親です。

読んだ本とかについて書いてます

私の志望動機(7000字以内)

どうもmaximonelson49です。以前自分が何したいのか? について書いたことがありますが、それの長い版です。7000字あるよ。

 

志望動機ーー働き始めるまで

昔の話をするんだが、高校生ぐらいから就活の時期まで、僕は編集者になりたかった。というのは高校2年から小説を書いていたのと、そのころバクマンが流行っていたから。なんかもう、ラノベの編集者とかになれば楽しいんじゃね? と思っていた。大学受験で首都大学東京を選んだのも、 都内の文学部がある国公立大が東大か首都大だったからだ。

んで、編集者になりたいと思った事の発端は、まあそういう安直な理由(はやりの漫画に影響されて)だったのだが、その「編集者」というのを、現実的な、自分の将来の姿として思い描くようになったのには、別の理由がある。

それは大学3年の話になる。僕は大学3年のときから首都大の文藝サークルに参加し始めた。1年生の頃にも通おうとしたことがあったのだが、なんだか上京1ヶ月で人付き合いとか東京とかに疲れて家に引きこもり小説を書き始めたので、辞めていた。それが3年になって文藝サークルに入ったのは、2年間ひたすら引きこもって小説を書いていたところ地元の同窓会でマジで人とのコミュニケーションが取れなくなっており「俺は小説ばかり書いて何を得たのだ」と絶望的な気分に陥って、いつも僕の小説を読んでくれていた友達の坊さんに「もう小説書くの辞める…」と言ったら「けどお前から小説とったら何もないじゃん」と言われ(何もない…!)と驚愕しつつけどコミュニケーション取れるようになりたい、けど小説以外何もない…!、の結果、小説でコミュニケーションを取れるサークルに入ろうと思った、というものである。

で、僕が編集者をリアリティのある自分の将来像として描き始めたのは、とにもかくにもこの文藝サークルに参加したことが理由だった。もう少しいうと、このサークルで出会った、後輩の男の子が理由だった。僕は基本的に自分の小説が1番価値のあるものだと思っており、他人の書いた小説を読んでも、あんまり面白いとは思わない。だが、その子の書いた文章は別で、他人の書いた、文章そのものに対しての嫉妬を感じる、それは初めてに近いことだった。本当に何処からその言葉が出てくるんだ、と思うような文章を書いて、けど、狙った感もなくて、魂が違うと思わされた。覚えているのは、「コロンビアでも蛸をとるのに蛸壺を使うのかな」というセリフで、何度も何度も、思い出しては見事な文章だと思っている。

そういう凄い文章を書く彼は、立ち居振る舞いや外見も作家じみていた。細身の天然パーマで、表情でイエスノーを示すような子で、けど酒が入ると少しだけ喋ってくれた。僕はコミュニケーションが下手くそなので飲み会ではテンションにまかせてウザ絡みをすることしかできないのだが、ウザ絡みをすると彼はなんか困ったような顔で笑って、けどまあ嫌な顔はしていない(と僕は万人を解釈する)ので、よくウザ絡みをした。一緒に阿修羅像の真似をした。そういうことをしていたら、比較的仲が良いくらいにはなれて、どういう経緯だったか、「先輩は優しいです」と、お酒の席で彼が言ったのを覚えている。あと覚えているのは、僕がいつものように部室で小説を書いたり消したりノートパソコンの方向キーを押したりしていたら、彼が息も絶え絶えに部室に駆け込んできて、どうしたと聞いたら、ひとりでいるのが怖くて、と言っていた。僕もその気持ちはよく分かったので、一緒にマックにハンバーガーを食べに行った。夜の10時くらいだったか。彼は月見バーガーを買い、食べはせず、自転車の前かごにそれをいれて帰って行った。

その頃の僕は、完全にこの子は作家になる子だと思っていて、というかむしろ自分がこの子を作家にしたいと思っていた。この文章を掲げて、叫びながら町中を駆け回って、どんだけこの文章がすごいのか、みんなに突きつけてやりたかった。まあそれが僕の野望みたいなものだったのだ。この凄まじい文章を世界に送り出すこと。んで、彼が作家になっても、一緒にお酒を飲んであげたりして、彼が何かに思い悩んでいても、背中を叩いてあげたりして、大丈夫だよ、と元気づけてあげよう、そうやって彼を支えていきたいな、そう思っていた。

 ただ、就職活動が始まって少したった2月の末に彼は亡くなった。死因は分からないけれど下宿先で亡くなっていた。最近見ないなと思っていたら、そんな感じになってしまった。僕はその一報を、別の後輩に乗せてもらって一緒に向かう鶴岡八幡宮行きの車の中で聞き、くそが、と叫んだ。サークルのみんなでお別れ会のようなものを開いた。ちょうどその頃大手出版の就職活動も終わりに差し掛かったところで、続々落選の知らせを聞いていた僕は、そのまま就職活動を休止した。2ヶ月くらい小説を書いたりして過ごし、6月末くらいに就職活動を再開した。一緒に出版社を目指していた子はまだ出版中心で就職活動を続けていたけれど、僕は出版は辞め、金融とかITとかの業界を中心にした。まあたぶん出版は通らないだろうという諦めと、なんというか、もう少し堅い職業に就きたいという思いがあった。出版の面接では人を支えたいなんて言っていたけれど、支えたいと思っていたあの子は死んでしまったし、支えるって一体、なんなのか分からなくなってしまった。少なくとも一緒に酒を飲んで無責任に大丈夫だよと言う、そんなのは支えるということではなくて、支えるというのはそんなに簡単なことでもない。そう思っていたら、なんだかもうちょっと堅実な、お金に関わるものだったり、技術職につければいいな、そう思って、職業活動を再開した。大学の就活の窓口みたいなところに通い、優しいおばちゃんに励まされながら就活し、7月末に採用がでた。都内ITだった。そこにした。就活相談の初回につらいつらい言って泣いた僕にめちゃくちゃ優しく接してくれたおばちゃんには、すごく感謝している。

 

志望動機ーー社会人1年目

 採用が出てからの僕は、計画的にも卒論を半分くらい夏休みの間に書き上げたり、秋の文学フリマに出たりしてそこそこ充実した大学生をしていた。就職活動を再開したころから奥さんとは付き合い始めていて、ここら辺の時期はよく喧嘩をした。相変わらず僕はコミュニケーション不全だったので、大変ご迷惑をおかけしました。追いコンでも喧嘩して、その頃の自分の主要な態度だった「被害者のスタンス」が何故起きるのか、というものについて1ヶ月くらいかけて考えさせてもらった。これを契機に、ものを考えるというのは面白いんだな、と思えるようになっていった。

就職後は、まず、泊まり込みの研修で2時間くらい泣いた。部屋に引きこもって泣いた。知らないひとと一緒に生活するのがすごく嫌だった。まわりが楽しく生活する中、自分はきちがいなのだとよく思っていた。就活でもエントリーシートは一本も通ったことがなかったし、だいたい採用も最後の枠で、もう取る必要はないけど変な奴がいたら取る、とのことだった。自分はきちがい枠採用だと、度々思った。先が、すげえ思いやられた。

 ただ、職場に配属になってからは案外楽しい日々が待っていた。後から聞くに、僕の配属になった現場はうちの会社の中でもかなり現場の雰囲気の良いところらしかった。みんな若いし、大きな炎上もないし、精神的に余裕があって風通しの良い現場だった。僕としては研修があれだけクソだったのに対して現場がこの優良ぽさだから、もう最高! まじでがんばろ! みたいな具合に、プログラミングやらの仕事に真面目に取り組んでいった。まあそのおかげか本部の発表会で最優秀賞もとれたし、その場で結婚報告をして一気にネタキャラと化した。

まあ、このように僕は、本来自分は入れない企業に運良く入れたのだから、頑張らねばという気持ちで取り組んでいた。周囲に対して引け目を感じていて、だからまともになれるよう与えられた仕事に自分をアジャストさせようとしていった。

 ただ本来論的にいって、別の記事(絶望と責任について - 小説とか脚本術とか自分以外についての思考整理)でも書いたが、僕は基本的に技術職のやってることには、面白みを感じない。プログラミングというのは基本的に単純作業だし、その割には複雑なソースコードも多い。去年の暮れには1日16時間働く時期もあり、僕は気が狂ったのかカット野菜を道にばらまきながら涙を流して帰宅するということをしていた。

僕は結婚した時に実家とほぼ絶縁状態にあった。加えて上記のように仕事も忙しかった。同時期には妻も仕事が忙しくて、かつ新婚だもんだから、家の中の殺伐度がかなりあがっていた。当時僕は、これはもう倒れてもいいかな、いっそ入院でもした方が楽かな、と思っていたが、それが現実になるより先に妻が入院して生死の狭間を彷徨った。もちろん後輩の男の子のことは頭に思い浮かんだ。

このとき僕が強く感じたのは、幸福ってのは分かんねえな、ということだ。だって、いちおう僕と妻は新婚ほやほやで、世間的にはいちばん楽しい時期と呼ばれるときだ。仕事にしたって、上司はこれくらいやらなきゃ社会人としてだめだと言っていたし、沢山仕事をさせて貰えるのは、スキルアップもできてありがたいっちゃありがたいのだ。妻にしたって、内容はいちいち書かないがお仕事が外部に露出したりして、仕事的には充実していたと見ることもできる。ただ、それらは僕や妻にとって幸福ではなかった。

だから、幸福は、分からない。ここで面白いのは、大概の人が「幸福になりたい」とは思っているということだ。何が言いたいのかというと、みんな、「幸せになりたい、けれど幸せが何なのか分からない」。なら、幸せについて語るときは、まずその幸せが何なのかについて考えた方がいい。そしてそのとき大切なのは、幸福観なんてのは、人それぞれ違うってことだ。だって人間ってのはみんな別の肉体と精神を持つ異なった存在だから。幸せについて語るなら、私にとっての幸せを定義する必要がある。

僕はこの考えはそう間違っちゃいないと思っている。それは上記のような個人的な体験から言えるが、実は確信を持った理由は、他にある。それは僕が小説を書いていたことからくるものだ。小説を書いていたということは、わりと僕の根幹なので、ここに示しておきたい。若干わけわからんことを言うかもしれん。

まずは、上司に同じような内容をメールしたので、それをコピペする。

3年間くらい、毎日2、3時間小説を書いていたんですが、その中でこれは真理だなーと思ったことがひとつあります。それは、『問いかけの面白い小説は面白い』ということです。
たとえば推理小説ではだいたい最初に事件(殺人とか)がおきて、探偵役の推理が始まります。そのとき、事件がすごく謎深かったり、解決する価値のあるものだったりする小説は面白いことが多いです。
もう少し普遍的な言葉にすると、動機が明確で価値あるものだと、ストーリーがしっかりします。
(一般的には『小説の面白さ=オチ』だと言われますが、そのとき『前フリ、問いかけ』の大切さが見落とされがちです。)

このとき、小説は人生の縮図なので、『問いかけの面白い小説は面白い』が成り立つならば『問いかけの面白い人生は面白い』となります。
つまり、人生の中での色んな行為について、動機がしっかりしているほど、人生は豊かになりそうだな、と考えました。
じゃあその動機はどこから来るのか?というと、(社会的意義とかもありますが)、動機=個人の気持ちだろうということで

ここでは「問いかけの面白い人生は面白い(幸福だ)」と言っているが、この命題についてもう少し説明を加える。

まず、問いかけの面白さについて。上記メールにも書いてあるが、問いかけの面白さとはつまり『動機が明白で価値あること』である。僕はこの動機をふたつに分けた。それは

  1. 主人公にとっての動機
  2. 読者にとっての動機

である。

小説において、このふたつの動機に説得力を持たせる(切実なものとする)ことはかなり重要だ。このふたつを同時に満たすことで、小説は感情移入を成立させ、主人公にとってのストーリーを読者にとってのストーリーにさせる。(ここら辺は、過去の記事にも書いた。わけわからんと思うが、示しておく。(16_導入および第一ターニングポイントについて - 小説とか脚本術とか自分以外についての思考整理

小説を書く上で、この、主人公と読者双方にとって納得のいく動機を考える、というのはかなり厄介だ。主人公にとって納得のいく動機とは、どこまでも個人的な動機になりうる。というか、個人的な体験に基づくものであるほど、主人公にとって価値あるものでさえある。しかし、読者にとって納得のいく動機とは、それすなわち一般性のある動機である。主人公にとっての問い(独自性)と読者にとっての問い(一般性)を同時に満たす動機を考えるというのは、まあ骨の折れる作業ではあるんだろう(といいつつ回避策もあるのだが。さっきの過去記事にも書いてあるはず)

で、だ。しかしここで考えて欲しいのは、これが小説ではなく人生になったときどうなるのか? という話だ。僕は動機をふたつに分けたが、これは人生においてどうなるのか。

答えは簡単で、人生においては、主人公も読者も、それは私自身に他ならない。私は私のストーリーを生きるしかないし、生きることができる。なので、私は自分にとっての問いに取り組む必要がある。私は、私にとって納得できる動機をもって人生を生きればよい。

 

志望動機ーー社会人2年目 

 以上がだいたい、社会人1年目で僕が理解したことだ。働き始め、周囲の期待に応えようとしたけど無理がきたのが1年目。病むのもやむなしだと思ってる。

 ただ、そのお陰で(というのも変な感じだが)、僕はあることを良く考えさせられるようになった。それは「俺はなんでこの仕事をしてるんだっけ?」ということだ。僕の人生における問いってなんなのか、そしてその達成のために動けているか? (つまりは動機と行為が連なりストーリーをなしているか?)ということを自問するようになった。例えばこの記事では、自分のやりたいことってなんなのか、書いている。(最近思うこと・今後やっていきたいこと - 小説とか脚本術とか自分以外についての思考整理))。改めてここでも、自分が何をしたいのか、僕にとっての問いってなんなのか、について書き留めておきたい(まあほぼ上の記事と同じこと書きます)。

 僕は当初この業界に入るに当たって、堅い職に就きたいと思って入ってきた。元々僕は小説書きとかを支えたいと思っていたが、そのときの支え方(一緒に酒でも飲んで大丈夫だよといってあげる)ではなんだかふわっとしすぎていて、もうちょっと堅実に、お金とか技術とかに関わって、誰かを支える手になりたいと思ってきた。僕が現時点で考えることは、その直線上にある。

僕は、基本的に人が幸福を追求できないという状態が、おかしなものだと思っている。だがまあ、世の中を見渡せば幸せそうな人もいれば不幸せそうな人もいる。僕は、欲を言えば、みんなが自分自身に納得できている状態になってほしい。そうでないのは、おかしいことだとさえ感じる。だから、それを実現させたい。

じゃあそのために何ができるのか、って話だ。僕の中では、大きく分けて2つのアプローチがあると思っている。

①外的な支援(技術的な支援。現実に、個人がその幸福を追求できるような社会システム作り)

②内的な支援(内面の支援。個人が、自分自身にとって何が幸福であるのかを見定められるような支援)

たぶん、従来は①がメインだった。けど僕は、(小説の視点から言って、何を解決するのか、という問いかけを超える解決は存在しないから、)②も大切だと思っている。そして今まで②を担ってきたのはカウンセラーだとかだと思うが、彼らは現実的な支援までは手が届かず、支援に限界がある。僕はこれらをトータルでやる必要があると思っている。

で、とくに面白そうだなと思っているのは、医療福祉、教育、それと差別について扱えるジャンルだ。なぜそう思うのかというと、

  1. 上記②で示した内面の支援に関して、自分の幸せを把握できない、欲求の認知が下手な大きな原因には社会的な刷り込みがあると思っている。それすなわち、男はこれこれしなきゃダメだとか、女はこれこれするものだろ、とかだ。で、それって差別だよね、という話。
  2. 1で書いた社会的な刷り込みについて、刷り込みの根拠となる部分は技術的なアプローチで解決できることが多い。とくに医療福祉のジャンルでは、病人=かわいそうな人、となりがちだが、医療がクソほど発達すればそのかわいそうさの根拠はなくなる。啓蒙活動より手っ取り早い。
  3. 差別で抑圧されて欲求を認知できないってことは、認知できたらそこには大きなニーズがうまれることになる。これって鉱脈じゃね? と。シェールガス的だなと。

またこのとき、手段はまあ腐るほどあるのだと思っている。どんな仕事をしてもよい。なんなら会社に勤めている必要もない。僕は上に書いたようなことを成すために仕事をしている。会社の一員として僕がいるのではなく、僕の人生の一部に会社があるのだ。

僕のやりたいこと、というのはまあざっとこんな感じだ。内面の支援については大学の心理学部に編入したり、メンタルヘルス系の資格を取得したりしている。今後も勉強を続けていきたい。一方で具体的にどんな仕事があるのか、というところはまだ見つけられていない。今後、そういう仕事をしている人に会うなどして、どんな方法があるのか、また僕の幸せは本当にこの方向なのか、検討を進めたい。

あとは、ブログに考えまとめたり、小説関連のこと考えるの、続けていきたい。これがなんだかんだ、1番楽しいし。

以上です。