親です。

読んだ本とかについて書いてます

ディープラーニングのセミナーいった

おつです。今回はもう半分メモなんだけど、昨日今日とディープラーニングのハンズオンセミナー行ってて、そこで参加者の人のディープラーニング学ぶモチベーションみたいなのとかお互い話したりするんすよ、んで、俺はまあ一応脚本の解析みたいなプロジェクトにって言ってるんですけど、これ正確には俺単になんで物語が読めるのかみたいなのとか自分の考えたことの裏付けとしてディープラーニングを使いたいんであって、プロジェクトとかビジネスのために勉強してるわけじゃないんですよね。まああわよくば金になったら嬉しいけどモチベーションになるのはそこではない、それを忘れてはならないなと思いました、ハイ終わり!

追記

講師の人と話していて思いついたんだけど、ドラマの連なっている文章を生成できて、かつその連なり具合を判定できれば、GANでどんどん優秀なモデルを作れそうだなと思った。

今、親知らずを抜きました。

おつです。今さっき親知らず抜きました。抜いたのは右上の親知らずです。今までありがとうございました。

抜くまでの経緯

昔いつだったか忘れたんですが右上親知らずに虫歯ができ、詰め物をしてもらったんですが染みる感覚が残っていました。

2ヶ月ほど前に渡航にむけて虫歯治療をしようと地元の歯医者に通い、詰め物も詰め直してもらったんですが、依然として染みるのは治らず、今回別の歯医者に行ったところ虫歯でした。

普段から歯を磨こうとすると痛みでうまく磨けず、すでに虫歯なら放置しても虫歯がひどくなるのは目に見えており、また渡航直前のためふつうに虫歯治療を行おうとするとこのレベルの虫歯(染みるレベルの、神経に届いてるかもしれんやつ)は時間が足りないらしく抜歯の運びとなりました。

抜歯の様子

抜く? と聞かれた際はもうあんまり何も考えず抜きますと答えました。普段から歯磨きのときに痛むのが嫌だったので即決でした。抜くのに必要な時間を聞き、スケジュール的に問題なかったので今抜きますと伝え、ほんじゃと麻酔を3本くらい打ってもらいました。その後少し待ち、抜きますねーと抜いてもらいました。

抜かれるときは、これ自分見えてないからいいものの他人からしたら完全に拷問やなみたいなことを思いました。配慮のある拷問だ、みたいなことを考えて、これが俺の語彙の限界かと思いました。歯は結構しっかり顎についていたみたいで、歯医者さんはこれ思ったよりしっかり埋まってますねーと言いながら抜いてました。メキメキいう音とかも聞こえて、自分の口の中で他人が飴をかみ潰しているみたいな感覚でした。実は死ぬのかもしれないと思いました。そして知らないうちに抜けました。痛みは全然なかったです。

その後

その後、抜けた穴にスポンジを詰め込み、ガーゼを噛んで止血し、術後の注意事項を聞き、抜けた歯を見せてもらいました。歯の根っこがすごい90度くらい曲がっていて、これが引っかかって抜けにくくなっていたと説明を受けました。ここらへんから俺はなんかシナシナとし始めて、抜こうと決めたときのためらいのなさが全部消えてシオシオになりました。歯の側面には結構深い穴が空いていて、これが染みたんだと教えてもらえました。歯、いりますか? と聞かれたんですがいらないですと答えました。シナシナのシオシオだったせいで小声になってしまい、歯科衛生士さんが俺の口元まで耳を寄せていました。

それから妻に諸々連絡して、数日はうどん食べよと思いました。歯医者は立川にあったんですが、今日絶対立川IKEAでメシ食って帰ったろって思っていたのにふつうに帰りました。痛まないといいなと思います。

以上です。

最近の生活

最近のことです。いろんなトピック。

息子氏かわいい

息子、もう一歳半も超えまして、日々あ゛ーっかわいって思ってる。特にここ最近でやばかったのが、息子はものを食べるときに「あむ」と言うんだが、それと「〜したい」をくっつけて、お腹が空いたとき「あむた〜い」と言う。めっちゃかわいい。あと寝起きにひとりで遊んでる。障子メッチャ破る。昼寝がクソ長い。保育園で遊びに夢中でお迎えに気が付かない。はあしんどい、かわいい。

日本の生活残り3週間

渡航が7末と決まり、ものを捨てる作業もだいぶ気合が入ってきた。先日は倉庫にあったいつか使うかもしれんと思っていたものを全部捨てた。捨てるだけでも一苦労で、金もなんだかんだ十万円くらいかかってる気がする。

それと、歯医者にも通ってる。この2、3ヶ月で歯医者を3つ変え、全てで全く違う箇所の虫歯を指摘されている。もうなんか、虫歯って統一的な虫歯があるわけではなくて、歯医者それぞれの基準でやってんだなと思った。それで口の中をゴリゴリやられるんだから患者としてはやってられないが、カナダは歯科治療が保険適用外で一本治すのに30万円とかかかるので、渋々虫歯を治している。

Web開発

ウェブ開発については6月の頭にDRFとVueで非同期通信をやったりCSSフレームワークに手を出したりと結構面白かった。ひとつアプリを作っただけなのでまだまだやってみたレベルだが、今後も時間を作って何か開発したい。特にサーバープッシュがやりたい。websocketがやりたい。そんでボードゲームを作りたいとおもってる。ゲーム作るのってたぶんすごく勉強になると思うんだよな、テストもちゃんとやることになるだろうし、パフォーマンスのことも多少考えると思う、あとセッション管理とかもあるな、そして継続的に他人に使ってもらえるってのがやっぱ手の抜けなさになると思うから、ボードゲーム作って日曜大工コーディングから卒業したい。

機械学習

chainerエンジョイ勢です。今まで機械学習はゼロ作とかやってて、は〜毎回このしんどい作業するのかとか思ってたけど、はやくフレームワーク使えば良かったんだよなあ。これでモデル作成については割と簡単にできそうだと分かったので、前処理や結果の検証みたいなところに力をさけそうだなと思ってる。けどまだまだ。今度セミナーいきます。

Skype飲み

地元の友人と毎年夏に飲んでいて、今年もやるつもりでいたが俺が海外に行ってしまうので時期を早めて飲んだ。かつ、上京してもらうのも悪いなと思ったのでSkype飲み。他人の家の中とかが写って楽しかったし、各々の酒とツマミを各々が用意し紹介するみたいなのが良いなと思った。
飲み会自体はまあ例のごとくそんな盛り上がらず途中沈黙もあったが、飲んだ後に疲れず、楽しかったと思えるのも地元の友人なので今後も年に一回くらいのペースでSkype飲みできればいいなと思う。
次回はNetflixで同時に映画を流して映画鑑賞しつつ飲もうとなった。 あとみんな転職したり考えたりしていて、そういう時期だよね〜〜と思った。SEになるという友人もおり、仲間が増えて嬉しいです。

メンタル調子悪い

なんか知らんがこの一週間ほどメンタルの調子が優れない。天気悪いくらいしか原因が思いつかんが、はよ良くなってくれと思う。なんかやる気が出なかったり、ちょっとしたことでくよくよしたりしてしまう。

カナダ渡航への気持ち

渡航となってどうですか!? と言われてもそうねえ...みたいなリアクションしかなかなか取れないんだが、そうだな、やっぱすごい緊張というか不安はある。渡航が決まった瞬間はめちゃくちゃテンションが上がったが、日を追うごとにやはりこの環境の変化についての不安が出てきて、英語大丈夫なのかとか、環境変わって喧嘩しちゃうんだろうなとか、息子はあっちでやってけるだろうかとか、仕事続けられるだろうかとか、そういうことを不安に思う。まあ不安なら準備しまくってやったったぞ! と思った方が健全だとも思うんだが。。

けど楽しみなこととしては、初めての西洋文化圏なので、マジで白人だらけなのかなってこととか、現地で同じ移民の友人ができたらいいなとか、家が多分広くなるだろうなとか、新しく家の間取りとかを考えたりとか、もしかしたら半年もしたら度胸だけで英語が喋れるようになってるかもしれんなとか、そんで知らない街が自分の街になって妻と息子と公園に遊びに行ったりできるのかなとか、あと英語できたらフレームワークの翻訳とかOSSコミットとか現地の勉強会に出たりとか色々広がるなとか、モントリオールはゲームの街なのでそういう求人に応募できないかなとか。あと、これが安定したら本当に色々とやり終えた感じなので、色々と妻とものを考えたり話したりする時間ができてくるかなとも思う。小説書いたり、というのはまた次元の違う時間の使い方になるからわからんけど、まあ海外移住という人生のチェックボックスを埋めるというのは、マジで一歩進んだ感がある、そう思いました。

以上!!

人肌程度の後悔を情熱と言い張っている

おつです。なんか今回はちゃんと暗い話というか、そういうのを書きます。全然文章として綺麗にまとめる気がないです。

俺は今まで散々このブログで、俺の中心には小説があって、昔は高校から大学まで毎日小説を書いていて、小説について考えることが好きだ、って書いてきたんだけど、正直もう社会人になってからまともに小説というものをかけた試しがない。小説について考える、ということについても、社会人一年目とかの段階ならちょっと前まで小説を書いていたその勢いの残りというかそんな感じのもので、ブログに考えを書いてみたり、映画を見るときも脚本術的な観点から考えてみたりしていたが、もうマジで、今社会人五年目で、小説が全然書けなくて、マジで書けない。

なんか、まあ、端的に言ってそれを本当一年中毎日毎日後悔してて、後ろ暗くて、じゃあ書けばいいじゃんって思うけど書けないし、書こうとしても元々遅筆だから二時間で1000文字行ったら御の字、普通は一時間で100文字とかみたいなペースだし、そんなことするくらいなら正直プログラミングしてた方が楽しいに決まってるし、けど俺にとって本当に価値のあるものって言ったらそりゃ小説で、プログラミングとかアプリ開発とかそういうの楽しいし金にもなるし自尊心も高められるし日々充実させられるけど、その一方でこれ遊んでるだけじゃんって思う。

なんなんだろ、もうなんか今このブログに書きたいことって、俺は小説が書けなくて、毎日後悔してて、けど書くことはしなくて、後悔してるって書いてるけどそれは俺が小説を大切にしてますよってことのポーズでしかないんじゃないかって思うし、俺にとって小説はもはやなんの価値もないんじゃないかって思ってしまうなともなるし、あと今まで俺はブログで俺の人生の柱は小説とプログラミングで機械学習で物語をうまいことやるみたいなこととか言ってきてるけど、マジで俺小説書いてないんだよ。何が人生の柱が小説だよ、お前の人生の、生活のどこに小説があるんだよ。

前に質問箱の麻生さんと話したって話、何度もこれ書いてる気がするけど、あのとき俺は自分自身のことをなんて紹介していいのか分からなくって、小説が書けていたら俺は小説について考えるのが好きで小説書いていますって言えたのに、今は何も言えないなって思ってて、だから小説書こうって思ったんだけど、けど書けなくて、こういう風にブログとか書いたりはしてるけど、なんなんだろマジで。

かつて俺が書いていた頃、ほんと生活の全てが小説で、というのは別に小説書かずにモンハンしてた頃もあるけど、けどモンハンやりながら頭の片隅では小説についての脳が動いていて、生活のどのタイミングからでも小説について考えることというか、そういう状態にスイッチ入ることが可能だった。そういう意味で俺は常に小説について考えていたし、これは小説について考えること、に対して情熱みたいなものを持っていたんだと思う。

けど、それが、なくなって、今俺は消えたロウソクの芯を見てそこに火がついてるって言ってるわけ。手で温めてまだあったかいって言ってるんだよな。こういう比喩的な表現を使ったりしながら。

バカみたいな話だなって思って、けど半分悔しくもなくて、後悔なんてしてんのかなほんとに、心死んでるんだよな、なんなんだろ、どうでもいいって思ってんのかな。

このブログを書き出した瞬間多少の後悔とかそういうものがあっても書き進めていくうちにその後悔すらどんどん薄く消えていってマジで凪になる。なんの温度もない。

こういうのっていっぱいあると思うんだよな。感情が揺れる、と思っていてもそれは全然続かなくって、すぐに単なる無関心になってしまうみたいなの。何もしたくねえんだよな。死にたくもねえし。ぼやーっとして気がついたら40歳になってもう何もできないなって諦めてしまってもいいかなって思って、それで終わりなんだろうか。

何が書きたいのか分からんままに書いた、けどこれマジで問題だとは思ってる、ずっと書きたいって思ってるけどその気持ちが定かではなくて、ぬるく後悔し続けている。人肌程度の後悔を情熱の証だって言い張っている。

この文章を翌日の朝に読み返して

深夜に洗濯機を回したいけど乾燥機がなかなか終わらなくて時間を持て余し、まあこういう文章書いてたんだけど、いやそもそもなんでこんな気持ちになったかというと、Kindleに『最低限のプロットと中だるみしない第二幕』っていう本があったんすよ。 下記リンク。

あなたもこの本が気に入るかもしれません。"最低限のプロットと中だるみしない第二幕"(黒部ポルカ 著)

こちらから無料で読み始められます: http://a.co/fMGHWz8

んでこれ出版社から出たものじゃなくて、個人が出してる。内容的にはバリバリの脚本術で、かつかなり実践的なアドバイスというか、よくある悩みとその解決みたいなのも書いていて、めちゃくちゃ良かった。小説の書き方系の本はたくさんあるけど、Kindle個人出版物のなかでは頭抜けて良かった。ロバートマッキーの『ストーリー』の副読本的にもいいかもしれない。それくらい良かった。

んで、これを読み始めたころはうんうんそうなんだよなって読めていたんだけど、徐々に言えなくなって、なんでかってこの人は完全に俺を超えていて、方向性はかなり似ている上に俺より脚本術について理解していた。理解ってか、自分のものにしていた。

俺も昔脚本術についての私見というか、自分のものとして噛み砕いた文章をブログに書いていたけど、そういうことをこの人もしていて、内容もすごくて、あっ俺はこの人になれなかったんだって思ってしまった。

まあそんなことを思ったわけよ。もちろん小説を書かなかったからこそ今の俺があるわけで、たぶん小説だけだったらどん底の自己肯定感と共に生きていたと思うから、今の自分で良かったなとも思う。ただ人生すごろくの回りそこねたマスという感じ。いつか書けるといいなって思います。

角田光代『愛がなんだ』を読んだ

おつです。最近映画化した角田光代の『愛がなんだ』を読んだので感想。

愛がなんだ、てめえ、コラ

なんかまあすげえ面白かったんだよな。 とりあえずネタバレありで頭から終わりまでの概略を先に書いておくと、

主人公の山田テルコは都内でアンケートの収集・打ち込みをやってる会社員で、同じく都内で編集をやってるマモちゃん(田中守)のことが好き。マモちゃんとは友人に連れて行かれたパーティで知り合って、セックスもするし三、四日に一度は一緒に飲むんだが、二人は付き合っているわけではない。あくまでテルコはマモちゃんの飲み仲間ということになっていて、「都合のいい女」として扱われている。 一方のテルコはそれに不満を持つでもなくガンガン生活を崩し正社員の職も首になる。挙句そのうちマモちゃんにはすみれさんという好きな人ができる。マモちゃん、すみれさん、テルコの3人で海に行った次の日、テルコはマモちゃんからこの関係を終わりにしようと言われるが、テルコはマモちゃんには興味がないと嘘をつき、彼とテルコの仲を取り持つ役としてマモちゃんの近くに居続ける。

まあこんな感じだと思う。

こう、小説ってのは一応、何かの変化を描くものということが出来て、この物語ではストーカーじみてまで「都合のいい女」だった主人公が、相手からもうやめようと言われてもなおマモちゃんの側に居続ける、もしくはマモちゃんと自分のどう形容していいか分からない関係性を「ただの友人」「マモちゃんの友人の彼女」「好きな女との仲を取りもたれる男ー取り持つ女」という形で確定させる、というお話になる。

このお話のメインテーマの一つは男女関係における不均衡性というか、まあ柔らかく言えばどっちがどっちを支配するか、というものだ。ほんで「都合のいい女」が描かれるのと同時に、「都合のいい男」というのも描かれている。ナカハラくんって人だ。彼は物語冒頭、テルコが風邪をひいたマモちゃんの看病に行ったかと思えば家から深夜に追い出され終電を逃し、急に泊まらせてもらえないかとテルコの友人・葉子に頼んだ際、玉突き事故のように葉子の家から追い出されている。

ここではマモちゃんとテルコ、葉子とナカハラくんのペアが性別を反転させて対照的に示され、支配する側・される側という関係性がまるで「こういうのありますよね〜」とおさらいするみたいに示されている。

「あのねえ、そんな風に言いなりになってると、関係性きまっちゃうよ? 向こう、どんどんつけあがるよ?」
 葉子は私を真正面から見据え、強い口調で言った。
 言いなりになる、とか、相手がつけあがる、とか、関係性、とか、葉子はよく口にするが、それらは彼女の独特な人間関係観、もしくは恋愛観である、と、私は思っているので、えへへ、と曖昧に笑う。私の中に言いなりだのつけあがるだのという言葉は、存在しない。存在するのはただ、好きである、と、好きでない、ということのみだ。

まあ正直冒頭からこのクソ男を見せられて、もうなんつーかなんで主人公は別れないんだろうっていうか、別れりゃいいのに、とばっかり思いながら読んでいた。

ただ、主人公の行動とか気持ちとかに全然納得いかないなと確かに思いつつ、しかし心のどこかで俺は、めっちゃテルコさんの気持ちが分かるなこれ、とも思ってた。邪険に扱われたり、連絡を絶たれたり、もう諦めて手を引いたほうがいいって思いながらも相手から深夜に連絡が来ると喜んで出向いてしまう、そういうの、程度の差はあれど恋愛したことあれば経験するもんなんじゃないか。自己肯定感低めの人とかなら、特に。

その年の大晦日、テルコとナカハラくんは葉子の家に招かれる。しかし肝心の葉子が別のパーティに呼び出されて消えてしまいふたりは取り残される。

「なんか葉子むかつかない?」ナカハラくんを追いかけて台所へ行き、私は言う。
「失礼だっつーの。友達だから何してもいいわけないよ。ナカハラくんにだっていい気になりすぎっていうか。つきあうつもりはないけど、嫌われたくないってことでしょ? 何かしてあげるつもりはないけど、何かしてもらいたいわけだよ。図々しいよ、そんなの。なにさまだっつーの」

このセリフは今までマモちゃんとテルコさんに対して読者も思ってたことだ。

なんつーか、この小説では常に不均衡で、どっちが上とか下とかの関係性を書いていて、んで、そんな関係性は間違ってるとか、恋人や夫婦は上とか下とか勝ったとか負けたとかそういうのではなくパートナーで互い敬い合って平等にするのがいいんだとか、そういうのはもちろん思うけど、けどだれがそんな偉そうなことを言えるんだろうとも思う。だれがそんなかんたんに断罪できてしまうんだろうって思う。

俺はもうなんか、そういうの、うるせえって思う。

関係性ってのは多かれ少なかれ不均衡で権力関係を持ってて、それが片方に傾いて不健康な形を取ることは別に珍しい話ではない。それで、人は自分が割を食っているなと思いながらもそれを受容したり、自分が相手に虐げられていると心の奥底で思いながらも認められずに自己欺瞞に陥ったりしているんだと思うし、惨めな思い抱えながらもなんとかやってるみたいなの、全然あると思う。

お互いがお互いを敬う、それは結構なことだと思う。けどそれができたから何なんだ? パートナーと良い関係性を作れているからといって、よその不均衡な関係性にケチをつけたり、断罪するって、なんか俺はすげえ偉そうなやつだなって思ってしまう。うるせえばか、黙ってろって思う。破れかぶれでも胸を張って何が悪いんだろう。

作中これは愛でも恋でもなく執着だと書かれていて、まあ正直依存症じみたものを感じさえするが、けど、これがテルコさんのやり方なんだ。同じように葉子からいいように扱われていたナカハラくんが手を引いても、テルコさんは絶対にマモちゃんの近くをうろついてやめないし、それは逃避には違いないだろうけど、俺はそれでいいと思った。

なんかほんと、全然論理的ではないし、社会的な視点からいえば間違っているのも重々承知だ(特に子持ちのケースとかストーカー化した場合とかね)が、ほんと、うるせえばかって思った。そういうのは自治体が制度を作るとか警察が逮捕するとかして対応しろ、うるせえばか、愛があったらなんなんだ、偉そうにものさし当てやがって、な〜にが愛じゃ、愛がなんなんじゃ偉いんか?ドアホ、タコ。

そんなことを思いました。俺の論理的でないところにリーチしてきたので、あー読んでよかったと思いました。今回は以上です。

『クレイジー・リッチ!』見た

おつです。前々から見たかった『クレイジー・リッチ!』がNetflixに入ってたので見ました。

感想

先にかんたんな概略だけ書いとくと、主人公はニューヨーク大学ゲーム理論を教えている大学教授で、中国系アメリカ人。彼女はとある中国系シンガポール人の男性と付き合ってます。その男性が地元の友達の結婚式に出るというので、着いていくことに。当日空港につくと何故か荷物持ちが現れ、飛行機の便もファーストクラス、よくよく聞いてみると彼の実家はマジモンのクソ金持ちだと分かり…的な。 同じ中国系でありながらも、かたやアメリカじん、かたやアジア人というのが、両者の文化の違いを際立たせる、みたいな構造になってました。

もうタイトル通りクソリッチな様子が描かれまくり、映画見たあとはなんか無駄に踊ってしまった。いやーこんなセレブリティが世の中にはいるんだなあ。作品冒頭で人種差別にあったシンガポール人が白人を金の力で黙らせるみたいなシーンがあり大変痛快かつあーこれがハリウッドで作られる時代が来たのかと感慨深くなったのと、全般的に中華系の食文化やらがかっこよく描かれていていいなと思いました。なんかたぶん、世界各国それぞれの文化はどれもあーかっこいいなみたいに描くことはできるんだよな。最近イラン関係とかもすげえヤバそうだけど、イランなんてマジで中東文化の中心で本当にいろんなかっこいいもの持ってそうで、そういうのがちゃんとかっこよくリスペクトを受けていられるといいなって思った。

FileMaker…FileMaker…

おつです。今回は業務で使うから勉強してるFileMakerについて、愚痴を言いたいだけ言って、それから前向きにどうしたらいいか考えたいと思います。

愚痴

FileMakerのアプリを作ってるんですけど、つらい…。DjangoアプリとかVuetifyをやるのは楽しいんだけど、FileMakerはつらい。なんでかって、これやってもなんにも俺の生活が豊かにならないなって思うんですよね。なんか個人と繋がるものがないとやる意義は見いだせない。会社で評価されるとかも、正直今の会社に居続けるのは無理だろうし現場に早く戻りたいから、今の会社に向いてる技術を習得することに抵抗が強い。 ひとつ良いのは、こうやって業務アプリを開発すること自体は勉強になるんだろうなって思うことで、たとえばデータベースにまつわる知識とかはつけられたらいいよなって思う。どういうフィールドにはどういう設定を施すべきとか、そういう実体験でまなぶスキルはほしい。 んで、まあ正直いやなところ探しってのはどんだけでもできるんですよ。できない理由はどれだけでも探せる。FileMakerはたしかに個人で使いたい技術ではないけど、でもやんなきゃならない。業務アプリをいちからつくること自体は面白いからやりたいんすよ。

じゃあ何がこんなにやりたくない感じになってしまっているのか? ひとつは、今使ってるFileMakerMasterBook中級編のレベルがなんか低いなってところはあると思う。レイアウトモードへの変更方法とか教えてもらっても全然報酬系刺激されない。既知の情報か、もしくは知らないけど細々としてて俺の課題リストに入ってなくてぴんとこないもの。 そう思うとデータベースの章は面白かったんだよな。リレーションシップグラフ関連とかは昔から気になってたし。 ってなると、まあ何かつくるのが早いんだろうな。Djangoも各モジュールの作り方ざっくり理解したらもうなにか作る中で勉強するほうがよかった。気になるのは、Djangoはこうものとしての最低レベルが分かりやすくて、故にさっさか作って公開して作れたぜと言えたけど、FileMakerはどこが最低ラインなのかよく分からん。データベース作ってレイアウト作ってそれで終わり? まあそうか。そうか。 あと、やるならたぶんFileMakerをサーバーにあげて公開するみたいなのができるといいよな。実際仕事でもそうなるだろうし、AWSのサービスがある。あれに慣れておくのはいいかも。これはなんかやる気出るな。

まあそんなわけで、アプリの最低レベルはマジで最低になるけど(カスタムAppだからかんたんに作れてしまう)、それをサーバにあげるとか実際にやりつつ勉強してもいいのかも。そんで公開できたらもっと手の混んだものを作りたくなったり、FileMakerGoでうまく一般公開できるかもしれないし。

そんな感じかな、とりま中級テキストを流しでやったことにして、サーバー立てよう立てよう。以上!!