親です。

読んだ本とかについて書いてます

新年の目標 - 2020

今年の目標です。

どうやって目標を立てるか?

なんか〜、OKRで今年はやろうと思います。

前提として、OKRにおけるOとKRの設定のポイントは下記の通りです。
●O(目標)を設定する上でのポイント
定量的である必要はなく、定性的な目標でも可
・「野心的な」目標を設定すること
・自分では「直接的に」コントロールができないもの
・会社の目標や、他のチーム目標などと整合性がとれている
・1チーム(or 個人)設定数の目安:3〜5個
●KR(成果指標)を設定する上でのポイント
定量的(納期、指標などの数値が入っている)でなければならない
・自分でコントロール可能なものを選ぶ
・ただし、「普通にできる」ことはNG(それはTo Do)
・やや達成困難で、眺めていたら不安になる数値を設定すること
・1つのOに対して、3〜4のKRを設定する

つまり、コントロールできない(つまり結果になる)野心的な目標(O)を3つ設定し、それぞれについて日々の努力でコントロールできるが若干達成困難な成果目標(KR)を設定する、って感じかな。やりましょう。

目標(O)の設定

  1. 英語学習
    現地民と完璧に意思疎通できる。
    これできたらもう何も望むことないし、野心的。
  2. 小説
    カクヨムでレビュー700を目指す。
    理由としては、今カクヨムの年間ランキング一位になってる『鍛冶屋で始める異世界スローライフ』のレビュー数が年間1400とかなので、その半分のレビュー700が野心的でコントロールできない目標かなと思う。
  3. WebDev
    表層的ではない知識の獲得。 例えば、インフラとかネットワークとかDBとか、Webの表層ではないものをやりたい。それらの技術について、どうやってエラーを解決するかわかるとか。
  4. 健康と家庭
    みんながニコニコしてること。
    別に野心的ではないかもしれないけど、けど自分が一番ニコニコしていたい立場なので、そこを頑張る。朗らかになろう、性格変えるのはそこそこチャレンジング。

①英語学習 - 現地民と完璧に意思疎通できる。

  1. 脚本術系の洋書で新しい英単語を毎日40個ずつ覚える
  2. スカイプ英会話を週に3回
  3. リスニングについて毎日1時間やる!

これだなー、けどこれやろうと思うと一日3時間くらい英語に使うな、どのように???

②小説 - カクヨムでレビュー700を目指す

  1. 月に一本ずつ創作術と小説を読んでまとめる
  2. 毎日1時間半、書くかプロット作業
  3. カクヨムでView取れる長編を書く(異世界転生とか恋愛ものとか)
  4. ツイッターの縁をつくる。

これも一日2時間半くらい必要。

③WebDev - 表層的ではない知識の獲得

  1. 隔月で一本技術系の本を読む
  2. Djangoでの開発に慣れちゃう
  3. JavaScript上手くなる

これは仕事ついでだからなー、できたら6時間やりたいが。

④健康と家庭 - みんながニコニコしていること

  1. 毎日リングフィットする
  2. 新しいレシピを月に1つ増やす
  3. 今日のよかったことを3つツイートしてから寝る

飯と運動、あとメンタル。

こんなもん! 達成したかどうかをどうやって確認しようかな。まあ以上!!!

イヤイヤ期と良い親

おつです。

息子のメシ

息子、2歳になったんだが、最近これがしたい! という欲求がはっきりとしてきた。ここ数日でよくあるのが「ご飯食べたくないお菓子食べたい」で、地味に悩むな〜と思ってる。親としては米野菜タンパク質をバランス良くとまでは行かなくてもガツガツ食ってくれ〜と願っていて、できれば砂糖の入ったものはあんまり食べて欲しくない。けど息子としては甘いものは食べたくて、スープとかご飯とかは食べたくない。

息子のご飯、朝はパンか米とかんたんな野菜のスープ、お昼はデイケア、夜は親と一緒のご飯みたいな感じで、つまり一番食べてほしいのは夕飯。夕飯のラインナップはカレー、トマトのスープ、肉じゃが、ピラフ、チャーハン、オムライス、適当な中華、って感じなんだがこの中でまともに食べるのが青椒肉絲(の肉の部分)とスープに入れたオクラといった有様で、日々「食わね〜〜」と思いつつご飯を作ってる。おにぎりにしたら食べたり、ふりかけをかけたら食べたり、色々と手は尽くしてみたがそれも数日経てば意味をなさなくなり、まあ子どもなんてそんなもんですよねと思いつつも、やはり悩むところが多い。

かつ、最近は飯を食べない一方で食後におやつほし〜いみたいな感じもあり、ヨーグルトとかならいいんだけどクッキーとかあと糖度高めの果物とかになると、砂糖漬けにしてしまっている…みたいな罪悪感があったり。ときどきはご飯食べなきゃだめでしょ! と叱ることもあるが2歳でそんなの理解できるか? と思うと理解できるわけないよなあ、ごめんね怖い顔してみたいな。

しつけとかルールとか、ちゃんとしないとどんどん困ってしまうことがあるって分かるんだけど、こんなに小さい息子にそんなこと言っても泣かせるだけでしょとも思うし、今は微妙なラインなんですよね。これたぶんイヤイヤ期ってやつだと思うんだけど、今は全然軽くて、今後もっといろんなこと自分で決めたい・やりたいってなったときにどうしたらいいんだろと思いました。だめなことはだめ、基準は変えない。そもそもだめなことをしたがる環境を作らない(危ないものを隠すとか)。だめと言いながら息子の気持ちには寄り添う。まあ色々やり方はあると思うんですけど、育児、難しいな〜と思った。良い親でありてえ〜って思った。息子、愛してえ〜。以上。

追記 あとはこういう気持ちをちゃんと夫婦で共有するとかも大切だな。

夢のような仕事を断った

お疲れ様です。

夢のような仕事を断った

以前こんな記事を書いた。

maximonelson49.hatenablog.com

概要としては、ITと物語の接点でやってる会社から一緒に働かない? とお誘いされたという話。で、この時はめっちゃ嬉しかったんだけど、これを今日断った。 理由は2つある。

ひとつは、今俺がいるカナダのケベック州での移民政策が変わり、移民するにはフランス語の習得が必須になったこと。今まで俺はフランス語をやる気は(少なくともこの三年くらいは)なかったんだけど、覚えないといけない。仕事と家事育児に加えてフランス語なので、ここに加えてベンチャー企業のお手伝いは無理だなと思った。

もうひとつは、短編小説がかけたこと。ちな書いたのはこれ。
鉄の右腕、首のない犬 - カクヨム
で、これを書いたことでキャリアへの考え方が変わった。ITと小説の接点を探すより、単に俺は脚本術を勉強したい。物語について知りたい。なので、ITと物語の接点でプロジェクトを回すということのプライオリティが下がった。

正直、こう、ITと物語の接点で働くというのはめっちゃかっこいいし、人にどんな仕事してるんですか? って聞かれたときに物語の面白さを判定させるAIを作っています、って言えたらドチャクソかっこいいな! と思うけど、今回はやめた。

今まで俺がITと物語を掛け合わせることに固執していた理由の大部分は、俺が小説を書けなかったことにあると思う。小説は書けないけど脚本術は好きです、って言ってるとサブカルクソ男みたいで嫌だった。作りもしないのにハウツー本だけ読んで知ったような口を叩くやつ、っていう風に自分が思えて、何か俺はまじで脚本術やってんだぞ! と言えるようなものが欲しかった。胸張りたかったんだよな。

まああとキャリアに一本筋が通るとかっこいいし仕事に繋がるかなみたいなこともあったんだけど、母数がそもそも少ないし、子供が小さくて移住関連で身動きの取りにくい今それを仕事にしても厳しくはある。格好良さだけは若干心残りかも。けど、結局それも俺が小説家になったり脚本術の論文を書いて投稿し出したりしたら消える問題だと思うし、まあそこまで行ったらまたどこかで仕事できるかもしれない。

そんなわけで、夢のような仕事を断った。かなり大きな決断だと自分では思っている。こういうキャリアにおける決断系の記事、基本的にリスクをとって夢を追うみたいになりがちだけど、こういう撤退系の記事があってもいいかなとも思う。本当に大切なのは見栄えとか金とかじゃなくて、何が自分にとって本質的な問題なのか見定めることだ。自分一人だったらこんな決断できなかったと思うけど、今回は深夜四時くらいまで妻がこの問題に付き合ってくれて、それで自分のやりたいことをよりクリアにすることができた。kansha。

もともと降って湧いたような夢みたいな話だったし、今度は自分の手で小説や物語を自分の仕事にしたい。胸張って俺は小説やってんだぞと言えるようになろう、こんな夢みたいな仕事断って小説やってんだって言えるようになろう。それはそれでかっこいいな!!

以上!!!

書きたい書きた〜い

おつです。

書きたい書きた〜い

昨日短編小説を書き上げました。

鉄の右腕、首のない犬(subwaypkpk) - カクヨム

ほんで、まあとりあえず5年ぶりに短編小説かけたし、もうしばらくはまた書かなくてもいいかな! とか思ってたんですけど、やっぱ一晩経つと小説の粗が見えてきて、はよ次の小説書きたいな! という感じになってきた。

ただ、題材はないんすよ。さっきのとおなじのでやってもいいんですけど。

なんか、今回のやつは外的問題がちゃんと設定されてなくて、そこが駄目だったなと思うんですよね。なので次はそこをちゃんとやりたい。ただ、俺が「あこの話書けるな」って思うのって、ミッドポイント以降のダウナーなシーンを思いついたときのことが多くて、特定のキャラクターがこのシーンに遭遇したら落ち込むだろうな、と想像できるといいんですよね。内的な変化についてのシーンなので、外的問題がおざなりになりやすい。

こういうとき、内的な変化や価値観の対立について整理して、それを外的な課題に反映させるとかできればいいとおもうんだけど、まあそういう技術もないので、困ってる。

けどまあ、楽しくやってます。イェーイ

俺にとっての英語のメリット

おつです。

概要

なんだこのクソ記事?! みたいなタイトルだけど真面目です。なんか、俺よくよく考えたら英語喋れたらメリットめっちゃある気がするんですけど、英語苦手なので、ちょっと真面目にそこらへん考えます。

英語のメリット

まずはメリットを列挙します。

・知らんおばちゃんと話せる
・将来カナダで職を見つけられる
・カナダで友達できるかも
・道案内とか他人に優しくできる
・こっちで売ってる小説が読める
・映画だって観れる
Twitterもできる
・つーか生活の諸手続きを自分でできる
・クソッ、英語さえできれば…みたいなケースがなくなる
・現地の文化に馴染める
・公園でティーネイジャーにビビらなくてよい
・病院に行ける
スマホの契約をなんか普通のにできる
・保険とかも入れる
・現地のミートアップに参加できる
・なんやこいつ英語もまともに話せへんのか…みたいな視線を受けずに済む
・(英語が話せて)現地就労したらもちろん永住権とかにも繋がる
・現地就労したら同僚ができる
・現地就労したらIT関連とかについて話せる友人ができるかもしれない
・現地就労したら9時5時の健康的な生活
・現地就労したら6時以降と休日は仕事のこと考えなくていい
・現地就労したら自由時間にメリハリ持って小説書いたり映画見たりできる
・現地就労したらお賃金発生する
・現地就労したらカナダに居着いた感出る
・現地就労したらもはやカナダ人では?
・現地就労したらキャリアのことも考えられる
・英語話せたら息子がそこらへんのキッズに話しかけられたときに代わりに話したりもできる
・英語話せたら将来息子が英語で話しかけてきても返せる
・英語話せたら食洗機の取り付けができる
・英語話せたら引っ越しのときに良い家を探せる
・英語話せたらいうてITの情報得やすいし英語の生ドキュメント読んだりできる
・翻訳でOSSコミットできる

引くほどあんな!! こんなにあったのか……。これを明確にイメージしてどれほど自分の人生が豊かになるか考えたいな……。

何故アホほどできんのか

今度は英語やりたくない理由。

・英単語覚えるのが苦痛
・英語話そうとしても話せないし、こいつ英語下手やな〜〜みたいな視線がつらい
・なんやこのインチキアジア人みたいに思われてそう
・めんどくせ……って思われてそう
・なんでこのアジア人はヒゲを剃らんのや? と思われそう
・英文を構築しながら話題を考えるの無理では?
(関係ないけど、俺普段日本語で考えて英語に訳して英語を聞いて日本語に訳して……としてるんだよな、一方妻は英語で話してるときは俺との会話も英語になるしたぶんあの人脳内も英語なんだろな。なるほど腑に落ちた。しかしなんでそんなことできるの???)
・英語、勉強しても身についてる実感がない。
・いうて十年弱勉強してるやん? なんで使えんのや? じゃあもう今後も無理では??? となる
・英単語の終わりなき道感。プログラミングならこれ覚えりゃRESTできるぞ! みたいな報酬が生まれやすい
・そもコミュニケーション苦手。ああいう反射神経系の競技難しくね?
・聞き取れん
・つーか中学生のころから英語だけはできんかった
・大学でもアホほどできんかった
・できた試しがない

分類できそう。

  1. 苦手意識がある
  2. 終わりなき道すぎる
  3. やっても恥かくだけで報酬もない
  4. 聞き取れない

つまり、一回一回の努力に快感が伴わず、どこかで扉が開くという展望も湧かず、最終的に出来るようになる自分も想像できないし、現に英語できない、ってことなんだなあ。

短期・長期的な報酬をちゃんと用意して、自分は英語できないぞ! という発言や思考をやめて、できると思い込むことなのかな。

終わりなき道ってのはIT系の勉強でもそう言えるんだけど、あれは少し勉強するだけで何かは出来るようになる。それに対して英語は完璧以外はカスみたいな感じがある。苦痛だけで報酬がないってのはたとえば小説もそうだったけど、あれはときどき何か気づきがあって、それのために1日2、3時間とか作業できた。あとは基本英語はコミュニケーションツールだから対人能力で、俺は壁打ちが好きで人が怖いから苦手なんだろうな。

あーあと、昔1日200単語ずつ英単語覚えてた頃は楽しかった。ちまちまやって出来た実感がないと、きついんだな。

今後やること

報酬の設計なんだろな〜〜これ。
けど、英語やって何かこう毎回得るものがあるとか、何か気づきがあるとは思えないんだよなあ〜〜語学やれる人は何をそんなにモチベーションとしてやれてんだろ、まじでわからんな。

とりあえず英単語覚えたときだけ食べられるお菓子買って、その他のときはクソまずい青汁とかを飲む生活にして脳を馬鹿すればいいかな? 健康的だし。
それと今後一切英語苦手だ! とかは言わないようにして、下手でも俺は英語ができる、今は勉強中なだけだ! と言うようにしよう。
最後に、英語できたらどれだけ良いかイメージを毎日思い描くとかして、英語っていいな〜〜こんなに最高なもの他になかなかないよな〜〜と思えるようにする。

以上!!

追記: 今後やること

改めて今後やるべきことを考えると、たぶんこんな感じだ。

  1. 英単語を1日120個ずつとかで覚える
  2. ネット英会話を楽しむ。自分は会話が大好きで、英語での表現は勉強中だけどあなたとコミュニケーションしたいんだ! という態度を取る。楽しかった! と伝える。
  3. できれば普段から他人と交流して、自分はコミュニケーションが好きなんだと思い込む。そうすりゃ上手くなる。
  4. なんなら普段から、家庭内の日本語の会話も増やす。会話大好き! となる。
  5. しかし会話ってなんなんだろね。共有すること? なんか、カナダで現地の道すがらの人と妻が喋ってると、喋る役割を任せてしまってるとさえ思う。けど妻はそれを楽しくやってるのかもしれんし、そういう会話することへの基本的なスタンスが妻と俺は違うんだろな。だから妻は喋れるのかなあ。多分妻も楽しく思おうとしてやってきたと思うんだよな。

たぶん根底に自分はコミュ障なんやでみたいな意識があって、だから英語もできなくてしょうがないよね? という言い訳をしてるんだけど、そうではない。俺はコミュニケーション上手くなりたいし、というか人と仲良くなりてえんだ! その気持ちはマジモンのはずなので…。

no title

おつです。今なんかやりたいことやらなきゃならないことが3つ以上あってめっちゃそわそわしてます。なにやんなきゃいけないのかも分かんないので、整理します。

やること

  1. 仕事(なんかよく分からん本業、調査)
  2. 勉強(DB, 機械学習, )
  3. 趣味(書き物、読書)
  4. 生活(引越し、服を買う)

こんな感じか。 本業がそろそろ本格的に始まるぞ〜〜ってなってるんだけど、それに向けてやってた調査がまあいっぱいあって全然終わってなくて、う〜〜んこれじゃ多分本業で実際の開発に入ったところでぶっつけ勝負だな、ひとりシステム開発はやだなってことを思ったり、かといって勉強もしないと基礎おろそかにしたら将来痛い目を見るよなって思ったり、けどこれら基本的に俺がやりたいこととは関係ないから人生の浪費でしかないよなと思ったり、けどまあ息子大きくなるまでは辛抱してシステム開発の勉強と思って仕事やらなきゃなと思ったり、一方で趣味もちゃんとやらなきゃとか生活に追われるとかう〜〜んまあそんなに忙しくはないんだけど自己管理能力が弱めというかあまりに自由だからもうすっかり緩み切ってる面もあってあ〜〜〜〜〜〜。

やんなきゃならないことはたくさんある、けどそれぞれ結構難しかったりできる気しなかったりだから心折れて先延ばしにしちゃってんだよな仕事。あ〜〜〜〜仕事したくねえ、毎日近所をお散歩して暮らしたい、あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜寝よ!!!!!!!

仕事と勉強のモチベーション/世界で一番ゴッホを描いた男/ストーリーを語ることの危うさ

モチベーション

舐めたことを言って申し訳ないが、最近勉強のモチベーションが上がらない。ちょっと前まではごりごりと勉強したるでな! という感じだったんだが、なんでだろうなと考えてみると、まあ、勉強と報酬のサイクルがこう、途切れたんだよなと思う。

どういうことかというと、今月の頭くらいになんか地味目の業務の仕事が来ていて、それで手一杯になる時期があった。加えて、これまた地味な入出力関連の調査をしてて、めちゃくちゃ一週間くらい詰まったのにも関わらず原因がクッソ基礎的な知識が足りてなかったから、みたいなことがあった。どちらも、ブログの記事にはできないし、けど時間はかかったなみたいな感じで、これで二週間くらいブログの記事も書けない時期があった。

なんか、俺はブログの記事単位で「俺は勉強できたぞ!」という実感を得ている感じがあって、記事にできない程度の調べごとだとモチベーションが保てなかったりする。いや仕事なんだからやれよって感じだけど、俺が俺なりに編み出したモチベーションの保ち方がブログだったということで、まあそれが今回うまく作用しなかった。

問題は今からどうやってモチベーションを高めていくかってことで、例えば今持っている調査の仕事はアーキテクチャ? っていうの? よくわからんけどAWSとかの外部のサービスをどう構成してシステム構築するか、みたいなところで、これがまた難しいんだな。理解してブログの記事にするには若干この手に余る感じあるし、そうなるとまたブログの記事書けなくって時間だけがすぎていく、作業しててもひたすら眠い、あーオネンネ.......みたいな展開が目に見えている。だから、うーん、調査の仕事の別の項目を洗ってみて、手に余らないところの勉強をするとか、もしくはこないだまで詰まっていたところをつまんないオチなりに記事にまとめてみたい。それ考えたらなんかモチベーション上がってきたな。そうしよ。

世界で一番ゴッホを描いた男

っていう映画を観た。Amazonで。

chinas-van-goghs-movie.jp

ドキュメンタリーなんだけど、すごく面白かった。公式のストーリーを引用すると、

複製画制作で世界の半分以上のシェアを誇る油絵の街、中国大芬(ダーフェン)。出稼ぎでこの街にやって来た趙小勇(チャオ・シャオヨン)は独学で油絵を学び、20年もの間ゴッホの複製画を描き続けている。絵を描くのも食事も寝るのも全て工房の中。いつしか趙小勇はゴッホ美術館へ行くという夢ができた。本物の絵画からゴッホの心に触れて何か気づきを得たい、今後の人生の目標を明確にしたいという思いと共に。 どうしても本物のゴッホの絵画を見たいという想いは日増しに募り、ついに夢を叶えるためにアムステルダムを訪れる。 本物のゴッホの絵画を見て衝撃を受けた趙小勇はいつしか、自分の人生をゴッホの生き様に写し合わせ、何をすべきか自分を見つめ直すようになる。果たして自分は職人か芸術家か。思い悩んだ趙小勇はある決断をする―。

まず、深センに絵の工房が集まる村? みたいなのがあるってのが驚きだったし、工房の中の景色が独特ですごくよかった。その独特な空間の中で、主人公はその道一筋で職人的に絵を描き続けている。作品のコピーが『職人か芸術家か』なんだけど、本当これみるとそこに境目なんてあんのかって感じで、確かに主人公は複製画を作り続けているんだけど、けどゴッホの作品に対する姿勢は誠実そのもので、アムステルダムゴッホの原画を見たときの目の真剣さは凄みがあった。 なんか、芸術家っていうとすげえ発想でとんでもない作品を作るぞいみたいな感じあるけど、本質的なところではどれだけある対象に固執できるかみたいなのがあると思う。少なくとも俺はそうであってほしいって思ってる。天才的な発想で、他人とは全く違う気質を持っているからできてしまうのではなくて、単にある対象にどれだけ向き合ったか、それが芸術を作るんだってのが、希望が持てる。そうじゃないと天才じゃない俺はもうだめぽってなるし。 話がずれたんだけど、えっと、あとね、主人公がゴッホの原画を見にアムステルダムにいくところもよかったです。そこで挫折をしたり、大酒しながら叶わない夢を語ったり、ゴッホの原画に触れた喜びと、ゴッホへの憧れと、ゴッホと自分の間にあるとんでもない隔たりへの悲しみと、いろんな感情がないまぜになってて、めっちゃよかった。こういうシーンが描きたいな〜〜〜って思った。何かに一生懸命になるのっていいなって思いました。一生懸命になるっていうか、他人から評価されたいとか天才になりたいとかそういうんじゃなくて、すごく素朴に描くことが大事なんだなって思わせてくれて、よかったです。

以上!!!

ストーリーを語ることの危うさ

…というのを今朝書いたんだけど、追記。 この映画について妻と話して、指摘されて、ウワーとなったんだけど、この映画は、主人公の自己実現的なストーリーが描かれる一方で、序盤から中盤にかけて中国の厳しい社会情勢とか、欧米からの経済的な搾取についても描かれている。たとえば主人公の描いた油絵はオランダの商人に売られるんだけど、その売った額の8倍とかの値段でオランダで売られている。主人公はめっちゃぎりぎりの生活をしてて、その中でマジで身銭をけずってゴッホの美術館を見に来てる。そういう、社会的なものもテーマとしてある。

ただ、こういう背景はストーリーの中で「乗り越えられた苦境」として描かれる。序盤にこういう苦境を描いて、ゴッホ見に行って、主人公は感動して芸術家として生きていこうと思う。

そういう主人公に感情移入して、俺もまるでこの主人公と肩を並べた気持ちになって、あーがんばろ! とか思ったけど、これはドキュメンタリーであって、主人公の状況は決して「乗り越えられた苦境」なんかではない。主人公はいまだ低賃金で油絵を書きながら暮らしているかもしれないし、俺はこうやってはてぶ書いてへらへら生きてる。

ストーリーは感情移入の手段だ。俺は物語について考えて、どうやって感情移入させるのかについて考えるのが好きでやってるけど、それがどんだけ危険なのかってことに全然自覚的じゃなかった。感情移入して気楽に明日を過ごさせることが全てではない、気楽に過ごさせてはいけないものもある、そういうの、心に刻み込みたい。

以上。