親です。

読んだ本とかについて書いてます

17_「ナイトクローラー」

どうもMaximoNelson49です。ナイトクローラーという映画を見たよ。悪役主人公で、とてもよかった。

ナイトクローラー公式サイト
映画『ナイトクローラー』公式サイト|大ヒット公開中!

あらすじは簡単。
金に困った主人公が、あるとき、事故現場の映像をとってテレビ局に売りつけるという仕事(ナイトクローラー)を知る。その魅力にとりつかれ、事件現場を改変するなど違法行為すれすれのところを行きながら、映像を撮っていく。
みたいな。
面白かったのは、この映画の主人公には全く共感するところがないのに面白く見てしまったこと。
まあなんというか、この映画の面白みは、偽装された事故映像を見る視聴者と同じ面がある。主人公は法を犯して過激な映像を撮るけれど、違法行為の責任の一端は、どんな映像でも過激であれば買ってしまうテレビ局が握っている。で、それってひいては、過激な映像なら喜んでショーとして消化する視聴者の責任でもある。作中繰り返される「過激な映像が含まれますので、視聴はご自身で判断して…」というメッセージは、責任を回避し、視聴者との共犯関係を生み出すワードだ。(この作品は同じワードや小道具を繰り返し使っている。とても効果的でよい。最近「ザ・ウォーク」を見たけど、あっちは小道具の使い方がめちゃくちゃ雑だった)

映画のポータルサイトでこの映画は「現代社会の生み出した闇!」とか「テレビ局の要求に従い、主人公はさらなる違法行為を…」とかって書いてあるけど、ここは意見の分かれるところだ。主人公はかなり、ブラック企業キチガイ経営者っぽい考え方を口にしていて、あたかも社会的強者の側にいる。(その考え方が、ネットや過去のセミナーで得られたものだとしても)
つまり、これは社会(視聴者)の負うべき責任なのか、サイコな主人公が負うべき責任なのか、という問題が描かれている。

最初の問題に戻るけれど、僕はこの主人公に共感することなく、この映画を楽しんでしまった。人はばんばん死ぬし爽快だった。
何故そんな映画に没入できるのかというと、それは導入時点では主人公は金がないという切迫した事情に責め立てられており、動機に納得することができたから。お金もなく、稼ぐ手段もないときに、事故現場の映像を撮ったら高く売れた。多少下卑た商売だけど、何か罪を犯しているわけでもない(少なくとも罪悪感は抱かない)。なら、それは良いことだ。稼げて良かったねえ、と思う。
で、ただ、この後主人公は、商売が軌道に乗ったかと思ったら良い映像が撮れなくなり、焦るあまりちょっとした罪(事件現場への不法侵入)を犯してしまう。不法侵入はあかんやろと思うけれど、どこか読者は主人公を許している。
こうしてエスカレートして、主人公は最終的に人を殺しまでする。現実なら非難されるけど映画なら本筋と関係のない些末事として消化されることとして、主人公の悪行は許されていく。
こうして善悪のタガを少しずつ外して、僕はこの映画に没入したし、そうしてこの映画は成り立つ。


僕の考えでは、基本的に物語は動機と行為の繰り返しで、その中で主人公に感情移入するとこでドラマを消化するものだった。だが、今回の映画はちょっとそれにそぐわない。感情移入はしないし、感動もしない。うわー、という感じ。動機と行為を繰り返して、外的問題を解決する中で内的問題が解決される、とかもない。主人公はひたすら映像を撮り続けるし、心情には全く触れられない。何を考えているのか分からない。主人公は金をかなり稼ぐけれど、裕福になった描写は全くないし、何故稼ぐのかも分からない。ただただ、過激な映像を撮ることだけなのだ。
だから主人公は、内面的な成長をしないし、最初からサイコで完成された存在だ(オープニングで警備員を殴って奪った腕時計が、エンディングでもう一度映されるのがその証拠だと思う)。「内面的な成長をしない主人公」自体はそれなりに存在していて、たとえば推理ものの探偵役がそれだ。探偵は完成された存在であり、内面的な成長は依頼者が代わりに負うケースが多い(ちなみにラノベとかの連作ものは、そのパターンが多いと思う。漫画はずっと主人公が成長してるものもあり不思議)。
で、ミステリでは内面的な成長を他者が補っていて、だから読者はその他者に感情移入することで読めるのだ。けれど、今作はそれすらない。どこにも、読者が捕まる棒が用意されていない。

なのに何故見ていられるのか。そこに明確な答えはまだ出ていない。ただ、ひとつのヒントになりそうなのは「共犯関係」だ。
導入を消化できるのは、まだ主人公が納得できる存在で、お金に困っているという動機に納得できるからだ。そこからタガを外していき、読者と責任を分かち合う共犯関係を築いていく。

これは、責任を読者も負うから見ていられるのだろうか。読者が責任を負うと言うが、ただ感覚としては、それこそ現実がそうであるように、テレビ局の過激化を読者が責任とるつもりなんてないだろう。それとも実は罪悪感を得ているのだろうか?いや単純に、やはりショーだから面白いのではないか?
これは、共犯関係(視聴者)と、ショー(サイコ)な側面がないまぜになっているのかもしれない。

結論は出なかったけれど、すごく参考になる映画でした。みんなも見ようねえ。

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