親です。

読んだ本とかについて書いてます

『〈面白さ〉の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか』都留泰作 を読んだ

おつかれさまです。 『〈面白さ〉の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか』という本を読んだので、感想を書いておこうと思います。

概要

文化人類学者であり漫画家でもある筆者・都留泰作が世界観エンタメというくくりでエンタメの世界観構築について書いている本。

異文化の特性やら世界観を捉えるのは文化人類学者の専門分野。そういう専門的な視点から書かれていて面白かった。

以下詳細


ドラマツルギー VS 世界観エンタメ

従来エンタメの王道だと思われてきた、ドラマツルギー重視の物語と対比させて、むしろキャラクターの内面などはあまり描かず世界観にこそ軸足を置く「世界観エンタメ」について解説している。

世界観エンタメは、受け手に世界観を共有させることで面白さを伝える。世界観というのはつまり受け手の感覚を通した環境の認知みたいなもんだが、それを構成する要素はいくつかある。

  1. 空間感覚
  2. 時間感覚
  3. 社会的感覚

ここらへん。それぞれ以下にまとめる。

空間感覚

モノなどの空間的になにがあるかの情報。といっても人間の生活に関連のないモノを書いていってもあまり意味がない。

ここでは『スター・ウォーズ』(以降SW)を例にとって空間感覚についての解説をしている。スペオペというジャンルは、ともすればただの設定集になりがち。しかしSWは植民地の民族文化を改変して宇宙人の文化として登場させ流など、異文化をリアルに体験できるものとして書いている。これが空間感覚の例としてぴったりなのだという。(俺はSWにあまりのめり込めなかったのでよく分からん。映画も毎回寝てる)

この異文化を楽しめること(筆者の言葉ではリゾート的快楽とも言われる)こそが空間感覚の設定において重要だという。

とはいえどうやってそのリアルな空間感覚を掴ませるのか、というのは作者の技量。そこのところは特に書かれていなかった(と思っている)。

時間感覚

なぜ時間か?

空間感覚を精緻に描くことで世界観が作られる、のではあるが、ただ厳密に描かれるだけでは無味乾燥になってしまう問題もある。

ちょっと面白かったところを引用すると、

「学術的な業績のなかには、特に『調査報告』といわれてきたもののなかには、部族生活の、いわばみごとな骨組みが描かれてはいるが、血肉が与えられていない」。[...]ただ精密・厳密なだけで無味乾燥な記述によっては、「人間生活の現実、日常の出来事の静かな流れ、祭や儀式、またはある珍しい事件をめぐって起こる興奮のざわめきを想像することも、膚に感ずることもできない」[...]
人間的現実という「血肉」を与えることで、空間は生き生きと息づき始め、面白くなってくるのである。人間的現実の本質とも言える部分を構成する、この要素のことを、マリノフスキーは「実生活の不可量部分」と呼ぶ。「資料を調べたり算定したりするのでは記録できない、一連の重要な現象があり、これらはその実態を観察してはじめて理解できる」。具体的には、「平日のありふれた出来事、身じたく、料理や食事の方法、村の焚火の回りでの社交生活や会話の調子、人々のあいだの強い敵意や友情、共感や嫌悪、個人的な虚栄と野心」(前掲書、八七頁。本段落の引用部全て)といったようなことである。

この不可量部分という言葉は本書に何度も出てくる。世界観をよく描けているものを、不可量部分の描けている作品といったり。

で、その不可量部分を描くためには、空間的感覚を突き詰めるだけではなく、時間感覚についても示していけると良い。

時間感覚とは

時間感覚とは、その世界での人々の生きる時間のこと。どういうタイムテーブルで動いているかとか、そういう生活感の見えるもののことだ。

本文だとナイロビに住む人々を例にかなりわかりやすく解説されている。

いろんな時間帯の街の変化とか、なにかときを感じさせるものを取り入れると良いといった感じか。

五感

不可量部分の話題から派生して、ここで五感を押さえよという話題が入っていた。

視覚情報だけではなくいろんな感覚を刺激しましょうね、というやつ。これは小説の指南本でよく言われることではある。

抽象化

不可量部分の話題から再び派生して、抽象化。

具体的に異文化を描くのではなく、抽象度の高いもので描き切ってしまう、という手法。象徴となる事件、みたいな感じかなと思ってる。 (あんまちゃんと読んでないここは)

社会的感覚

世界観を構築する要素としての人間について

具体例を出すと、教室の中での立ち位置を意識するとか、他人から見た自分を意識するとか、組織がどういう体質だとか、組織の持つ問題だとか、そういう複雑系のお話。一対一ではなくて。

こういう、一対一ではなくて場の問題を意識するみたいなのがあるんだなと思うなど。

居住感覚との対局、ホラー描写

最後にこれ入れてくるのはいいなと思った。
今まで書いてきた異文化を理解するという立場から、理解できない対象を描くことへ。


感想

既存のドラマツルギーにたよった面白さではなく、世界観を描くことによる面白さについて書いてる。五感、空間時間、社会的な感覚によって住まわされるような世界観を作る。

たしかにこういう、その作品世界に浸れるような作品ってあるなあと思う。たとえば千と千尋、漫画だとチェンソーマンもそう思う、雰囲気のある作品だなと思える奴はだいたいそう。

筆者は文化人類学者としての立場から、こういう異文化を全体的に捉えることをやってきていて、それらが五感やタイムテーブル、社会的な感覚によって作られるといっている。

既存のドラマツルギー以外の楽しませ方というのが面白いなとも思うし、それが脚本術の範囲から頭を出すようなものなのかなみたいなことを思いながら読んだ。

「その世界に住まわされているかのように感じて面白い」という感覚って、これは一体どのポイントについて面白いと感じているのかなあと疑問に思う。というのはたとえば、本を読んでて、いま、面白いなみたいに思うことがあると思うけど、そのいまは世界観エンタメでいつ生まれるのか。

これが特定の時点で生まれるわけではないとかだったら、世界観エンタメは普段は脚本術的なテクニックで読者を読ませ、そして背景としての世界観を精緻に描くことで意識しないうちにじわじわ面白くなっていくみたいな感じなんだろうか。

そういう土台みたいなやつなら、たとえば脚本術における舞台設定の話とも繋がると思う。舞台はなるべく減らして、象徴的な意味を持たせて、みたいなのはそうすることで象徴的なレベルでの意味づけを増やせるからだし、描く場所が減ればそのぶん厚くかける。あと一度出た人をまた出しやすいなど。

なんか自分はエンタメっぽいものを書こうと思うとめちゃくちゃ筆が止まってしまうんだけど、そこにはこういう世界観へのひたれなさがあるのかもしれない。また、前回の短編『鉄腕』を書いた時も、舞台を津田沼にしようと決めた瞬間に書きやすくなった。津田沼の様子をGoogleMapで調べて、どういう街の特性があるとか、どんなところにどんな施設があるとか、そういうことを考えて初めて書けるぞと思った。

これらから思うのは世界観を捉えることで書きやすくもなるだろうなということで、自分は今までエンタメっぽいの書けないなあと思ってたけど、単に世界観の詰め方が甘かっただけとも言える。

もしそうなら大変ありがたい話だ。

自分の話になっちゃったけど、とりあえずこんなもんです。以上。

「物語の構成法は物語を単調にする」か?

「物語の構成法は物語を単調にする」という意見について、もう百万回くらい見てるんだけど、それに対してぼんやり抱える気持ちみたいなのをちゃんと書いてなかったなと思って、書いておく(もしかしたら過去に書いているかも知れんが...)

前提

言葉の定義をちょっとする。

「物語の構成法」とは何か?

物語の構成法とはなんのことか? たぶんこれは三幕構成のこと、もしかしたらBS2(『SAVE THE CATの法則』)やそれに類似した物語のテンプレートのことかなと思う。

「物語を単調にする」とは何か?

これは似通った話にしてしまう、ということかと思う。

すでにされている指摘

この「物語の構成法が物語を単調にする」という意見に対して指摘されているのは、それが浅い意見であり、構成が同じでも全く違った印象の物語にすることは可能だというもの。自分も基本的にそう思う。実際趣味として自分で書いていても、構成云々より演出の幅のなさの方が圧倒的に単調さを作っている。

とはいえ、似通ってしまうポイント

とはいえ、例えば「お話の中盤まで上手いこと行ってたのに、終盤に差し掛かったところで危機的な状況に陥ってしまう」というようなのは確かにいろんな物語にあって、これが支配的な状況ってのは若干だるいなとは思ったりする。

脚本の要請でそれまで感情移入してきたキャラクターたちが不自然にひどい目に遭う、みたいな展開にゲンナリするのは理解できる。最終的に解決されるとも分かってるし、予定調和な感もある。

この問題に対して、それは演出の問題であるとか、物語にのめり込んでいればそんなことは気にならないとか、そういう反論をしてみることも可能だけど、問題はそういう予定調和で単調なストーリーが目に付くということだよなあと思う。

実際そういう「上がって、下がって、上がる」型があって、構成法に寄りかかってしまった結果単調な話の作り方が生まれているのは確かだ。つまりこれは物語の構成法が便利な道具として使われており、創作者の怠慢を許しているのではないかとは思う。(自分ごときが実際に創作する人に対して怠慢を指摘できるとも思わないが...)

シンデレラ曲線と6つの原型

先ほど「上がって、下がって、上がる」型、という言葉を使ったが、こういう構成をシンデレラ型の構成と呼ぶ。これは他にもいろんな型があって「物語の作り方は6つしかないことがビッグデータ解析で判明 - MIT Technology Review」という記事ではこのように紹介されている。

『地下の国のアリス』(ルイス・キャロル)など、立身出世物語に見られる、感情値の「一定して継続的な上昇」型
ロミオとジュリエット』(ウィリアム・シェイクスピア)など、悲劇に見られる、感情値の「一定して継続的な下降」型
ヴォネガットが説明した穴の中の男の物語のような感情値の「下降から上昇」型
イカロス』(ギリシャ神話)など、感情値の「上昇から下降」型
『シンデレラ』(グリム童話等)など、感情値の「上昇⇒下降⇒上昇」型
オイディプス』(ギリシャ神話)など、感情値の「下降⇒上昇⇒下降」型
研究チームは、感情の弧とダウンロード数の相関関係を調べて、どの型の弧に人気があるのかも検証した。すると、最も人気が高いのは、イカロスとオイディプス型の物語と、複数の基本的な構成要素が順次使用された複雑な型の物語だとわかった。特に、2つの連続的な穴の中の男の弧を持つ物語と、シンデレラの弧の後に悲劇が続く物語が一番人気である、とチームは供述している。

で、例えばBS2で利用されたり他のいろんなテンプレートは大概がこの「2つの連続的な穴の中の男の弧を持つ物語と、シンデレラの弧の後に悲劇が続く物語」だったりする。三幕構成はそこまで縛ってないと思うが(三幕構成あんまり詳しくない)、つまり言いたいのは現代のエンタメでもっぱら使われているのはこれまで英語圏の人間が発見してきた物語の類型のうちの、ひとつでしかないということだ。

(これ組み合わせがOKなら全ての原型はアリスとロミジュリの組み合わせであるようにも思えるが。元の論文を読んでないので知らん)

まとめ

というわけで思ったのは、

  1. 構成が同じでも物語の印象はかなり違う
  2. むしろ演出が下手だと同じようなものになりがち
  3. 演出ができなくても構成があればそこそこ作れてしまうので、安易に同じようなものが生まれる土壌にはなってるのでは?
  4. 現代のテンプレートは偏ってるので、いまあるもの以外のテンプレートもメジャーになって欲しい

ということ。

最後に、プロジェクトグーテンベルク英語圏青空文庫)に入っている物語の感情曲線をプロットしているページのご紹介。すごいなあ。
hedonometer

以上!

面白い小説が書きた〜い

小説についてです。ちょっととっ散らかってるんだけど、いま感じていることをいろいろと書き留めておきたいと思う。

目指すところの変化

ことの発端。昨年の暮れに小説を書きはじめて、twitterでいろんな人をみたりするうちに、まああけすけに言えばもっと人に読まれたいと思いはじめた。

今までわりと、自分の書きたいものを書くという姿勢で書いてきたんだけど、その目的をずらして、ウケるものがなんなのか真剣に考えたいなと思った。

で、そのために今後どうするかってのを考えたい。

「自分にとっての面白い小説」を書くということ

本題に入る前に自分が満足できるような面白い小説を書く、というスタンスについて軽く整理しておきたい。

いままで自分は、自分がどう思うかという基準だけで小説を書いてきていた。というのも、小説を書くことって基本的に苦しみを伴うし、書き続けるためには自分の面白いと思うものを突き詰めていないといけないとやっってられないから。それに、他人の考えていることは他人にしかわからないわけで、そこを目標にするってのは陽炎をあてに歩くようなものだ。だから自分にとっての面白さについて考えてきた。

また、他人にとっての面白さを考えるにしても、結局のところ自分の感性を手掛かりにして考えなきゃならない。自分がなぜこの作品を面白いと感じるのか、というところに向き合い続けないと、面白さについては理解できないと思っていた。

実際それは間違っていないし、自分にとっての面白さを考えるというのはこれからも続けていくことだとは思う。そんなに簡単なことでもないし。

ただ、その一方でこの考え方は、自分にとっての面白さだけやっていれば他人がそれをどう思うのかは考えなくても良いという免罪符にもなっていた。だから、いま一度目標にするところを自分ではなく他人に据える必要があると思う。

で、他人の面白いに向き合うとして、どうするか。

他人の面白さと向き合うために

俺がなんらかの面白さを提供するために、考えないといけないポイントはいくつかあると思う。

そのうちのひとつが、外的問題への苦手意識。もしくはログラインを立てるのが下手。パッとこのお話面白そうだな、みたいかネタを出すのが苦手なんだよな。(ということを書いていてびっくりしたけど、本当に人を楽しませようみたいな気持ちがなかったのか俺は。若干引くな)

逆に内的問題とか社会的問題とかは好きで考えられる(と思っている)。

以下でいくつかのポイントについて、今後何を書くべきか整理したい。 (カッコがきが多くて申し訳ないが、小説のことを語るとき、かなりの数の語られない前提みたいなのがある。俺がこの話を書くとき、かなり限定的な「小説」について語っている。本当は小説ってのはもっと広い概念だ、俺は捉えられていない。せめて自分の「小説」について定義しておきたいものだが...)

外的問題

それではまずはここ。

さっきも書いたが外的問題を考えるのがあんまり好きじゃない。けど、自分が映画とか小説を消費するとき、どこをメインに観賞するか? って言ったら外的問題なんだよな。感動したり心揺さぶられるシーンは一握りで、面白い外的問題なら普通にのめり込んで見ている。外的問題にテーマを反映させられたら最高。テーマにそった、面白い、シニカルな外的問題を作りたい。

思いっきり人気のジャンルで攻めてもいいのかも、やれるなら。たとえば異世界転生とか?(雑)あとファンタジーは間口が広くて良いのかも? ホラーサスペンスもできたら強い。

考えていることを列挙すると、

  1. 外的問題はメインに消費するもの
  2. 外的問題は主人公を窮地に立たせてそのキャラクター像を浮き出させるもの
  3. 窮地に立たせやすくて演出に幅がある
  4. 明確で主人公を食うくらいの敵がいる
  5. あらすじを読んで、あ、面白そう、と思えるようなもの
  6. 同時に、テーマを扱いやすいように意味のある外的問題にもしたい
  7. 書いていて面白いと思えるものがあればいいんだけどなあ

こんなもんかなあ。 いくつか例を出して考えてみる。いま手持ちのネタ未満がいくつかあるのでそれを使う。

  1. ファンタジー
    魔法が使える世界で、田舎から鳴り物入りで入ってきた人が全然振るわない。魔法の質が文化資源に依存していて、地方格差がめっちゃ出る、もしくは井の中の蛙であったことがわかってしまう話。
    これは才能のなさと向き合う話として考えついたんだけど、外的問題としてはいまいちだなあ。敵とか目的がわからないし、魔法である必要もない。ファンタジーっていうウケそうなガワで現代物をやりたかったんだよな。
    ファンタジーとしての面白さを探すなら、なんかガッツリの敵がいたり、世界の危機を書いたり、もっと異能バトルっぽくしたり、そういうことは可能かなと思う。世界観設定っすね。
  2. でかいやつが襲ってくるSF
    でかいやつが襲ってくるってだけ。
    問題がはっきりしてて良い。襲ってくるけどそれが日常なので、そういう舞台で何か別のことをしても良い。世界観は決まってるけど内容がないな。普通にそのでかいやつから身を守るでも良い。
  3. 化物になってしまうホラー
    ブラック企業で人の心を無くしていくうちに化物になる(人を殺したりを契機に)。化物ってのが異能っぽい。一般人に見つけられると異能は消えるとか?
    案外これやりやすそうだな。元に戻るために、って目的をおいたり、あと社会的問題を含めやすそう。
    異能だし。

もっと色々考えられそうだけどここまで。あとは自分用のノートで深める。

内的・社会的、その他の問題

内的問題はまあいろいろ。可能性が終わっていくこととか才能とかについて。才能とか可能性とかはおれ自身好きだし、わりとメジャーなテーマだとは思う。それと怒り。これはシンプルにはいかないことを書く。素直にできたら楽になれると自分でも思うのに、シンプルにはなれない、許せないことがある、ってことを書きたい。

社会的問題、これはいろいろあるからいろいろ考えられる。こういうサイト(世界/日本における社会問題・社会課題まとめ12カテゴリ一覧)見たり、新書レベルでいいから調べとく。

最後にその他の問題。雰囲気はゆるいのが好き(というか書きやすい)。あと感情にならない感情が好き。

しかしここまで書いて、そうはいってもこう、置きにいったようなお話を書いてもしょうがない、そんなのは意味がないとも思えてきた。書いた後にしぼりかすになれるような小説を書けるのが一番いいんだが。

眠くなって後半駆け足だったけど、こんな感じのこと考えてます、というやつでした。

以上。

2020年6月に読んだ本

お疲れ様です。6月に読んだ本です。 (人差し指を深爪してしまいキーボードが打ちにくい)

2020年6月に読んだ本

『おまえじゃなきゃだめなんだ』角田光代

短編集...というよりもっと短い掌編をまとめた本。

角田光代にしてはかなり毒気がなくて、おまえ...光代じゃねえな...有川か? となってしまった。(有川浩は好きじゃない)

まあでも読みやすかった。全部は読んでません。

『ほしとんで - 03』本田

ほしとんでの三巻目。漫画です。

今月も楽しく俳句のゼミをやっていた。評価されることとか表現の自由に関する問題とかパクリパクられとか、表現にまつわるいろんな問題について語っていて、面白かった。

『諦める力 〜勝てないのは努力が足りないからじゃない』為末大

諦めるのではない、目的を明確にしてとるべき選択をするだけだ! というようなことが書いてあった。

為末さんの本ってすごく日経とかNewsPicksっぽいことが書いてあって、かつ思想的にも社会的な責任を全く考えておらずあ〜〜新自由主義〜〜な感じなので、彼が彼自身の人生に対してやる姿勢は嫌いじゃないが、社会的な文脈には現れて欲しくないな〜〜と毎回思う。

『プレーンソング』保坂和志

2000年に出版された小説。保坂和志はもう保坂和志しか書けない、しかし何も起きないお話を書く。俺が保坂和志を知ったのは彼の『書きあぐねている人のための小説入門』みたいな本を読んだときで、彼の作品自体を読むのは初めてだったんだが、めっちゃ面白かった。

内容としては、主人公のところに居候が次々訪れて最終的にみんなで海に行くだけなんだけど、居候たちに対する主人公のコメントだったり、たまに主人公が会う友人たちのちょっとした小話だったり、会話だったりが面白くて何も起きていないこの本を延々読んでしまった。こういう本書ける人ってめっちゃ会話うまいんだろうな......と思った。

ゴールデンカムイ野田サトル

ゴールデンカムイを22巻まで読んだ。ゴールデンカムイってやたらとドラマが多くて毎回ギッチギチの構成だしほんとうにうまい。このレベルで話作れるひとっていま日本にどれだけいるんだろう? しかもこの人はエロに頼らないのだよなあ。

下ネタ、人情もの、バトル、歴史風土ネタ、ミステリ的なエピソードなど、ほんとうに色んな手法を使っていて驚かされる。漫画の教科書みたい。いつかちゃんと調べたい。

チェンソーマン』藤本タツキ

これもこれですごい漫画。ゴールデンカムイと比べると7倍くらいの速度で読めてしまう、のではやく50巻くらいまで出てほしい。

ギリギリで生きてるやつらがギリギリで戦うみたいな、かなり映画的な雰囲気のある漫画。絵の構図もかっこいい。あと主人公の恋愛の様子が、なんともこう切ない青春って感じでよい。

ストレンジャー・シングス』シーズン3

もはや本ではないが。シーズン3まで見ました。

このシーズンはかなり女性の権利やらクイアの問題を扱ってた。お話としては後半まであんまり話が進まなくてどうなのかな? というところがあったけど、けど前作で大好きになったスティーブが今作でメインに扱われていたり、そのスティーブとバイト先のニューメンバーとの絡みが良かったりして個人的には満足。

6月に読んだ本は以上。あんまり読めてなくてなんでだろ? と思ったんだけど、平家物語を読む合間に読んでた本なので、そりゃまあ読めないわなと納得。平家物語はいまやっと四割くらい読み終えたところなので、7月中に読み終えられたらいいなあという感じ。

そのほかにも金融系の本とかちくまの新書とかが積んであるので消費したい。

以上!!

短い小説を書きました

お疲れ様です。短い小説を書いたのでその感想と、今後について。

短い小説

書いたのはこれ。

kakuyomu.jp

前回から一ヶ月と少し空いたんですが、まあわりとちゃんとしたやつを書けたかなという気持ち。間に一本かけそうだったけど週末仕事で忙しくて書けずに流れたり、あと昔話みたいなやつ( 創作童話「シャケ鍋太郎」 - subwaypkpk短編集(subwaypkpk) - カクヨム

)を挟んだりもしていた。

今回の話は、怒りを手放して楽になりたいけど許せない、みたいなのを書いた。自分自身が持っている感情について小説のネタにしていこうということを前から思ってて、そのうちのひとつ。とはいえ自分自身が持っている感情からはだいぶ離れてて、着想を得て書いた程度になっている。

前に書いた「蟻と飴玉」よりはちゃんとしてるかなあというふうに思うけど、どこが面白いのって言われたらまあ難しい。外的な問題がはっきりしていないので序盤とか特に読者はどう読んでいいのか分からずに困惑するだろうなとは思う。

まあでも中盤以降は感情をかけていて良かった。

最近の書き方

以前、五万文字くらいの中編を書こうと考えていたころと比べて、自分の執筆への態度みたいなのはちょっと変わってきている。というか、例の中編は途中でもう書き続けるの厳しいなとなって投げてしまっていて、書き方を変える必要があった。

どう変わったかというと、もう長いものはいったん目指さずに、いちにちふつかで最後まで書ききれる分量の小説を書くことにしている。何日もかけて、構成をいじりながら書くというのは、正直いまの人生の状況としてきつくて諦めてしまった。

長編を書く力は長編を書かないと育たないから、本来は長編を書きたい。それと、公募に出してどうなったかな〜と待つというのもやりたい。しかしいまはモントリオールに住んでいるし、フランス語も仕事のスキルも身につけなくてはならなくて、その中で自尊心をめためたにしながら長編を書くというのが苦しいなーと感じた。

しかし長編(厳密には中編だけど面倒なので長編と書く)を書いていたころの考え方もやっぱ良かったなと思っていて、前回書いていた2、3ヶ月の間に、小説についての気づきみたいなのは50個くらいあって、そういうふうに小説の仕組みを考える脳のモードにはいまはなっていない。やはり長編を書いているときというのは24時間が小説の時間で、常に小説の脳がスタンバイしてて、ふとした瞬間にアイデアが出たりする。

いまはそういう状態にはない。書いて、休んでを繰り返している。あと構成について悩むことことがないから、かなり精神的に楽ではある。

ということを書いていたら、深緑野分さんのnoteに良いことが書いてあった。

私の小説の書き方③プロットと失敗作

これの、失敗例を読んでて、あ〜これ前回しくじった中編もこんなんだったな〜となった。書いている途中で矛盾に気がついてこねくり回しているうちにややこしくなり、そして似たようなネタで有名な作品が出る、みたいな展開が、似てた。

で、ここでは、もう諦めて次行くのもいいよ、と書かれてる。

おれは前回の中編を書けなかった時点で、あーおれは長いのやっぱどんづまりになるのかなあと思ってたんだけど、まあ単に矛盾したプロット立てちゃってただけかもなとも思えた。

加えて、今回の短いやつを書いている中での気づきで、舞台を具体的に定めるとよいなというのがあって(今回は京成津田沼に定めた途端書けた)、前回の曖昧さは舞台を定めなかったことにもあるかもなあと。

つまり何が言いたいかって、もう長編はしばらく(今後5年くらいは)無理かなと思っていたけど、そんなことない気もしていて、苦しいけどときどきは挑戦したいなっめ思った、という話。

また書きたいな。頑張ります。

以上。

技巧的ではない、感慨の小説を書くこと

お疲れ様です。今日はたくさん仕事したなって感じあるので日記でも書く。

書きたい小説と書ける小説

小説について。 えー前回の5000文字くらいの小説を書いてはや三週間という感じで、先週末本当は小説をかけそうだったんだけど仕事がいろいろ入ってかけず、時期を逃してなんか違うなとなってかけていない。

いや正確にはちょっとだけ書いた。5000文字くらい書いたら全然終わる気しなくて、これ2万文字コースだなと分かったら書く気がなくなってしまって止めてしまった。2万文字コースでちょっと構成に難がありそうだなとなると、割としばらくの間小説のことで悩まないといけないから、今はちょっと違うなと思ってやめてしまった。

で、そん時思ったんだけど、あ、もうこれ載せるかな小説。一部載せます。

咄嗟のことだったので全く反応ができなかった。たたらを踏んだ足は何も捉える事ができず、大きな音と共にわたしの体は水の中に沈んでいた。5月の日の光のなかで、初夏の光の中では涼しく感じるそれ、実家で飼っているアクアリウムの、悪くなってしまった時の匂いを思い出す。
岸では、祝が冷めた目でわたしを見ていた。
「なんで......」
「むかつく」
カバンが水面に浮かんでいる。草船のようにぷかぷかと浮かぶそれを追いかけるため背中を向けると、祝はその間にすたすたと歩いて行ってしまった。
岸に上がったわたしの全身からは水が滴っていた。それらがすべてくさかった。変な感触がして腕を振ると、緩い裾から小魚が飛び出した。真鮒だ。拾い上げて池に放り投げてやる。

これが冒頭。

自分で言ってしまうのもどうかと思うが面白くない。

そして別のシーン。

釣り具シーウィードにたどり着くと、中崎はちょうどスクーターにまたがってタバコの火をつけるところだった。わたしをみると目をまんまるにして、直後にお腹を抱えて笑い出した。
「え、え、すっごい、どのドブから出てきたの?」
「そこの......」
中崎はわけを聞くとさらに笑い、濡れたままのわたしをスクーターの後ろに乗せてくれた。向かうのはここから五分程度の彼女の部屋。
部屋に入ると、彼女はわたしを風呂まで誘導し、自分は部屋の奥に引っ込んだ。わたしがシャワーを浴びて出てくると脱衣所にはスウェットの上下があって、わたしが脱いだ服はスーパーのレジ袋に入れられる。ごぶさたしました、と言って風呂から上がると中崎は、
「ほじゃ、いこか」
と再び腰を上げる。
やってきたのは近所のコインランドリーだった。蛍光灯に照らされた家屋の中に古い型番の洗濯機と乾燥機が並んでいる。隅には粉の洗剤が大きな桶の中に入っていて、一回一杯、と張り紙がしてあった。
利用客はわたしと中崎だけだった。
洗濯機をセットすると、わたしは週刊漫画雑誌を、中崎は西村京太郎の『日本列島殺意の旅 西村京太郎自選集4』を読んでいた。金髪の彼女が眉間にシワを寄せて気難しそうにそれを読んでいるのはなかなか面白かった。
少しすると、中崎は文庫本にしおりを挟んで伸びをする。
「これ、来るとついついと読んじゃうんだよなー」
「何回も読んでんの?」
「ん。何回も、何回もだな、というかしおり挟んでるんだけど誰かが動かすから同じところばっかり読んでる気もする」
それで満足なのか? と疑問に思ったが声に出しては聞かなかった。そのうち洗濯機が終わったので洗濯物を乾燥機に移し、わたしの持っていた週刊漫画雑誌が青年誌に代わり、中崎は『日本列島殺意の旅 西村京太郎自選集4』を胸に抱えたままスノコの上で横になり、気がついてみると雨がぱらつき出していた。
「中崎ー」
「......え、ああ、何」
「雨降ってきちゃった」
「あーほんとだ。やむかな」 「どうだろ。もうすぐ乾燥機終わるからさ、その時まだ小雨だったら帰る?」
「そうしよか」
中崎は再び眠りに戻る。
乾燥機でふんわりと仕上がった衣類をビニル袋にまとめる段になっても、まだ雨は強くなかった。じゃあ、と言って中崎は雨の中スクーターのエンジンをかけ、わたしもその後ろに乗った。私たちは家まで帰る。

どちらも文章は校正せず、勢いを殺さずに書いてるので文法のミスはある。

けど俺は後者の方が気に入ってる。このお話のメインは祝と私のはずなんだけど、冒頭の祝のシーンはなんか死んでて、中崎とのシーンの方が俺は気に入った。

で、多分これは、冒頭に事件を起こせ、みたいなアレのためにキャラクターをぐいと引っ張ってきてしまって、祝の面白味がなくなってしまってるんだろうなあと思う。

あと、前回の中断した中編を書いていた時も思ったんだけど、何かを言わせたいシーンを描こうと思うとやっぱ死ぬんだよな。ただ中編なんてプロットあってなんぼみたいなところあるから、プロットを立てずに書くわけにもいかない。まあざっくりと決めるポイントだけ決めてあとは流れでやるのがいいのか、どうだろうな。

で、俺はやっぱりこう技巧的な小説が好きなんだけど、それでもこうやって技巧的に何かを書こうとした時に物語が死んでしまうという現象はあるんだよな。

関連するトピックとして、最近尾崎放哉とか後藤比奈夫とかを少し読んで、こう、生活感のある朴訥とした感じもいいなというか、そういうことも思った。あと保坂和志の『プレーンソング』をいま読んでるんだけど、ああいうストーリーの完全にないものもそれはそれで面白い。あと、『あたしンち』とかも。

考えていることをベラベラと書き留めていくと、自分、技巧的でサスペンスフルなものを書きたいと思っているけど、書いていて面白く感じるのは事件の起きていない、何を書いても良いもので、そういうものを書いた方がいいのかなあと。それの方が少なくとも楽しいし書き続けられるかなって。

それを思った時、いわゆるサスペンスではなくても、うまいこと整形する手法とかあるのかなとも。ぽんやりとしながらも、物語としての体裁を整えられる、書いたなと思えるラインがどこにあるのか。以前書いた「いつも爆笑ツイートありがとうございます」みたいなお話も何かあるかっていうと別れとそこへの感慨で、そういう風にまとめられたら自由にいろいろかけるかもなあって思ったりした。

そうなるといいね。

女性主人公

あと、書いておかねばと思ったんだけど、俺は最近殺伐百合戦線というインターネットの企画に投稿できんかなと思って書いてて、なのでというか、女性の主人公が多い。これは企画がそうだからっていうより、そっちの方が書きやすいから。 っていうと、なんか妙な気持ち悪さを感じたりもする。これってインターネット女装みたいな感じかなと思ったりもする。女の隠れ蓑みたいなのを使って好きにする、女だからかわいいはずだみたいな感じで描くのが楽になる。 これ、いや、マジで書いててキモいな。

けどまあ、これだと書けるんすわ。男を面白く描くというのがめっきり無理になってしまったな。悲しいことだが、どうにかなると良い。

眠くなって何書いてるのか分からなくなってきたのでここで終わり。

キャリアの覚書

おつです。色々考えることがあったのでメモ。

概要

えー概要としては、今コロナで色々忙しくてなんもできんなという感情とともに、小説も書けないし仕事もノースキルみたいな感じで度々辛く、そうなるともう小説を全て捨てて英語と仕事のスキルアップだけを目指したくなるが、よくよく考えればまだ頑張る余地あるんだからそんなに絞らなくてもいいじゃないというやつ。

具体案

とは言え、毎日全部を一時間ずつ、とかやっててもしゃあないなあというのもある。三ヶ月ごととかで重点的に取り組みたい問題を切り替えて取り組むとかでもいいのでは?

例えば今取り組みたいスキルっていうと、

  1. 小説
  2. IT系
  3. 語学

の三つの柱があるわけだけど、それぞれこう軽い努力とガッツリの努力に分けて、重心を置いてるやつはがっつり、それ以外は軽い努力、みたいにできると面白い。

小説なら、
軽い:小説を読んだりネタを書きためたり、息抜きにブログを書いたり
重い:プロットを組むような小説を書く

IT系なら、
軽い:全く分からない項目の記事とか本とかを読んで概観を掴む
重い:新しいスキルを使ってシステムを組む

語学なら、
軽い:リスニング教材をきく
重い:毎日英会話して単語も覚える

こんな感じで。

幸い明後日から6月で、こういうことをやってみてもいいんじゃないかなと思った。