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読んだ本とかについて書いてます

『〈面白さ〉の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか』都留泰作 を読んだ

おつかれさまです。 『〈面白さ〉の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか』という本を読んだので、感想を書いておこうと思います。

概要

文化人類学者であり漫画家でもある筆者・都留泰作が世界観エンタメというくくりでエンタメの世界観構築について書いている本。

異文化の特性やら世界観を捉えるのは文化人類学者の専門分野。そういう専門的な視点から書かれていて面白かった。

以下詳細


ドラマツルギー VS 世界観エンタメ

従来エンタメの王道だと思われてきた、ドラマツルギー重視の物語と対比させて、むしろキャラクターの内面などはあまり描かず世界観にこそ軸足を置く「世界観エンタメ」について解説している。

世界観エンタメは、受け手に世界観を共有させることで面白さを伝える。世界観というのはつまり受け手の感覚を通した環境の認知みたいなもんだが、それを構成する要素はいくつかある。

  1. 空間感覚
  2. 時間感覚
  3. 社会的感覚

ここらへん。それぞれ以下にまとめる。

空間感覚

モノなどの空間的になにがあるかの情報。といっても人間の生活に関連のないモノを書いていってもあまり意味がない。

ここでは『スター・ウォーズ』(以降SW)を例にとって空間感覚についての解説をしている。スペオペというジャンルは、ともすればただの設定集になりがち。しかしSWは植民地の民族文化を改変して宇宙人の文化として登場させ流など、異文化をリアルに体験できるものとして書いている。これが空間感覚の例としてぴったりなのだという。(俺はSWにあまりのめり込めなかったのでよく分からん。映画も毎回寝てる)

この異文化を楽しめること(筆者の言葉ではリゾート的快楽とも言われる)こそが空間感覚の設定において重要だという。

とはいえどうやってそのリアルな空間感覚を掴ませるのか、というのは作者の技量。そこのところは特に書かれていなかった(と思っている)。

時間感覚

なぜ時間か?

空間感覚を精緻に描くことで世界観が作られる、のではあるが、ただ厳密に描かれるだけでは無味乾燥になってしまう問題もある。

ちょっと面白かったところを引用すると、

「学術的な業績のなかには、特に『調査報告』といわれてきたもののなかには、部族生活の、いわばみごとな骨組みが描かれてはいるが、血肉が与えられていない」。[...]ただ精密・厳密なだけで無味乾燥な記述によっては、「人間生活の現実、日常の出来事の静かな流れ、祭や儀式、またはある珍しい事件をめぐって起こる興奮のざわめきを想像することも、膚に感ずることもできない」[...]
人間的現実という「血肉」を与えることで、空間は生き生きと息づき始め、面白くなってくるのである。人間的現実の本質とも言える部分を構成する、この要素のことを、マリノフスキーは「実生活の不可量部分」と呼ぶ。「資料を調べたり算定したりするのでは記録できない、一連の重要な現象があり、これらはその実態を観察してはじめて理解できる」。具体的には、「平日のありふれた出来事、身じたく、料理や食事の方法、村の焚火の回りでの社交生活や会話の調子、人々のあいだの強い敵意や友情、共感や嫌悪、個人的な虚栄と野心」(前掲書、八七頁。本段落の引用部全て)といったようなことである。

この不可量部分という言葉は本書に何度も出てくる。世界観をよく描けているものを、不可量部分の描けている作品といったり。

で、その不可量部分を描くためには、空間的感覚を突き詰めるだけではなく、時間感覚についても示していけると良い。

時間感覚とは

時間感覚とは、その世界での人々の生きる時間のこと。どういうタイムテーブルで動いているかとか、そういう生活感の見えるもののことだ。

本文だとナイロビに住む人々を例にかなりわかりやすく解説されている。

いろんな時間帯の街の変化とか、なにかときを感じさせるものを取り入れると良いといった感じか。

五感

不可量部分の話題から派生して、ここで五感を押さえよという話題が入っていた。

視覚情報だけではなくいろんな感覚を刺激しましょうね、というやつ。これは小説の指南本でよく言われることではある。

抽象化

不可量部分の話題から再び派生して、抽象化。

具体的に異文化を描くのではなく、抽象度の高いもので描き切ってしまう、という手法。象徴となる事件、みたいな感じかなと思ってる。 (あんまちゃんと読んでないここは)

社会的感覚

世界観を構築する要素としての人間について

具体例を出すと、教室の中での立ち位置を意識するとか、他人から見た自分を意識するとか、組織がどういう体質だとか、組織の持つ問題だとか、そういう複雑系のお話。一対一ではなくて。

こういう、一対一ではなくて場の問題を意識するみたいなのがあるんだなと思うなど。

居住感覚との対局、ホラー描写

最後にこれ入れてくるのはいいなと思った。
今まで書いてきた異文化を理解するという立場から、理解できない対象を描くことへ。


感想

既存のドラマツルギーにたよった面白さではなく、世界観を描くことによる面白さについて書いてる。五感、空間時間、社会的な感覚によって住まわされるような世界観を作る。

たしかにこういう、その作品世界に浸れるような作品ってあるなあと思う。たとえば千と千尋、漫画だとチェンソーマンもそう思う、雰囲気のある作品だなと思える奴はだいたいそう。

筆者は文化人類学者としての立場から、こういう異文化を全体的に捉えることをやってきていて、それらが五感やタイムテーブル、社会的な感覚によって作られるといっている。

既存のドラマツルギー以外の楽しませ方というのが面白いなとも思うし、それが脚本術の範囲から頭を出すようなものなのかなみたいなことを思いながら読んだ。

「その世界に住まわされているかのように感じて面白い」という感覚って、これは一体どのポイントについて面白いと感じているのかなあと疑問に思う。というのはたとえば、本を読んでて、いま、面白いなみたいに思うことがあると思うけど、そのいまは世界観エンタメでいつ生まれるのか。

これが特定の時点で生まれるわけではないとかだったら、世界観エンタメは普段は脚本術的なテクニックで読者を読ませ、そして背景としての世界観を精緻に描くことで意識しないうちにじわじわ面白くなっていくみたいな感じなんだろうか。

そういう土台みたいなやつなら、たとえば脚本術における舞台設定の話とも繋がると思う。舞台はなるべく減らして、象徴的な意味を持たせて、みたいなのはそうすることで象徴的なレベルでの意味づけを増やせるからだし、描く場所が減ればそのぶん厚くかける。あと一度出た人をまた出しやすいなど。

なんか自分はエンタメっぽいものを書こうと思うとめちゃくちゃ筆が止まってしまうんだけど、そこにはこういう世界観へのひたれなさがあるのかもしれない。また、前回の短編『鉄腕』を書いた時も、舞台を津田沼にしようと決めた瞬間に書きやすくなった。津田沼の様子をGoogleMapで調べて、どういう街の特性があるとか、どんなところにどんな施設があるとか、そういうことを考えて初めて書けるぞと思った。

これらから思うのは世界観を捉えることで書きやすくもなるだろうなということで、自分は今までエンタメっぽいの書けないなあと思ってたけど、単に世界観の詰め方が甘かっただけとも言える。

もしそうなら大変ありがたい話だ。

自分の話になっちゃったけど、とりあえずこんなもんです。以上。