コミュニケーションと権力関係について
どうもMaximoNelson49です。ずっと考えていたことについて、ぼちぼちまとめる。
コミュニケーションについて
合意と権力関係
ドイツ行政法のbesonderes Gewaltverhältnisに由来する概念であって,明治憲法下の日本行政法学によっても用いられた。特別の法律上の原因(法律の規定または当事者の同意)に基づいて,一定の範囲で一方当事者が他方を包括的に支配し,相手方がこれに服従しなければならないことを内容とする関係。このような関係は一般の民事関係でも,例えば親子関係などにみられるが,特別権力関係というのは通常は公法関係のそれを指す。
コミュニケーションの限界
- 他者に対して権力を握る側は、健全なコミュニケーションを望む限りにおいて、その不可能性を自覚すべきである。すなわち、自分の言葉は基本的に強要となることを自覚すべきであるし、私たちは対等だからと安易に考えるのは無責任である。
- 不適切な権力の行使を防ぐために、権力を握る側は、その権力の範囲を自覚し、権力を握られる側と共有すべきである。分かりやすくいえば、教師が権力を行使できるのは教育の範囲内であり、性的な関係に代表されるような、教育以外のものごとを強要する権利はない。そのことを生徒と共有し、適切な範囲を超えるところにまで権力が及ばないよう気を付けるべきである。
- 健全なコミュニケーションのためには、権力関係そのものを崩しにかかる方が本質的かもしれない。
- 権力を握る側は、握られる側に奉仕すべきではないか。
- 権力を握る側は、握られる側に様々な強制が可能であり、動機付けも可能である(教育は多かれ少なかれその形式をとっている)。しかし、それによって握られる側が自発的な動機を抱く機会は失われてしまうのではないか。
- DVは暴力によって相手を意のままに操るものであり、根拠のない権力関係を形作るものである。そのため、健全なコミュニケーションの観点から、DVはすべきではない。
解について
オチ。
オチとは。
主人公は、身に覚えのない罪によって投獄される。獄中から身の解放を訴え続けた彼は、投獄の裏に隠された真実を見抜き、ついに無罪放免となる。
これだと、無罪放免がオチ。「身に覚えのない罪によって投獄」がこのストーリーの不安定状況であり、それを解消するのがオチだ。
またこのとき「投獄の裏に隠された真実を見抜き」をオチに含めるという意見もあるかと思う。それは「身に覚えのない罪によって投獄」のうち、「身に覚えのない」という部分に問いをフォーカスさせたときのオチと言える。そういう場合、例えば以下のようなストーリーだと、オチが弱いとされる。
主人公は身に覚えのない罪によって投獄される。獄中から身の解放を訴え続けた彼は、折よく恩赦によって解放される。
ここでは投獄の理由が分からないままに、恩赦によって解放されている。理不尽な投獄という謎は解かれず、不満が残る。これではいけない。
以上のケースで、ふたつのことが言える。
- オチは、問いに対して適切なものでなければならない。
- (翻って)問いの範囲設定を明示的にしておかないと、オチへの不満が出る。
- オチには驚きが欲しい。
または、なにかを悟らせるようなものでなくてはならない。たとえば、新しいなにかを理解するとか。認識を更新されるようなものだとか。
人間がなにかを理解する、ということ。
ちょうど手元に「理解する」ということについて面白い文章があったのでそれを引用する。安宅和人さんの『イシューから始めよ』には、以下のようなことが書いてある。
深い仮説を持つための2つめの定石は「新しい構造」で世の中を説明できないかと考えることだ。どういうことか? 人は見慣れたものに対して、これまでにない理解を得ると真に大きな衝撃を感じるものだ。そのひとつのやり方が先ほどの「常識の否定」だが、もうひとつのやり方が検討の対象を「新しい構造」で説明することだ。
「人が何かを理解する」というのは、「2つ以上の既知の情報に新しいつながりを発見する」ことだと言い換えられる。この構造的な理解には4つのパターンが存在する。簡単に説明しておこう。
⚫共通性の発見[…]⚫関係性の発見[…]⚫グルーピングの発見[…]⚫ルールの発見
思い付いたアイデア
Mommy
どうもMaximoNelson49です。「Mommy 」を見たよ。以下ネタバレガンガンしながら感想書きます。
「mmomy」(2014 加)監督:グザヴィエ・ドラン
あらすじ
放火のかどで施設から追い出されたスティーヴは、その母・ダイアンと新しい生活を開始する。彼は発達障害を持ち、社会的なつながりを作ることが難しい。あるときスティーヴは母を元気づけようとネックレスをプレゼントするが、万引きを諫められてしまい、パニックに陥りケガをする。その治療をしてくれたのは向かいに住んでいたカインであった。カインは失語症を患うが、以前は教師をしていた。以降、スティーヴはカインの元で勉強することになる。生活は上手く回っていきそうな兆しを見せていたが、そんな折、スティーヴが過去に起こした放火事件で慰謝料を請求される。弁護士を雇うこともできず、生活も回らなくなったダイアンは、スティーヴを精神病院へ入れる。
発達障害を持つ少年と母親の話。2015年にカナダでS-14法が可決され、障害児のために経済的困窮を持つ親はその養育の義務を放棄することが認められた。これは架空の法律で、つまり、この物語世界では、「親に加害する子ども」というのが前提として描かれている。
まあ実際のところ「親に加害する子ども」というのはその通りで、スティーヴは万引きをしてダイアンに怒られればパニックになってダイアンの首を絞めるし、お隣さんのカインに対しては失語症をからかい大切なロケットを取り上げてめちゃキレられる(その上カインがあまりの権幕だから失禁する)。物語が決定的に動く「慰謝料の請求」にしても、それはかつてスティーヴが放火をしたためであり、その解決のために母親が近所の弁護士と懇ろになろうとしたところ、スティーヴがすべて台無しにしてしまう。物語が行き詰まればスーパーで自分の手首を切るし、まあ手に負えない子どもではある。
ただ僕は、スティーヴはくそ野郎だけど、別に悪くないよな、と思う。
この映画を見てものすごく泣いてしまったのは、精神病院に入れられたスティーヴがダイアンに電話し「最高の母親だったよ、今まで迷惑ばかりかけてごめん」と謝るシーンだ。泣いたのは、別に母親が報われてよかったとかではない。すごく不条理なものを感じて泣いてしまった。
この映画では、「スティーヴのためを想って」というセリフが何度か登場する。序盤にネックレスを万引きしたとしてスティーヴをしかるシーンや、弁護士とねんごろになるシーンで使われる。ちなみに、万引きについては、本当にネックレスが万引きされたのかは明らかにされず、ダイアンが決めつけただけだ。スティーヴはダイアンの首を絞めるが、それはダイアンが彼を本棚の下敷きにしたからだし、その後もスティーヴの頭を額縁で殴る。また弁護士とのシーンでは、酔った男たちに罵倒されるスティーヴを無視し、ダイアンは弁護士と酒を飲んでいる。そうしておきながら「あなたのためだった」と言う。最終的にスティーヴは精神病院に入れられるが、嫌がる彼を抑え込みながら精神病院の男性職員3人が「お前のためにやっている」と言う。言いながら、馬乗りになって何度も何度もスティーヴの顔を殴りつけ、スタンガンを浴びせる。これは今まで母親が行ってきた行為と同じだ。
そんなストーリーの最後に出てくるセリフが「最高の母親だったよ、今まで迷惑ばかりかけてごめん」なのだ。そんなわけないだろ、と思って僕はすごく泣いてしまった。僕はこの映画を、スティーヴに感情移入して見ていた。スティーヴをずっと応援していて、誰かに彼の話を聞いてほしいとずっと思っていた。そんで救われてほしいと思っていた。それなのに、最終的にスティーヴの方から、母親が被害者で自分が加害者だと言われ、すごく梯子を落とされた気分だし、そんなわけないだろ、お前悪くないよ、自分がダメだったなんて思わないでくれ、となって、泣いた。
なんというか、まず第一に、こんなことはもう誰でも知っていると思うけれど、子どもは親のためになんて産まれてこない。子どもを持つと得する、なんて思っているなら、それはまだ人からものをもらう側の人間だ。分け与える側にはなれない。だからスティーヴが迷惑をかけることなんて当たり前だし、全然謝ることじゃない。
そして第二に、ダイアンは、まあ、別にこの母親は頑張ってるし、なんとか分け与えようとしていると思う。けれど、同時にすごく違和感を覚えるのは「お前のために」というセリフだ。この家庭にはコミュニケーションがなく、半ば母子が境界のない一体のものとして描かれている。スティーヴの気持ちは無視され、母親の想像する「スティーヴの気持ち」が優先される。自他を混同し、区別がついていない。母親は常に鏡と会話をし、スティーヴ本人は忘れ去られている。
まあ実際この映画を見ると、母親も一方的に責められる感じでは描かれておらず、むしろ母親の心情に沿ってストーリーは進んでいる。頭の悪い親が周囲と同じようにしたらとんでもない目にあってしまう、無力感でうわーんと泣いてしまうような映画でした。ただスティーヴが責められるのは少なくともおかしいし、これを深い母の愛などと解説するのもおかしい。子どもは愛されて当たり前だし、それに対して親が称賛されるような社会は未熟だ。オムツ変えるたびに赤ちゃんに賃金要求するみたいな話じゃないですかね。
制作01_成長型03
小説を書くにあたってのテンプレート
思い付いたストーリー
・ゾンビもの。ウイルスと死ぬことでゾンビ化する。噛まれて感染。噛まれたら大体死ぬから噛まれた時点でゾンビかと思われてるけど、死ななければオッケー。
色々書いてて
では
そら書けんわ
ストーリーを生成するには
逃げる主人公と追う警官。警官は全く追い付かない。逃げ切る。得たものをにやにや掲げる。食べ物か飲み物。主人公は子供。切実にそれを必要としている。後ろから、それを取り上げる腕。スーツのパツキン男。アクセサリーじゃらじゃら(なんで?かつての反動?昔は🈳😢👛)。食べちゃう。いくらだ!と子供は男に詰め寄る。利子でチャラだと返される。男は金貸し。親の借金。苦労する気持ちもわかんねえ癖にと罵倒。わかんねえな、俺は金持ちだからナチュラルボーン。鼻水をスーツに擦り付ける。後に成り上がったと分かる。
壁が崩れてくる。家がつぶれる。家には機械細工の大切なものがある。それを救出に戻る。無事、かと思うと目の前で壊れる。直してもらいに、ついでに居候で友人宅にいく。
壁の近くのスラムは、スパイがいる。
壁の近くに住むスラムの子をいじめる。出てくると石を投げる。
こんなもんか。これはまあすごくシンプルなやり方だ。今持っている情報を列挙する。その上で、「ストーリー基本の五点」になりそうな箇所を編集する。けど、問題点がいくつか。
問題点①:ストーリーを生成する、という問題にたいしては、直接の対策になってない。
今持っている情報を列挙しているだけなので、芽を探したり整理をするのに一役買っても、生成まではいかない。
問題点②:成果物のレベル感がモノによってばらばらになる。
情報を列挙するとき、どれだけアイデアを持っているかというのはその時々によってばらばらだ。この作業を経てこのレベルの成果物が出来る、ということにはならない。
ということで。
どんな策
ストーリーを育てる質問集
- 主人公の好きなものは?
- 主人公の嫌いなものは?
- 以上の理由は?
- 主人公
- テーマ
- 問い
- はじまり
- おわり
- シーン
- オチ
- オープニング
- ことば
思い付いたストーリー
金貸しの男と男の子の話。平行して家のつぶれた男のはなし。男はつぶれても成り上がる。かつての金貸しか。男の子の今後か。
アイデア
「龍使いになれる本」ってタイトルの小説、らのべにありそう。メタ的なタイトルなのか、小説本体でそういう本が出てきて、なのか。
らのべ的世界観で進めて、それを否定し、さらに示す物語。女の子の描きかた。人とのコミュニケーション、男友達が書けないこととか。
一旦、小説の書き方についてのエントリを別に作るので、このエントリはおわり。
製作01_成長型2(アイデア出し)
- 設定を語っている。
- キャラクターが出てない。
- 問題がない。
- 何について語るのか、分かってない。
- テーマもないなあ。
- ムネアツのものを作るのはいいが、テーマもかんがえないと。
- テーマ:
- お前の話を聞かせてくれ
- 「ブエノスアイレス」
1#家が潰れる
- 人の家に行く
- 家のなかに大切なものがあるからそれ探す
- 人を助ける
- 落ちてきたものを確かめる
- 落ちてきた上を見上げる
- 居候
- 家人と会う
- 探す/助ける
- 壊れている
- 無事であるが、一部壊れている
- さらに落ちてくる
- なにかが見える
- なにも見えない
2#家の中の大切なものを探す。無事であり、ひと安心すると同時に、壁を見上げる。何かもやがかっている(別の文脈、例えば恨めしいためにぶれて見えるなどで伏線を埋める)。足元に何か落ちていて、それを拾い上げる。大切なものが、ふと壊れる。宿を求め、大切なものの修理のために友人宅に移動する。
- 大切なものを直す。
- 落ちてきたものの分析
- 壁が地面
- 壁は立ち上がってる
- 壁なんてない
- 壁は投影
- 敵が味方になったとき
- センスオブワールド(?)
- 過去話で、設定明るみ
議論の停滞
- リハビリ
- 最低限をさぐる
- 問題に具体性がない。
- 気付きがない?(いやどうだろう)
思い付いたストーリー
マクガフィンについて
制作01_成長型1(方針決定まで)
どうも、MaximoNelson49です。典型的な物語類型として、成長型のお話を書くよ。んでもってその製作過程に考えたことを全て書き留めるよ。
制作意図
- 成長型の典型的な構成を実践する。
- 基本型、叩き台の制作。
実制作
プロット作業
反省
- 災害もの
- 企業もの
- ロードもの
- 探偵小説
- 感情移入
- 話を聞かないこと
- 教育
- 伝えること
- 悲しみ
- 怒ること
- 実家との付き合い
- 職場 仕事の早さで図られること
- 自分の底の浅さを見抜かれたような感じ
- かわいそう
- 悲しめないこと
- 自分のために悲しむこと
- それそのものについては悲しめない
- 自分の悲しむ姿を思い描いて悲しむ
- ひとの悲しむ姿を思い描いて悲しむ
- 共感して悲しむ
- 自分が可哀想だ
- 可哀想だねえ
- 大切なものと悲しさ
- 悲しむ、とは?
- 涙を流すことが悲しみの表現ではない
- テーマ
- 外的問題
- 内的問題
- プロット
テーマ
- 生活の中で思ったことを書き留めておく。
- 考えるべきことを書き留めておく。
- まとめてしまう?
- 小説に使える形にできればOK 、それが成果物?
- 何について扱うか。目に見えるもの。
- これはテーマがたってからの方がいいな。演出だし。
- 主人公の変化。
- これもテーマがたってから。密接。
- 外的問題を立ててから
- 内的問題を立ててから
- プロットポイント最低みっつ?
- 導入
- オチ
- 参考文献の読み込み
- 今回の狙い
今回
- 話が単調になる
- 同じ展開
- その展開以外にロマン感じない
- それ以外の類型の書き方が分からない?
- どこがポイントなのか
- 演出レベルでの変更で済むのか、構成レベルで何か必要な要素があるのか。前半にこういうシーンをいれなきゃだめとか。
- ロンググッドバイ系は、少なくとも書ける。書き方が分かるし、書けなくても書ける。自分で泣くことができる。それ以外は、なぜ面白いのかいまいち不明。
- 現代のいなぎやが独自進化をとげ帝国化した世界、みたいなのは書けない。
- たぶん「天使にラブソングを」も、書いてたらどこが楽しいのか分からず書ききれないと思う。
- マイルドな、面白い話と、刺さる話と、やはり刺さらないと書けない?
- どうだろうなー?
- けどこれ、燃える話が何故燃えるのか分かって書けたら、武器だよなあ、燃える話書きたいよなあ。
- 燃える展開を体験してない?
- 仕事で手伝ってやるとか、昔の機体を持ち出したときはむねあつだなと思ったけど。
- 熱いはなし、書きたいな
- ロンググッドバイ系のお話は分かるもんな、なんとなく。
- 最初に出会って、けどいなくなって、彼の思い出と同伴しながら何故いなくなったのかという内的な物語とメインになる探偵ものぽい外的な物語が進んで、最後にふたつの物語がとける。外的な物語は一見不条理で、何故そんな問題に取り組むのか分からないけど、実は内的な個人的な物語がある。物語が進むと、外的な物語は内的な物語にそぐわないと分かり、外的な問題がすりかわる。既存の外的な問題を頓挫させ、内的は問題を解決して終わり。
- とかな!
- まじで簡単だもんな~ロンググッドバイ系。
- ところがムネアツ系は、分からない。何が起点になって物語が駆動するのか分からない。
- グレンラガンは、動機を外部に化託していた。あれはものすごい嘘の物語だ。感動的なくらい。
- それにロンググッドバイ系は、いなくなった男の理由をさぐる、ってオチが最初から決まってるし。
- そうなるとムネアツ系はなんだ?助けたい人の敵を倒す?すげーつえー敵を作って倒す?
- あきらめない! とかあいつのために! とか、そういう要素だけで嘘臭くやったらダメだと思う。うーん。書いてみるか。
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20_ミュージカル映画2本「アニー」「ピッチパーフェクト」
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アニー
ニューヨークの市長選挙に出ている主人公は、支持率を伸ばすために一時的に孤児のアニーをひきとる。思惑通り支持率は伸びたが、アニーとかかわるなかで、主人公は大切なものに気がついていく。
ピッチパーフェクト
作曲家になる夢を持つ主人公は、一年間大学で過ごさなければ支援しないと父親から言われ大学にはいる。そこで誘われたアカペラサークルに入り、愉快な仲間たちと一年を過ごす。
今回のエントリでは、このふたつの映画を比較する。おそらくなのだけど、ミュージカル映画って歌ったりがメインで、あんまりストーリーで凝らない。それ故に、どこまで書けば観客はストーリーが存在すると感じて満足してくれるか、が分かると思う。その境界線を探る意図で、2本用意している。
所感としては、キャラがよくってストーリーも見てられるのが「アニー」、この映画はダメだな!というのが「ピッチパーフェクト」だ。
アニーとピッチパーフェクトの違い
小声でしか話さなかったアジア人が大会ではボイスパーカッションを披露し活躍する。
悪役のいない「アニー」
アニーの偽物の両親が現れ、ウォーバックスとアニーは仮の別れを経験する。
悪役不在とストーリーの停滞
ウォーバックスが新しい自分を得る。
ウォーバックスが選挙で勝利する。
主人公は厳しいコーチの指導のもと、水泳の世界大会に向けて努力をしている。当初はコーチと分かり合えずぶつかってばかりだったが、次第に理解しあい、大会での勝利を得る。
アニーパターンの具体的な解決方法
- 外的問題と内的問題両方において負の象徴となり、彼を倒すことが外的問題・内的問題の解決になるパターン。
- 内的問題においては負の象徴だが外的問題においては正の象徴となり、彼を倒すことは内的問題の解決、外的問題の敗北を意味するパターン。
となる(たぶん他にもある)。
前者のオーソドックスなパターンはすでに述べたので、アニーパターンの例も出しておくと、
主人公はコーチの非人間的な指導のもと、水泳の世界大会での優勝を目指していた。しかし主人公は世界大会の直前にヒロインと恋におちる。主人公は水泳での成功だけが人生ではないと知り、ヒロインとの人生を選ぶ。
こんな感じだ(あんまり納得いかないと思う)。
このストーリーでは、コーチ的な考えとヒロイン的な考えを比較し、ヒロイン的な考えが正しいと言えなければならない。そして欲を言えば、外的問題が空中分解しているのは事実なので、なんらかの形で外的問題の解消をはかれると良い。その方法をいくつか提示する。
解消法1,別ルートをとる。
上の例で例えると、水泳での成功は正しいが、コーチ的な考えは間違っているとするやり方だ。コーチ的な考えは単なる方法であり、別のルートから外的問題の解消を目指す。
主人公はコーチの厳しい指導のもと、水泳の世界大会での優勝を目指していた。主人公の父も水泳選手であり、コーチはそのチームメイト。父はかつて大会で失敗し、泳ぐのを止めていた。以降酒浸りの父のようにはなりたくないと、コーチを信じ練習に励んでいる。しかし主人公は世界大会への選考会を目の前に、スランプに陥ってしまう。苦しい期間、ある女性を助け、また恋におちる。ヒロインとの交流を経て、主人公は次第に父との関係を修復させ、父のアドバイスにより代表選手に選ばれる。しかしその泳ぎを見たコーチに感づかれ、それを厳しく諌められる。再びコーチの元に戻り練習に励むが、一向に成果が上がらない。そのとき主人公は、コーチの過去の不正に気づいてしまう。父が世界大会で失敗したのはコーチのせいだった。主人公はコーチの不正をただし、父とともに世界大会で勝利を掴む。
ここでは第2のコーチ<父親>が出てきて別ルートを示す。同時にコーチの考え方も否定し、コーチを敵キャラにしたてあげて倒すこともできる。まあよくあるやり方だ。
解消法2.論点を高次に移す。
アニーの作品意図
今回は以上です。
以降メモ。
・ストーリーのために欠点を持たなければならない、とはどういうことか。
・成長しなくてもよいキャラクターとは? ストーリーにかかわらない? 例えばアニーの、部屋のこどもたち。敵キャラ。何か勝利する側の人間は変化する? まあ物語の論理として、その世界のルールに従った人間が勝てるべき、勝つひとは、理由として従っているべき。
・内的問題を抱えた頃の外的な目標、なぜ内的問題が解決されても外的な目標を解決しなきゃならんのか。
・ヒロインと仲良くなるのは川にながされてるヒロインの犬を救ったから。その犬はかつて父親との思い出になってる犬種。