親です。

読んだ本とかについて書いてます

社会心理学② 社会問題について「どんな問題か」「原因はなにか」「どんな解決策があるか」

どうもmaximonelson49です。社会心理学のレポートが下書きにあったので晒す。もったいないし。

 

社会問題について「どんな問題か」「原因はなにか」「どんな解決策があるか」

本レポートでは、児童虐待について扱うとともに児童虐待が「どのような問題か」「何が原因か」「どんな解決策があるか」について述べる。

まず、児童虐待が「どのような問題か」についてだが、児童虐待は保護者がその監護する児童に対して行うものであり、厚生労働省によると次の4種類に分類されるという。1.身体的虐待(殴るなど)2.性的虐待(子どもへの性的行為など) 3.ネグレクト(家から出さない、食事を与えない、ひどく不潔にするなど) 4.心理的虐待(ことばによる脅し、子どもの前で家族に暴力を振るうなど)

虐待の行為者は実母がその6割弱を占め、また虐待をうける児童の年齢は未就学児が全体の4割強を占めている。児童相談所児童虐待の相談対応件数は平成24年度で66,701件であり、これは厚生労働省が公開している平成24年まで毎年増加している。またこの件数は相談に至るようなケースであり、軽微・単発のケースまでを含めれば件数はより多く、身近な問題と言えよう。実際、中谷(2006)の調査・研究では「お尻をたたく」「大声でしかる」「泣いても放っておく」については「「しつけ」の一環として行うことが多い日常行為」と指摘されている。

次に児童虐待の「何が原因か」だが、中谷(2016)によると「被虐待歴や抑うつなど親の要因、育てにくさや障害などの子どもの要因、夫婦不和や経済的問題など親子を取り巻く環境要因がリスク要因」であり、中でも加害者である親のリスクは極めて重要かつ中核的な要因とのことである。中谷はこの論文の中で親の認知特性(被害的認知)がネガティヴな感情を経由し、また直接不適切な養育に繋がると示している。中谷自身はこの論文の中では被害的認知がどのように不適切な養育に繋がるかという点を論じており、どのように被害的認知が形成されるかについてはあまり述べておらず、ただ帰属理論によると示している。原因帰属という観点から、子どもに対する親の被害的認知を考えると、下記のような帰属のバイアスによって社会的推論が歪められているのではないかと推測できる。まずは行為者-観察者バイアスである。これは他者の間違いを観察する際はその他者当人に原因があると捉え、自分の行為に間違いがあった場合は状況に原因があったと捉える帰属のバイアスである。これは「ファミレスで騒ぐ子どもと、それを叱る親」の図を考えてみるとよく分かる。親は騒ぐ子どもの観察者として、子どもが騒ぐ原因を子どもの内的要因に帰属させ、同時に騒ぐ子どもの親という行為者としては、子どもという外的な要因に帰属させる。このように、親は行為者、観察者の両面から間違いの原因を子どもに帰属させようとし、自分は子どもによって被害を受けているという認知を深めていく。

さて、最後に児童虐待に「どんな解決策があるのか」について述べる。上記の帰属のバイアスについて、その原因としては自尊心の問題が挙げられる。現在の日本では、家事育児の主担当は未だ女親であり、また母親は強くあるべき(=強くあらねば母親失格である)という母親信仰も見られる。しかし母親も人間であり、人間である限り育児への向き不向きも存在する。それを十把一絡げに育児に向けさせれば、たまたま育児が苦手だった人は自尊心を損なってもしょうがない。また、それまで仕事や趣味を楽しんでいたのに、出産を期にそれらを辞める、というのも、自己概念の複雑性の観点から自尊心を損ないやすくさせるので、避けた方が良い。

これらの点から、育児は女親の仕事という認識を改めることや、望めば共働きのまま生活できるよう待機児童の削減に向けて保育所の拡充を進めるなどの解決策が挙げられる。

 

講義自体も受けてきたのでそのうち講義のまとめもやります。今回は以上。

FileMakerの勉強 vol.2

どもっす。maximonelson49です。

以前データベースの初歩の初歩記事かいたけど、その続き。各章ごとに何が書かれていたのか、まとめる。ちな前回のデータベース記事はこちら。

データベースのマジで初歩(概要とか)まとめ - 今から父になるから俺の悩みを聞いてくれ。

 

『FileMakerMasterBook 初級編』第2章(FMの基本的な使い方とブラウザモードの画面説明)

第2章はFaleMakerの基本的動作について。たとえばExcelからFMにデータを引き込むにはどうするかとか、起動の仕方はどうとか、あとはどんな画面があるのか。FMには4つのモードがあり、それぞれ下記のよう。

・ブラウザモード
データの表示、作成、編集、削除(ふつーのエクセル画面みたいなやつ)
・検索モード
データの検索
・レイアウトモード
レイアウトの作成、編集(アプリぽい画面)
・プレビューモード
印刷イメージの確認

また、この中のとくにブラウザモードの画面の触り方を扱った。

『FileMakerMasterBook 初級編』第3章(RDBMSの説明とレイアウトモードの画面説明)

 この章では頭にRDBMS(Relational DataBase Management System)の説明が入った。これは前回記事で俺がまとめた内容とだいたい同じ。なのではしょる。

その後、レイアウトモードの画面説明。FMはカスタムAppであり、自分の好きな感じのアプリ画面を容易に作ることができる。なのでまあ、このアプリ画面と、データベースの作成ってのが、FMの主要な機能のふたつなんだと思う。

 

まあ、今回はそんなところ。毎日30分触る、とかして勉強したい。

幸福学っての、慶應でも流行ってるじゃないすか

どうもmaximonelson49です。今回は小難しいこと書く

 

幸福について

のっけからすげー大上段で恐縮なのだが、以前、ブログでこんなことを書いた。

幸福は、分からない。ここで面白いのは、大概の人が「幸福になりたい」とは思っているということだ。何が言いたいのかというと、みんな、「幸せになりたい、けれど幸せが何なのか分からない」。なら、幸せについて語るときは、まずその幸せが何なのかについて考えた方がいい。そしてそのとき大切なのは、幸福観なんてのは、人それぞれ違うってことだ。だって人間ってのはみんな別の肉体と精神を持つ異なった存在だから。幸せについて語るなら、私にとっての幸せを定義する必要がある。

私の志望動機(7000字以内) - 今から父になるから俺の悩みを聞いてくれ。

 まあ上の記事は俺の、去年?の時点での志望動機をまとめたもの。んでまあ、とりあえず上の記事の一部引用範囲では、幸福についてちょろっと少し書いている。また幸福について、当時の自分の考えていたことがノートに残っていた。今回はそのノートの内容を引用しつつ、思っていたことをちょっとまとめる。あとタイトルには慶応の幸福学のこと書いたけど本記事全然関係ないです。ただ記事の最後に幸福学の前野さんの本について少し書いたので、気になるならそれ読んでもらってもいい。

幸せの定義

上の引用で何を言ってるかっていうと、なんか、俺が妻と結婚したばっかのとき、夫婦ふたり新婚かつ仕事結構頑張って充実? してたように見えてたろうけど精神的にくっそボロボロだったしあー幸せって分かんねえもんだな、ってことを書いている。かつ、この経験から「幸せになりたい、けれど幸せが何なのか分からない」というのを面白がっている。

この気づきは、まあ今でもそれなりに有意義かつ、自分らしい問題意識だなと思う。

たとえば「マクガフィン」って言葉があるのを知っているだろうか。これを買ってきてくれ、と言われたらあなたはどうするか。ちなみに「マクガフィン」はスコットランドだったかでライオンを捕まえるための道具なのだが、「マクガフィン」というものが何なのか知らずして「マクガフィン」を得ることはむつかしいだろう。

で、同様のことが、幸福にも言える。あなたが幸せになりたい、と思ったとき、その幸せとはいったいどんな形をしているのか。それが分かっていないと、何を目指すのかが分からないし、具体的なアプローチに落とし込むこともむつかしそうだ。問題を解くとき、私たちに必要なのは、解自体や解法ではなく、問題の意味を正しく把握することなのだ。

(俺はこういうふうに、物事が問いかけと解に分かれるとき、問いかけの方に価値があると考える。なぜかっていうと解は問いに対する解でしかなく、解の有効性は問いの理解度にかかっているから。問い自体が意味をなさないなら、それにどんだけ正確に答えても意味がない)

まあそんなこんなでそれゆえに、私たちは幸福について考えるとき、私たち自身にとっての幸福がなんなのかよくよく考えたほうがいい。つまり、幸福は定義することが必要だってこと。

ただ、このとき気を付けることがいくつかある。

①あなた自身の問いか、それとも社会善か。

 あなたにとっての幸福について定義するとき、いくつか注意したほうがいい点がある。ひとつめは、それは単なる社会善じゃねーの、ってことだ。

どういうことか。

これは、人はそれぞれ別個の存在であり幸福のかたちも違うんだから、世間様のいうとおりしても意味ないですよ、ってことだ。

例えば、世間には「男は女を養うもの」って善がある。で、このときあなた(男)が一生ニートして暮らすことを幸福と感じるならば、頑張って養ってくれる女性を探すことは決して間違っていない。堂々とそれを公言し、運命の相手を探してほしい。むしろ社会善である「男は女を養うもの」というのを内面化し、自分の幸福と勘違いしていたら、あなたはどれだけ努力しても、自分自身の幸福からは離れていくばかりで幸せにはなれない。これは問いを見誤っている。

人が幸福を追求するとき、人はそれぞれ独立した別の存在なので、その個人にとっての幸福もまた、その個人に依存する。

知らなかった人は覚えておくといいと思うが、私たちはみな独立した別の人間だ。例えば俺とあなたは生きてる年数も違えば出身も違うしどんな家でどんな教育を受けてきたかも全然違う、この世の本当腐るほどある変数をくっそランダムにぶつけられて育った一個人同士なわけだ。好きな色、味、においだって違う。何を好んで、何に幸せを感じるか、なんてのももちろん違う。そしてその幸福は誰にも否定できない。あなたがあなたであることは、誰にも裁けない。

この、社会善に従ってしまうってのは結構パターンがあると思う。たとえば「他人に奉仕することは素晴らしい」や「本当に好きなものであれば寝食惜しんでやるはず」といったものだ。下記で続けて説明する。

②他人に奉仕していないか

強固な社会善として、「他人に奉仕することは素晴らしい」というのがある。俺は血も涙もないゆとり世代なので分からないのだが、人間は基本的に自分の問題意識は自分で解決するべきであり、また他人の問題意識に対応するために動員される筋合いはない。自分自身にとって本当に何のメリットもないのであれば、他人に奉仕したところであなたの幸せにはつながらないであろう。まあ脳科学的に、他人への哀れみをもつと幸福度高まる、とかはあるらしいが。

③程度は適切か

社会的な価値観として「何があっても続けたいものが本当に好きなもの」みたいなのがある。んなわけあるか。たとえば俺はインド料理屋のカレーが好きだが、「一か月間インド料理屋のカレーを食べ続けられないならお前はインド料理屋のカレーが好きではない」と誰かに言われたら、本当にこいつは面倒くせえヤツだなと思う。俺は週に一回くらいのペースで食べたくなって実際食べるのは半年に一度、くらいにはインド料理屋のカレーが好きだ。つまり、好きというのはゼロかイチかの選択ではなく、ゼロから100まであるパラメータみたいなもんだ。カレーの例ならむしろ毎日食べたら嫌いになるだろうし、どの程度自分がその対象を好きなのかは見定めて用法容量を守って摂取したほうが幸せにはなれるだろう。

④一次的な欲求か、二次的な欲求

分類のレベルがそろっておらず恐縮だが、一次的な欲求であるか、二次的な欲求であるかは大切だ。どういうことかというと、例えばある男が、料理を作るのが好きでよく友人に食べさせていたとするとしよう。このとき、男が料理すること自体が好きなら、それは一次的な欲求だ。だが、友人の笑顔が好きであるなら、料理をすることは二次的な欲求であり、一次的な欲求は友人の笑顔を見ることである。後者の場合は、男は友人の笑顔さえ見れれば決して料理にこだわる意味はない。むしろ料理が好きであると勘違いしてキッチンの仕事とか始めたら、案外料理自体は楽しくなく、幸福からは遠ざかるかもしれない。

⑤あなたの幸福感とマッチしない他者承認を求めていないか

①②のミックスのような話なのだが、誰かに認められるために、自分にとって幸せでない行動をとるのは結構厳しい戦略だ。例えば自分の濃い趣味を隠したりして、その状態のあなたが認められれば認められるほど、そこからほど遠い素のあなたの幸福感は否定されることになる。 長期的にその苦しみを回避する戦略性があるのならいいのだが、目先の承認のためにそうするなら、それはジリ貧だ。

また、これと似た話として「自分の幸福観は他人に納得してもらう必要はない」というのがある。人間はそれぞれ別個の存在なので、自分の幸福が他人に納得されないことはある。が、それをどうこういわれるのはとてもおかしな話だ。また、他人の幸福観に納得がいかないからといってそれを否定してはならない。

最後に

まあぱっと思いつくのはこんな感じ。

ざっくり今回の記事をまとめると、「幸せになりたいとき、あなたにとっての幸せってなんなのか先に定義してないと目指しようがないよね」って話と、「定義するときこういう落とし穴があるよね」って話だ。

んでまあ、うまいこと自分にとっての幸せが分かれば、あとはそれに向けて努力してくださればいいと思う。余談だが、人間にはどうやら幸福追求権というものがあるらしく、だからまあ我らはみな幸福を追求する権利を持つ。なので安心して幸せになって下ればよい。ここら辺はまた別の記事にできればいいなと思っている。

ほんとの最後に、冒頭にあげた前野さんの本でも紹介しておしまいにする。なんかこういう話を書くとすげー身体中痒くなってきてしまうから。

 

 

幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書)

幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書)

 

 これはひとが幸せを感じる要素には何があるのか、について書かれたもの。幸せには4つの因子があるよ、という話。これはネットでも記事出てるので、それ読んで興味深ければこの本買ってみてもいいかも。関連記事あげとく。

前野隆司さんインタビュー|“幸福学”を知れば誰でも幸せになれる! 従業員が幸せになれば会社が伸びる! 人・組織・経営を変える“幸せの四つの因子”(前編) - 『日本の人事部』

 

 

 前野さんの本だとこれが一番面白かった。論理思考とかフレームワークとか好きな人は、それすら俯瞰するこの本はだいぶ面白く読めると思う。

 その他『死ぬのが怖いとはどういうことか』とか読んだことあるけど、まあわりと同じようなこと言ってるので前野さんの本はどれか読んどきゃいい、ってかんじがある。

 

来週の頭に社会心理学の講義を受けてくる予定で、楽しみです。あと最近仕事ができなくてポンコツ。以上!!!

好きなExcelショートカット ベスト5とかいうクソ記事だよ

どうもmaximonelson49です。

 

Excelショートカット

なんか最近あ〜〜入社してからの2年半で俺は何を学んだのかな〜〜と思うことがあるんだが一番の学びはExcelのショートカットでした。ので、好きなExcelショートカットをまとめる。ちなみに俺はExcel2003をずっと使っていたけど、それ以降のバージョンのやつは基本的に2003のショートカットも使えるはず。

 

第5位 セルのジャンプ [Ctrl]+矢印

セルを一気に移動するやつ。 地味だが使用頻度は高い。つーかいちいち矢印キーぽちぽちしたりクスロールバー掴むためにマウス使ってらんねえ。

あとこれ使ってると、各列にきちんと意味付けをしたExcel文書を作成するようになる。整理されたExcelを作るクセがつくので、そういう意味でもおすすめ。

 

第4位 フィルタの全解除 [Alt]⇨d⇨f⇨s

 ⇨は順番に押すって意味です。Excelの表いじくってるときにどの列にフィルタかかってるかいちいち探すの面倒なので、有用。マクロ発動させるとか任意のデータ取り出すとかあらゆる場面であらかじめフィルタかけられてるのはミスの元なので、Excelファイル開いた瞬間にフィルタ外して色々作業してます。

 

第3位 画面遷移 [alt]+[tab]

 これ会社入ってから知ったんですが、これ使わずに仕事できねえ。いちいちマウス使ってブラウザクリックしてメール確認、とかしてらんない。

第2位 いちばん左上のセルに移動 [ctrl]+[fn]+←(左矢印)

いちばん左上のセルに移動。ウィンドウ枠の固定してる場合は固定位置まで移動。

クソ地味なんだが、マナーとして『共用ファイルとかお客さんに渡すExcelファイルは左上にセル位置合わせとく』ってのがExcel界隈にはある。保存の度に頑張って左上までいくよか、このショートカット使う方がいい。

第1位 列の選択 [Ctrl]+[space]

 列の選択です。これ覚えとくと任意の列をコピーして挿入  [Ctrl]+[space]⇨[Ctrl]+c⇨リスト表示⇨eみたいな感じにコンボが使える(リスト表示ってのは右クリックで出てくるアレを出すキー。矢印キーの近くにある文書マークみたいなやつ)。同様に行の選択[shift]+spaceとかも展開性が高い。なお行の選択は半角入力モードでないと使えないから注意。

 

選外

 選外だがよく使うショートカット。
・保存 [Ctrl]+s
・コピー [Ctrl]+c
・切り取り [Ctrl]+v
・削除 リスト表示⇨d
・書式 [Ctrl]+1
・書式貼り付け リスト表示⇨s⇨↓⇨↓⇨↓⇨[Enter]
・ウィンドウ枠の固定 [alt]⇨w⇨f(Excelのバージョンによってはもう一個f必要)
・シート遷移 [ctrl]+[fn]+↑or↓
・デスクトップ表示 [ctrl]+d
・画面ロック [ctrl]+L

 

Excelのショートカットなんて記事書くと思わなかったわ。都市伝説的に、マウスひっくり返して作業すればショートカット使うようになる、ってあるけどそれよか始業前に知らないショートカット選んで付箋に書いて貼って、今日1日それ使うって決めてやると、まあ使えるようになりますよ。以上。

学習心理学の講義受けたんですよ

どうもmaximonelson49です。こないだ大学で学習心理学について講義を受けてきたので、その感想。

 

学習心理学の立ち位置

学習心理学っつーのは、犬のよだれを集めたパブロフから始まり行動主義のワトソン、ソーンダイク、スキナーなどの研究者たちがやってた心理学の1ジャンル。現代の認知心理学が流行りだすまでは心理学=行動主義心理学だったこともあり、学習心理学もかなり重要な分野といえる。現代のカウンセリングでも、精神分析学やクライエント中心療法と並び主要3派のひとつに数えられている。

ただ当初の俺の印象としてはベル鳴らして犬のよだれ集めてな〜〜にが楽しいんだ、って感じで、講義受けるまではあんまり興味がなかった。のだが、今回のでけっこう印象が変わった。心理学って当初はフロイト先生の直感だけでイド!とか超自我!とかやってて、全然科学っぽくなかった。たしかにそう言われるとそんな感じもする〜〜とは思えるんだが、解釈じゃん、とも思ってた。ただそんな心理学の中で、学習心理学は生理学的なところから端を発しており、エビデンスもちゃんとあって、心理学を科学らしい分野にしてくれた。そこが今までの『口だけ』感から抜け出せるように思えてかなり面白かった。

以下では学習心理学の講義で学んだことを軽くまとめる。

 

学習心理学の三本柱

学習心理学ってどんな心理学なのって話だが、まあ文字通り学習の心理学だ。学習というのは『経験により生じる比較的永続的な振る舞いの変化』のことをいい、どのようにして我々は学習を行うのか? について、扱ったものとなる。

んで、そんな学習心理学の三本柱がこちら。

  1. 古典的条件づけ
  2. オペラント条件づけ
  3. 観察学習

それぞれ解説する。

 古典的条件づけ

 これはロシアの生理学者?パブロフが始めたやつで、ベルを鳴らすと犬が唾液を出すように条件づけた『パブロフの犬』の実験が有名。無条件刺激と条件刺激を対提示し、条件刺激と無条件反応を紐付かせて条件反応とする。それぞれの単語の意味としては、

無条件刺激:生理的な反応など、誰でも無条件に反応を示してしまうような刺激。酸っぱいもの見せて唾が出るとか、でけえ音聞かせてビビるとか、そんなに大きくない音でそちらを振り向かせるとかがある。

無条件反応:無条件刺激によって引き起こされる反応。

条件刺激:古典的条件付けによって条件付けられる刺激。条件付けの際、無条件刺激と一緒に与えられる(対提示される)刺激。

条件反応:古典的条件付けによって条件づけられた反応。条件刺激によって引き起こされる反応。

パブロフの犬』で具体的に説明すると、餌をあげるときにベルを鳴らし、ベルがなれば餌が貰えると思わせる。するとベルと唾液が紐付いて、ベルが鳴るだけで唾液の分泌がおきる、ってかんじ。これは餌(無条件刺激)を与えると唾液が出る(無条件反応)という関係があり、そのとき餌(無条件刺激)と同時にベルを鳴らし(条件刺激)て対提示することにより、ベルが鳴る(条件刺激)だけで唾液が出る(条件反応)と思わせるってことだ。

 まあこれが基本なんだが、こういう条件付けについて講義ではさらに詳しくやった。以下に単語だけまとめるが、

●条件付けの効率性や発生の有無に関するもの:

集中学習と分割学習
無条件刺激と条件刺激の時間的関係
隠蔽と阻止
レスコーラ・ワグナーモデル
集中学習と分散学習

●条件付けを消す・消えることについて:

消去
馴化・慣れ
自発的回復
拮抗条件づけ
外制止・脱制止

●複雑なかんじで条件付けるには:

分別条件付け
高度条件付け
感性的予備条件付け

●カウンセリング関連

系統的脱感作法
フラッティングとエクスポージャー

 とかまあ色々あった。他にもあった気がする。

 

 オペラント条件づけ

こいつはラットがボタンを押して餌を得る実験(スキナー箱)とか、猫が箱から出るために色々と頑張る実験(問題箱)とかがある。オペラント条件づけは3つの要素からなり、

先行条件(分別刺激):どんな状況で、

行動(オペラント行動):何をしたら、

結果(強化子):どうなった

というのを表す。また、この3つが揃ってることを三項随伴性という。

 古典的条件付けと違うのは、これは反射とかを扱うものというよりか、自発的な行動について扱う、という点。パブロフの犬っぽく説明すると、例えば吠えると餌が貰える、みたいなのはオペラント条件付けだ。自発的な行動(吠え)によって餌(結果、強化子)がもらえたことによって、犬は吠えと餌を結びつかせた。

 これもまあ色々単語出てきた。

強化スケジュール(固定間隔、変動間隔、固定比率、変動比率)
タイムアウト
シェーピングと連鎖
トークンエコノミー
一次強化子と二次強化子、トークン強化子

 

観察学習

ここまでは当人の経験に基づいて行動に変化が起きるような学習をみてきた。が、世の中それだけではなく、他人の行動を見て学習するってのもある。それを観察学習という。よく似てるものに模倣学習ってのもあるからそれも示す。

模倣学習:人のやってんのを見て真似したらいいことあった、で学習。

観察学習:人のやってんのを見てその人がいいこと起きてたから、で学習。

 

 まあこんなもん。子どもの手洗いを連鎖化法で学習させるビデオを見たんだが、いい行動とると犬みたいに即座にグミ与えられてて笑った。

データベースのマジで初歩(概要とか)まとめ

どうもMaximonelson49です。

SEといいつつデータベースのこと全然わかんねえから勉強する。んで、FileMakerという非IT部門の人向けのDB開発ツールがあったので、今回は『FileMakerMasterBook 初級編』に沿って、データベース作成の初歩の初歩についてちょっとまとめる。

 

データベースとは何か。なんで使うのか

まあ最初にデータベースが何なのかってのと、なんで使わなかんのかってところ。『FileMakerMasterBook 初級編』p8より引用する。

データベースとは、情報を効率的に利用する1つの方法です。 

私たちの日常生活には身の回りに大小さまざまな形のデータベースが存在しています。例えば、GoogleなどのWebサイト、スマートフォンのアプリ、[…]個人の住所録もそうです。これらがたくさんの人に毎日使われています。情報を活用するにはデータベースは欠かせないものです。

まあ、これわからんよな。どのように情報が効率的に利用されているのか? 追加で調べてみると、

データベースとは、その名の通り、なにかしらの情報(データ)を蓄積した集合体です。ただし、ただ無作為に蓄積すれば良いというものではありません。あとから検索/分析することを目的に、ある一定のルールに基づいて蓄積した情報のことをデータベース(DB:DataBase)と言います。

新入社員必読、データベースの基本を理解しよう - データベースはなぜ必要なの?:ITpro

ふーむ。これは少しわかる。データベースは情報の詰まったもので、検索したり分析したりするために使う。つまり、 『FileMakerMasterBook 初級編』で書かれていた

例えば、GoogleなどのWebサイト、スマートフォンのアプリ、[…]個人の住所録

もデータベースの恩恵を受けている。例えばGoogleなら、たくさんのWebサイトがデータベースに登録されており、ググってみるとそこから情報が検索され、最適化されて表示される、というようなものか。本来のWebサイトってのは、このページみたいに、ブログタイトルや記事のタイトルや本文、過去記事、投稿時間などなどがベターっとページ上に表示されているわけである。しかしGoogle先生はそこから検索文字にヒットしたタイトル部分や本文のところだけをヘッダーみたいにして表示してくれる。

たぶん、こういうふうに、いいかんじに切り出して表示する、みたいなことをプログラムで実現するのにデータベースは都合がよい。

また、歴史的経緯とか、データベース以前の世界がどうなっていたか、みたいなのは(わかりづらいけど)下記のページなどが見つかった。気になる人はちょっと読んでみるといいかも。

データベースの歴史(概要)<データベースの歴史<歴史<木暮仁

 

データベースの基本用語 

なんとなくデータベースの概要と意図がつかめたので、次は基本用語。『FileMakerMasterBook 初級編』によると、

・項目が集まったデータは「レコード」と呼ばれます

・項目は「フィールド」と呼ばれます

・レコードが集まったデータは「テーブル」と呼ばれます 

はいはい、わかりました。Excelを思い浮かべればこれは簡単だ。セルのひとつひとつは「フィールド」で、それが集まった列が「レコード」、んで列がいくつも集まって表になれば「テーブル」となる。

これちがくて、フィールドは列、レコードが行、テーブルが表だった。わかりづれえ。

 この後、テキストでは要件定義について少しページが割かれていた。要件定義っていうのは、データベースやシステムを作る際、事前に考えたり決めておかなきゃならないものについて考えるフェーズだ。例えば、どんなデータを扱うのか、何のために作るのか、どんな機能を実装したいのか、など。あと今回使ってるFileMakerってのはデータベースのアプリというかカスタムAppであり、アプリケーションを用意に作れますよってやつで、まあそのためにアプリの画面レイアウトなどの話も載っていた。

 

 今回はとりま以上。『FileMakerMasterBook 初級編』の第一章をまとめた形になった。あ、いちおう使ったテキストのアマゾンリンク貼っとく。なんか知らんがアマゾンでは扱いないな? バージョンが古いからかも。

 

ハイハイ以上!!! 

素直さについての雑記

どうもmaximonelson49です。今回は普通の、なんか日記みたいなもん。

 

職場でうまくいかねえ

 実はなんか心の整理つかなくて妻にもまだ話してないんだが、職場の人と喧嘩した。すっげー簡単に言うと、頼まれた仕事に対して、できないです、って言ったらすげー怒られた。それから冷戦。この春くらいから、職場で全然うまくいってない気がする。(育休に対する反感ではないと思う。ハンカンって打って反感より反韓が先にくるiPhoneやべえな)

相手の怒ってる理由・主訴はたぶん、お前その年次でそんなことしか分かんねえのかよ、ってことだと思う。何年目でどの程度の仕事ができているべきなのか?  って目安があるわけではないんだが、ただ今やってる仕事を単独で色々やろうとすると、知識は全然足りてない。

だからまあ、相手の怒りには、そういう面で、妥当性がある。おめーが仕事できねーせいでこっちが迷惑被ってんだよ、と言われたらぐうの音も出ない。

けど今の今までこちらから相手には謝ってないし、会話もしてない。挨拶はしてる。あと1日12回くらい心の中で相手が悪い理由を繰り返してる。

で、

こういうとき、自分の気持ちを素直に語れ、と言われると、正直うまく語れない。本来なら自分の気持ちを正確に把握して、どうしたいのか決めて、それに従って謝るなり無視を決め込むなりすればいいんだが、どうするのが自分にとってトータルで良いのか、全然分からない。気持ちがついてこない。自己防衛で認知が歪んで、相手が悪いと思いたくなる。相手が悪いって思ってるうちは、短期的にはすごく楽だ。だって相手が悪いことにしてればこちらは何もしなくていいんだから。けど、それが本当に健康的かと言われると俺はそうも思わない。

これは倫理ではなく健康の問題だ。精神的な健康の問題として、ふたつ問題がある。

ひとつは事態が長期戦になったときジリ貧になるってこと。これはまあ伝わると思う。今気まずい気持ちを押し殺して謝っとけば、あとは楽になれるかもしれない。もうひとつは感情の承認と対称性の問題として。これはちょっと分かりずらいと思うんだが、こういう精神的にきついとき、まあカウンセリングとかでは「あなたの感じたことは正当ですよ」とケアされることが多い(と思う。受けたことないから分からん。あと流派にもよると思う)。で、このとき、正当性をケアされる感情は、その当人の感じているものすべてである方がいいよなって俺は思う。

たとえば、子どもが友だちと喧嘩したときのことを考える。子どもはたぶん相手がどんだけ悪かったか、みたいなのを言うと思う。で、それに対してそうだね、と同意したとして、これで全てだとはあんまり思わない。このとき子どもは同時に自分も何か悪いことをしたかもしれないと思っているかもしれないし、謝りたいという気持ちもあるかもしれない。できればこういうときは、子どもの感情のすべてに対して、そう感じたことは正当だと言ってやりたいし、相手に対して怒っている子どもの気持ちも、相手に対して申し訳なくて悲しい気持ちも、どちらも掬い上げられるのがベストだと思う。

んで、そういうのが今の自分にもある。相手に対してぐうの音も出ないですすみませんと謝りたい気持ちもあれば、クソがぶっ殺すぞと思う気持ちもある。けどそれがどの程度で、どう行動に反映させればよいのか分からない。

 

こういうような意味で、自分の素直な気持ちを認知する、ということは何より自分にとって健康的だと思っている。けども、できねえな。

 

今回はおしまい。昨日の子ども科学電話相談室?で、コアラの赤ちゃんは世の中に出てきて最初に母親のケツの穴に頭突っ込んでうんち食べると聞いて、妻とクッソ笑った。アヒルの刷り込み行動みたいに、初めて見る動く対象のケツの穴に頭突っ込む、ってことだったらすごく嫌だな。コアラの赤ちゃんも不幸になる。

 

以上!