白い話と、刺さる話と、やはり刺さらないと書けない?
  • どうだろうなー?
  • けどこれ、燃える話が何故燃えるのか分かって書けたら、武器だよなあ、燃える話書きたいよなあ。
  • 燃える展開を体験してない?
  • 仕事で手伝ってやるとか、昔の機体を持ち出したときはむねあつだなと思ったけど。
  • 熱いはなし、書きたいな
  • ロンググッドバイ系のお話は分かるもんな、なんとなく。
  • 最初に出会って、けどいなくなって、彼の思い出と同伴しながら何故いなくなったのかという内的な物語とメインになる探偵ものぽい外的な物語が進んで、最後にふたつの物語がとける。外的な物語は一見不条理で、何故そんな問題に取り組むのか分からないけど、実は内的な個人的な物語がある。物語が進むと、外的な物語は内的な物語にそぐわないと分かり、外的な問題がすりかわる。既存の外的な問題を頓挫させ、内的は問題を解決して終わり。
  • とかな!
  • まじで簡単だもんな~ロンググッドバイ系。
  • ところがムネアツ系は、分からない。何が起点になって物語が駆動するのか分からない。
  • グレンラガンは、動機を外部に化託していた。あれはものすごい嘘の物語だ。感動的なくらい。
  • それにロンググッドバイ系は、いなくなった男の理由をさぐる、ってオチが最初から決まってるし。
  • そうなるとムネアツ系はなんだ?助けたい人の敵を倒す?すげーつえー敵を作って倒す?
  • あきらめない! とかあいつのために! とか、そういう要素だけで嘘臭くやったらダメだと思う。うーん。書いてみるか。
方針転換:今回
王道って、ムネアツ系のことだろか?そうだな!ばこーんて敵を倒す!これ男性的な話にしないためには、対話することだな。けど物語は個人で書くから、対話が同化的になっちゃうんだよな。
まあ、書こうか。



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20_ミュージカル映画2本「アニー」「ピッチパーフェクト」

どうもMaximoNelson49です。「アニー」と「ピッチパーフェクト」を観たよ。

ピッチ・パーフェクト [Blu-ray]

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あらすじはそれぞれ、

アニー

ニューヨークの市長選挙に出ている主人公は、支持率を伸ばすために一時的に孤児のアニーをひきとる。思惑通り支持率は伸びたが、アニーとかかわるなかで、主人公は大切なものに気がついていく。

ピッチパーフェクト

作曲家になる夢を持つ主人公は、一年間大学で過ごさなければ支援しないと父親から言われ大学にはいる。そこで誘われたアカペラサークルに入り、愉快な仲間たちと一年を過ごす。

今回のエントリでは、このふたつの映画を比較する。おそらくなのだけど、ミュージカル映画って歌ったりがメインで、あんまりストーリーで凝らない。それ故に、どこまで書けば観客はストーリーが存在すると感じて満足してくれるか、が分かると思う。その境界線を探る意図で、2本用意している。

所感としては、キャラがよくってストーリーも見てられるのが「アニー」、この映画はダメだな!というのが「ピッチパーフェクト」だ。

アニーとピッチパーフェクトの違い

面白いなーとつまんねーなーの境目にあったのがこの2本。この2本はわりと似ている。物語を推進するキャラクターが多く、コメディタッチの作品だ。パターンとしては、魅力的だが欠点を持つキャラクターたちが、その欠点を克服しほっこり幸せになる、みたいな話になる。
コメディタッチの作品で重要なのは、まず読者に登場人物を好きになってもらうことだ。車に轢かれそうな猫を助けて、いい奴だなあ、と思わせるなど。キャラクターたちは魅力的で、そして同時に、「欠点」をも持つ存在でなければならない。
(なお、欠点を用意するのは単にストーリーの都合だ。ハウトゥ的に「欠点がないキャラには親近感が覚えられない」などと余所からとってきた言葉をまるで自分の言葉のように言う気はない。)

そういう意味で、アニーのほとんど主人公であるオリバー・ウォーバックスや、ハニガンなどはかなり良かった。最初は嫌なやつだが、なんとなく憎めなくて、最後はいい奴だなと思える。納得感がある。

一方、ピッチパーフェクトはその点がかなり厳しい。登場人物たちには変化がないか、もしくは根拠なく変化する。
小声でしか話さなかったアジア人が大会ではボイスパーカッションを披露し活躍する。
こういうストーリーが存在するのだが、何故小声でしか話さないのか、何故ボイスパーカッションが上達したのかはかなり謎だ。小声はギャグとして描かれているようでもあるが、アカペラサークルにいる以上、読者はその小声を解決されるべき問題と判断する。実際ストーリー上でも、小声だけれどボイパが出来るとのオチがつくわけだが、そこへの繋がりが雑なのだ。途中でボイパの出来る男と懇ろになっている描写があったのでそれがボイパ習得の理由なのだろうが、何よりこのストーリーにかけているのは小声ちゃん自身が小声に問題意識を持っておらず、小声だけれど他で頑張る、的な欲求もなにもないことである。大切なのは欲求だ。欲求さえあれば、仮にボイパの練習など、なんの努力もしていないけれど彼に教わったら謎の才能が開花して習得しました! というオチでもある程度の納得がいくはずだ(「ワンチャンス」(2013,英)にはそういうシーンがいくつか。)

他のキャラクターに関しても、とにかくピッチパーフェクトには問題をとらえ欲求する、という要素が少なすぎる。主人公にしても欲求が少なく、物語の開始に夢を語ってくれたのはいいものの、なぜか早々にそんな夢などどうでも良くなり、目的の分からないアカペラサークルに参加する。そういう姿勢は非常に大学生らしいし、夢や成功がなくとも友人がいれば人生は楽しい的な主旨なのかもしれないが、そうであるなら作りが雑すぎる。作者はストーリーを消化する量が足りていない。

ひとしきりピッチパーフェクトのことはディスれたと思う。問題意識と欲求あるキャラクター作りは、興行映画においてはある程度前提であり、その点でピッチパーフェクトは見ていられない映画だった。

悪役のいない「アニー」

前述だが、アニーの登場人物は、本当にみな親しみが持てる。悪役の男にしても、馬鹿なキャラクターという感じで、憎みきれない。なぜ憎みきれないキャラクターが作れるのかは、キャラクター論の場に譲るとする。キャラクター的にはとてもよかったアニーだが、ひとつ問題を挙げるとすると、クライマックスシーンでストーリーが若干ぐだっていることだ。
アニーのクライマックスがどうなるのかというと、
アニーの偽物の両親が現れ、ウォーバックスとアニーは仮の別れを経験する。
ここではウォーバックスの選挙コーディネーター(?)が、支持率を伸ばすための最後の策として、アニーと偽両親との再会の場を作り出す。社会的な成功(選挙での勝利)か家庭(アニー)かという二者択一の命題が描かれており、選挙コーディネーターはアニーやウォーバックスの敵となる。

この選挙コーディネーターだが、いまいち敵として魅力にかけるというか、障壁になりきれていない。それ故に後半はヌルいストーリーになったし、主人公サイドの超えなければならない壁としては、クライマックスのカーチェイスだけだ。それも、主人公はヘリを持ち、追う相手はボロい車である。

このように、主人公たちは敵なしなのだ。主人公にしても、すでに大きな権力は握っているし、対立するに相応しい悪役はストーリー上存在しない。

そして恐らく、アニーの後半がぐだった理由は、この悪役の不在である。

悪役不在とストーリーの停滞

アニーの後半がぐだったことと、悪役がいないことは非常に密接だ。ストーリーの後半は物語の緊張が高まる。そこで大きな役割を果たすのは、強い敵キャラである。キャラでなくてもいいが、障壁がなければ、ストーリーをまとめあげる力にはならない。

ではここで、アニーのクライマックス直前までのストーリーを整理し、そのストーリーから描き得る悪役像を確認したい。
トーリーは大抵、ふたつの筋を持つ。それは内的なものと外的なものだ。内的なものは主人公の持つ性格や欲求に関わるもの、外的なものは現実世界で結果として表出するもの。
アニーの内的なストーリーを端的に言えば、
ウォーバックスが新しい自分を得る。
というものだ。具体的には、市長選に出、権力志向の強く、潔癖症で冷徹なキャラクターから、孤児を受け入れ温かみのあるキャラクターに変化する。
悪役・敵キャラとは既存の世界観の象徴であり、変化を妨げる存在だ。そのため、アニーにおける敵キャラは市長選に挑み権力へと向かう存在、つまりはかつての自分や、選挙コーディネーターとなる。

次に外的なストーリーを整理すると、
ウォーバックスが選挙で勝利する。
トーリーの開始当初、支持率の低迷が課題として挙げられていた。それゆえクライマックス直前までは、それを解決し、勝利することが外的なストーリーだと思われていたはずだ(実際はウォーバックスが選挙を辞退する)。
こちらでは、勝利の妨げになるものが悪役・敵キャラとなる。対立候補や、仕事を邪魔するアニーだ。

こう整理すると分かるが、アニーの内的なストーリーと外的なストーリーは必ずしも一致しない。むしろ、内的なストーリーが解決されるにつれ、ウォーバックスは新しい価値観に気がつき、外的な勝利から遠ざかっていく。

ここがアニーのストーリーの難しいところだ。オーソドックスなストーリーでは、内的なストーリーと外的なストーリーは一致し、主人公の内的な問題が解決されると、同時に外的な問題も解決される。
適当な例を作ると、
主人公は厳しいコーチの指導のもと、水泳の世界大会に向けて努力をしている。当初はコーチと分かり合えずぶつかってばかりだったが、次第に理解しあい、大会での勝利を得る。
コーチと分かり合えないのは内的なストーリー、世界大会は外的なストーリーだ。内的なストーリーにおける敵キャラは理解し合えないことであり、外的なストーリーの敵キャラは世界大会でのライバルたちだ。ふたつの敵キャラは、重ね合わせて同時に打ち倒すことができる。

だがアニーはそれができない。ストーリー開始当初の外的問題を解決することは、内的問題において敗北することだ。そこがねじれている。

アニーパターンの具体的な解決方法

ここまでで、ストーリーと敵キャラの関係を述べた。まとめると、
  • 外的問題と内的問題両方において負の象徴となり、彼を倒すことが外的問題・内的問題の解決になるパターン。
  • 内的問題においては負の象徴だが外的問題においては正の象徴となり、彼を倒すことは内的問題の解決、外的問題の敗北を意味するパターン。

となる(たぶん他にもある)。

前者のオーソドックスなパターンはすでに述べたので、アニーパターンの例も出しておくと、

主人公はコーチの非人間的な指導のもと、水泳の世界大会での優勝を目指していた。しかし主人公は世界大会の直前にヒロインと恋におちる。主人公は水泳での成功だけが人生ではないと知り、ヒロインとの人生を選ぶ。

こんな感じだ(あんまり納得いかないと思う)。

このストーリーでは、コーチ的な考えとヒロイン的な考えを比較し、ヒロイン的な考えが正しいと言えなければならない。そして欲を言えば、外的問題が空中分解しているのは事実なので、なんらかの形で外的問題の解消をはかれると良い。その方法をいくつか提示する。

解消法1,別ルートをとる。

上の例で例えると、水泳での成功は正しいが、コーチ的な考えは間違っているとするやり方だ。コーチ的な考えは単なる方法であり、別のルートから外的問題の解消を目指す。

主人公はコーチの厳しい指導のもと、水泳の世界大会での優勝を目指していた。主人公の父も水泳選手であり、コーチはそのチームメイト。父はかつて大会で失敗し、泳ぐのを止めていた。以降酒浸りの父のようにはなりたくないと、コーチを信じ練習に励んでいる。しかし主人公は世界大会への選考会を目の前に、スランプに陥ってしまう。苦しい期間、ある女性を助け、また恋におちる。ヒロインとの交流を経て、主人公は次第に父との関係を修復させ、父のアドバイスにより代表選手に選ばれる。しかしその泳ぎを見たコーチに感づかれ、それを厳しく諌められる。再びコーチの元に戻り練習に励むが、一向に成果が上がらない。そのとき主人公は、コーチの過去の不正に気づいてしまう。父が世界大会で失敗したのはコーチのせいだった。主人公はコーチの不正をただし、父とともに世界大会で勝利を掴む。

ここでは第2のコーチ<父親>が出てきて別ルートを示す。同時にコーチの考え方も否定し、コーチを敵キャラにしたてあげて倒すこともできる。まあよくあるやり方だ。

解消法2.論点を高次に移す。
トーリーで示される外的問題を、より高次なものに高める、という解消法。アニーはこれをやろうとしていて失敗している。アニーは市長選で勝つことが外的問題であったが、最終的に主人公は孤児のため(街のため)に動いている。つまり、市長選は街に貢献するための手段にすぎず、本来の目的である「街のために」は果たされているとするものだ。これも別ルートから外的問題を解決するのだが、同時に外的問題自体すり替えられているという点で注意が必要である。アニーの例なら、本来市長選に勝ち権力を手にすることが目的だったが、それがすり替えられ孤児やアニーのためになっている。このとき、外的問題が変更になったことを読者と合意しなければ、クライマックスに納得してもらえない。どこかで孤児のために生きるべきだという伏線を引いておけばよい。


アニーの作品意図

ここまでで、アニーがストーリー上どんな難点を抱えていたのか、そしてその難点を解消するためにどんな工夫がされているのかまとめた。アニーはウォーバックスの抱えた欠点(潔癖で冷徹)を解消しようとすると、映画開始当初の目的(市長選での勝利)を手放さなければならなくなる。そのため、目的をより高度なレベル(愛する人のため、街のため)にすり替え、オチをつけようとしている。映画のラストに描かれる識字院のくだりはかなり重要なポイントだったのだ。

識字院に至るまでを、もう少しはっきり問題意識として取り上げて、読者に同期させられれば、ラストにも納得いったのではなかろうかと思う。

また、あえて触れなかったけど、アニーは憎めないキャラクター、悪役の条件を学ぶ上でも勉強になると思う。ここら辺はまた別の機会におさえたい。

今回は以上です。


以降メモ。

・ストーリーのために欠点を持たなければならない、とはどういうことか。

・成長しなくてもよいキャラクターとは? ストーリーにかかわらない? 例えばアニーの、部屋のこどもたち。敵キャラ。何か勝利する側の人間は変化する? まあ物語の論理として、その世界のルールに従った人間が勝てるべき、勝つひとは、理由として従っているべき。

・内的問題を抱えた頃の外的な目標、なぜ内的問題が解決されても外的な目標を解決しなきゃならんのか。

・ヒロインと仲良くなるのは川にながされてるヒロインの犬を救ったから。その犬はかつて父親との思い出になってる犬種。